この春に奄美大島に行ってきた。 親戚に旅行好きなおばちゃんがいて、 いつも家族ぐるみで旅に誘ってくれるのだ。 荷物持ちにという名目でお声がかかるのだけれど、 本当はひとりでふらふらしている私を少し不憫に思ってくれているのかもしれないし、 単に休みの自由がきく私を誘いやすいだけなのかもしれない。
誘ってもらうのでなければ自分で奄美大島に行こうと思うことはなかった。 全く何も知らない場所だったので、 事前に少し奄美大島の歴史について調べた。
先史時代以降、 奄美大島は夜光貝の産地として交易をして本土と関わってきた。 交易をすることで貧富や身分の差ができ豪族が生まれる。 豪族は琉球王朝と良好な関係を築いていたが、 やがてその力関係は崩れ奄美は琉球に支配されていく。 そののち琉球が薩摩潘に征討されると、 奄美も薩摩藩の支配下におかれた。 この二重の支配の歴史が奄美の根幹にある。 琉球と大和の文化が交わる島。 この歴史的背景を知らないでアクティビティだけを期待してここに行っても、 何も面白くないだろう。 奄美大島を検索しようとすると検索履歴に真っ先に 「奄美大島 観光 つまらない」 と出てくるのだが、 そりゃ何も知らん人が何も知らんまま行けばそうなるだろうなと思った。
おばちゃん集団で出かけたのでパッケージツアーを利用した。 奄美大島の歴史を知ろうというテーマのあるツアーで、 主に資料館や史跡を巡った。 遺跡がまるごと屋内に保存されている宇宿貝塚史跡公園や、 貝塚からの出土品や地域の民具が展示されている奄美市歴史民俗資料館は歴史を予習して行くとかなり興味深い。
史跡でない観光地らしい所にも行った。 荒波で削られてできた拳大の石ばかりがゴロゴロと浜を埋め尽くしているホノホシ海岸は圧巻だった 。 大変写真映えするスポットなので奄美に行ったら必ず訪れたい場所だが、 ゴロゴロの石だらけの浜は笑っちゃうくらいめちゃくちゃ歩きづらい。
西郷南洲流謫跡は西郷隆盛が奄美に流刑になっていた間に住んでいた家で、 今も西郷の島妻の愛加那の子孫によって管理されているという。 近くに愛加那さんが水汲みにいっていた泉があり、 そこへ向かうには小さな集落の中を通り抜けるので、 島の暮らしの一端を垣間見られる。 T という奄美の名門一族の当主だけが埋葬される特別な墓所の前を通りかかった。 ドラマなどでは平民として描かれがちな愛加那さんも実は T 家の人だ。 この一族は奄美の歴史に深く関わるので調べていくとめちゃくちゃ面白いけど、 この話を始めると長くなるのでこのくらいにしておこう。 墓所には苔むして時代を感じさせる五輪塔を象った墓に交じり、 沖縄風の家のような墓や十字架のついた墓もあった。 文化の交じり合う奄美の歴史を体現したような場所だった。 あの景色はちょっと忘れられない。
ところで、 ツアー旅行だと行動の自由がきかないというイメージがあるかと思うが、 実はそんなことはない。 一日の行程を終えてホテルに着いたら後は翌朝の出発時間まで自由なのだ。 私はこの隙に脱走するのが好きだ。 同行のおばちゃん達が部屋でゆっくり休んでいる間、 ひとりでホテルを出て周辺を散歩したり店で買い物したりする。
この旅でも、 ホテルで解散となってすぐ脱走した。 バスで通過した通りの角に、 古本屋の看板が出ているのを見つけたのだ。 私のほぼ唯一と言っていい特技が 「いい本屋をみつけること」 で、 知らない街をふらふら歩いていると何も探していなくても勝手に本屋にたどり着く。 いい本屋のある半径二キロ圏内に入ったら自動でナビできるセンサーが脳内に備わっているかのようだ。 そんなセンサーのおかげかこの古本屋にもすぐにたどり着いた。
島の名を冠した看板が、 煤けたベージュのビルの二階に出ていた。 階段を上がっていく。 入り口の手前の均一棚には埃っぽくなった古い漫画本や過去のベストセラーが並んでいた。 町の古本屋として正統派のたたずまいだ。
店内に入ると、 入り口のすぐ前の平台には奄美関連の新刊本が多数並べられていて、 その奥に並ぶいくつもの棚にも奄美や沖縄に関連する本が、 新刊も古本も取り混ぜてびっちり詰まっていた。 奄美料理のレシピ本や風景写真集、 この地に骨を埋めた画家田中一村の画集や、 奄美群島加計呂麻島ゆかりの作家島尾敏雄の小説など観光客が手に取りやすい本もある。 その同じ棚に、 奄美の歴史、 地理、 民俗、 自然など多岐に渡るジャンルの資料や、 名越左源太の 『南島雑話』 (幕末に書かれた奄美大島の地誌) とその関連書、 ハジチ (針突:琉球や奄美にみられた女性が両手に刺青を入れる風習。 近代化を進めようとした明治政府によって禁止され途絶えた) の柄の解説本、 ユタやノロの祭祀の手順を細かく記した本など、 大学の資料にもなりそうな本格的な研究書が並ぶ。
