知的で上品な人格OverDrive 読者の皆様におかれましては、 数日前から突如現れた一夜文庫なる下手くそで変な書き手に困惑しているとお見受けします。 大変申し訳ありません。 ここで一度、 自己紹介をさせていただきたいと存じます。
と書いたそばから白状してしまえば、 一夜文庫というのが何者なのか正直私自身も全く分からなくなってきてしまった。
元々私は書評サイトで拙い感想文を細々と綴っているだけの素人だった。 長い間書いているうちに枯渇していき、 ちょうどその頃に転職をしたら仕事が忙しくなって長文を書く時間がとれなくなりサイトへの投稿はほとんど止めてしまったのだが、 好きな本について語りたいという欲求は私の中で燻り続けていた。
そんな折、 本屋に棚貸し書店という新たな形態が流行り始めた。 いわゆるレンタルスペースのようなもので、 棚を一区画借りて自分の書店として売りたい本を並べるシステムだ。 私はそこで棚を借り、 一夜文庫を名乗り始めた。 屋号の由来は、 私が寝る前に本を読むのが好きなことと、 一日一日を大切にしたいという思いから名付けた。 やがて一箱古本市というイベント (自分の好きな本をミカン箱程度の箱に入るくらい並べて販売する、 素人が本屋さんごっこを楽しむという趣旨のイベント。 東京の不忍ブックストリートが発祥) にも出店するようになる。 対面で自分の好きな本を思いきりお勧めできる楽しさに目覚めてしまった私は、 狂ったように出店するようになった。
イベントに出ながらツイッターで本を紹介していると、 フォローしてくださる方が少しずつ増えていった。 自分でも予想もしていないことだった。
私は本の情報に加えて、 日常のささやかな出来事もつぶやくようになった。 綺麗な夕焼け、 季節の変わり目の風の匂い、 夜の街路樹が道に落とす影、 道端のコンクリートから生えた野の花⋯⋯。
「ツイッター見てます」 「癒されます」 と言って頂く機会が何度もあるようになった。 とても嬉しかった。 私はますますツイートにのめりこんだ。 日常の些細な情景を写真に撮り、 刺のない柔らかな表現を心掛けてアップし続けた。
その頃から、 私は本来の自分と、 一夜文庫さんという二次元の存在との解離を感じるようになった。
私の活動の根底には、 たくさんの人に本を好きになってほしいという願いがある。 だから本の写真を撮る時は少しでも見た人が読みたくなるよう、 布など綺麗な背景を用意して撮り、 補正もかける。 写真に写った本は確かに綺麗だが、 撮った私の部屋は大量に積まれた本で散らかっている。
一夜文庫には 「おやすみ前にゆったり読める本をご紹介する」 というコンセプトがある。 そのためなるべくネガティブなツイートはしないように心掛けているが、 本来の私はどす黒さの渦巻くネガティブ人間で、 雑貨屋の冴えない店員としてマスクの下で嫌な客に悪態をつきながらレジを連打している。
ときどき自分のツイートを遡って眺める。 誰なんだこいつは。
オシャレなパスタと本の写真が上がっている。 確かにそんなものを食った記憶もあるが、 その前のランチは富士そば、 その前の前は二郎系メンヤサイ少なめアブラマシマシだった。
画面の中の一夜文庫さんはスマートでキラキラしている。 現実の私はボサボサの髪を振り乱して、 くたびれたジーパンに変な柄のアロハシャツを着て磨り減ったサンダルを引きずってとぼとぼ歩いている。
ツイッターを見て古本市にきてくれた方から 「⋯⋯本人ですか? 本当ですか?」 と言われた。 無理もない。 あのキラキラわくわくした素敵そうなイメージと、 この貧相なブスは全く釣り合っていない。
愚痴をつぶやこうとしてスマホを握った手を止める。 一夜文庫さんはそんな汚いことは言わない。
一夜文庫さんの呪縛が私をどんどん縛っていく。 今はそれが楽しいときの方が多い。 けれど、 時々ほんの少し、 息苦しさを感じる。
私なんかの言葉で 「癒される」 と仰って頂けるなら、 いくらでも言葉を紡ぎたい。
でも 「癒し」 って何だろう。 人を癒したいなんて、 意識してしまったら出来なくなる気がする。
おーなり由子さんの 『きれいな色とことば』 を読み返す。 柔らかな筆とイラストで日常を綴るエッセイ集。 たいしたことは書かれていないのに、 読んでいるとのびのびする。 きっと力まず自然に自分の言葉で書いているからだろう。 湧き水のように乾いた心に染み渡っていく。 こんなふうに書くことが私にできるだろうか。
私の文体って何だろう。
ずっと探しているけど、 まだ見つけられていない。
はりぼてのアバターを被って紛い物の癒しを振り撒いて、 どこにもいない自分を探して幻想の夜を彷徨っている。
一夜文庫さん⋯⋯お前は一体誰なんだ。