いがぐり頭の年配の店主と常連らしき学者っぽい雰囲気のスーツのおじさんが、 店内のソファに向かいあって腰掛け、 くつろいだ様子で話し込んでいた。 学者っぽいおじさんは本当にどこかの大学の先生のようで、 私にはさっぱり分からない地元の内輪話が聞こえてくる。
店主はレジ横のテーブルの端に線香を置いて焚いていた。 その香りがゆったりと店内に漂っていた。 ほんのりとした南国の花のような甘みに交じり、 ウッド系の香木のような落ち着いた渋みとハーブ系のすっきりさも少しあるような、 不思議な香り。 その香は南国のなまあたたかい夕闇に混じり、 異国情緒としかいいあらわしようのない艶やかな雰囲気を醸し出していた。
この空気の中で島の本を眺めるのは夢のような時間だった。 気になる本は無限にあり、 迷って迷って五冊ほどをレジに持っていくと、 店主は 「え、 こんなに!?」 とちいさくつぶやいた。 それが嬉しかった。 お店の人に買い物を喜ばれるのは嬉しいものだ。 特にこういう専門書店では、 素人なりのチョイスをほめてもらったような、 何かが通じたような気がして嬉しくなる。
この旅を通して買ったものでいちばんいいものが、 この日買ったハジチの本とユタの本になった。 ちなみにこの旅で他に買ってよかったものは、 島の行事カレンダーと島産の甘い醤油だ。 カレンダーには旧暦や月の満ち欠けと共に毎月いくつもの奄美の行事が記載されていて、 眺めているだけで面白い。 島産の醤油はびっくりするくらい甘口で (九州の醤油は甘いと聞いたので、 その影響なのかもしれない) 滞在中に食べた豚の角煮の絶妙な甘みの元はこれだったのだなと気づいた。 島産の養殖マグロにも甘い醤油はよく合っていた。 奄美では何を食べても美味しかったのだが、 その秘密は間違いなくあの甘い醤油にあるはずだ。 すっかり影響を受けて、 私は今も家でマグロの刺身を食べる時は奄美の醤油を使っている。
さて、 旅から帰り、 いつもの日常が戻った。 旅の翌日に出勤する気持ちのやるせなさよりやるせないものはなかなかない。 完全に死んだ魚の目になって出社する。 働きたくない。 永遠に旅に出てふらふらしていたい。 しかし現実的にそんなことはできない。 行けるかどうかも分からない次の旅を想うことだけをモチベーションに、 勤務先にたどり着いてタイムカードを切った。
仕事が始まってしまえば何のことはなく、 いつもの日常が始まる。 仕事仲間に申し訳程度の土産にいちばん安い黒糖を配って、 勤務先の店を開け、 レジを打ち、 売れたものを補充する。 雑多な業務に追われて時間がすぎる。 旅に出た楽しかった日々は、 こうして遠くの蜃気楼のようなぼんやりとした思い出になっていく。
その日はやたら細かい雑貨ばかり売れる日だった。 安物のアクセサリーやストールなどの巻物、 お香などの消耗品が店頭からどんどん減っていく。 発注をかけてストックしている在庫を出していく。
たくさん売れてスカスカになった棚にお香を補充していった。 インドの線香の細長いパッケージを空いた什器に指していく⋯⋯と、 突然、 私の鼻先を嗅ぎ覚えのある香りがふわっとかすめた。
私は香りに対する感性が乏しい。 たくさんある商品の香りの細かい違いなんかすぐ忘れてしまう。 それなのに、 そのお香の匂いを嗅いだ瞬間 「あっ!これは奄美のあの古本屋の香りだ!」 とすぐに分かった。 あのほんのり甘くウッディな香り。 間違いない。 パッケージを確認すればインドの有名メーカー HEM 社のローズマリーというお香だった。 本物のハーブのローズマリーとはあまり似ていない妖艶な香りだ。 まさかこれがあの時のお香だったとは!
あの香りだと分かった瞬間に、 あの店の空気が、 大量の奄美の本が並んだ棚が、 のんびりした客の教授と店主の話し声が、 奄美のなまあたたかい南国の空気が、 ぶわっと私の脳裏にたちのぼった。 香りの記憶が私を奄美に引き戻した。 突然街角で懐かしい人に再会したような不思議に懐かしい感覚だった。
私は衝撃のあまりしばらくローズマリーのお香をパッケージの上からクンクン嗅いで、 急に麻薬探知犬の真似をしはじめたかのような怪しい店員と化してしまったのだった。
それまで私は家で香を焚く習慣が全くなかったのだが、 この件以来ローズマリーのお香だけは時々買って焚くようになった。 焚くといつも奄美を、 あの古本屋を思い出す。 香りの記憶がこんなに強く鮮やかなものだとは思わなかった。 五感に結びついた旅の記憶は、 時を経てもいつでも鮮明によみがえり、 いつもの日常に新鮮な風を吹き込んでくれるのだ。