夜の雑記帖

連載第14回: 旅の記憶と日常と

アバター画像書いた人: 一夜文庫
2022.
12.01Thu

旅の記憶と日常と

この春に奄美大島に行ってきた親戚に旅行好きなおばちゃんがいていつも家族ぐるみで旅に誘ってくれるのだ荷物持ちにという名目でお声がかかるのだけれど本当はひとりでふらふらしている私を少し不憫に思ってくれているのかもしれないし単に休みの自由がきく私を誘いやすいだけなのかもしれない

誘ってもらうのでなければ自分で奄美大島に行こうと思うことはなかった全く何も知らない場所だったので事前に少し奄美大島の歴史について調べた

先史時代以降奄美大島は夜光貝の産地として交易をして本土と関わってきた交易をすることで貧富や身分の差ができ豪族が生まれる豪族は琉球王朝と良好な関係を築いていたがやがてその力関係は崩れ奄美は琉球に支配されていくそののち琉球が薩摩潘に征討されると奄美も薩摩藩の支配下におかれたこの二重の支配の歴史が奄美の根幹にある琉球と大和の文化が交わる島この歴史的背景を知らないでアクティビティだけを期待してここに行っても何も面白くないだろう奄美大島を検索しようとすると検索履歴に真っ先に奄美大島 観光 つまらないと出てくるのだがそりゃ何も知らん人が何も知らんまま行けばそうなるだろうなと思った

おばちゃん集団で出かけたのでパッケージツアーを利用した奄美大島の歴史を知ろうというテーマのあるツアーで主に資料館や史跡を巡った遺跡がまるごと屋内に保存されている宇宿貝塚史跡公園や貝塚からの出土品や地域の民具が展示されている奄美市歴史民俗資料館は歴史を予習して行くとかなり興味深い

史跡でない観光地らしい所にも行った荒波で削られてできた拳大の石ばかりがゴロゴロと浜を埋め尽くしているホノホシ海岸は圧巻だった 大変写真映えするスポットなので奄美に行ったら必ず訪れたい場所だがゴロゴロの石だらけの浜は笑っちゃうくらいめちゃくちゃ歩きづらい

西郷南洲流謫跡は西郷隆盛が奄美に流刑になっていた間に住んでいた家で今も西郷の島妻の愛加那の子孫によって管理されているという近くに愛加那さんが水汲みにいっていた泉がありそこへ向かうには小さな集落の中を通り抜けるので島の暮らしの一端を垣間見られるT という奄美の名門一族の当主だけが埋葬される特別な墓所の前を通りかかったドラマなどでは平民として描かれがちな愛加那さんも実は T 家の人だこの一族は奄美の歴史に深く関わるので調べていくとめちゃくちゃ面白いけどこの話を始めると長くなるのでこのくらいにしておこう墓所には苔むして時代を感じさせる五輪塔を象った墓に交じり沖縄風の家のような墓や十字架のついた墓もあった文化の交じり合う奄美の歴史を体現したような場所だったあの景色はちょっと忘れられない

ところでツアー旅行だと行動の自由がきかないというイメージがあるかと思うが実はそんなことはない一日の行程を終えてホテルに着いたら後は翌朝の出発時間まで自由なのだ私はこの隙に脱走するのが好きだ同行のおばちゃん達が部屋でゆっくり休んでいる間ひとりでホテルを出て周辺を散歩したり店で買い物したりする

この旅でもホテルで解散となってすぐ脱走したバスで通過した通りの角に古本屋の看板が出ているのを見つけたのだ私のほぼ唯一と言っていい特技がいい本屋をみつけること知らない街をふらふら歩いていると何も探していなくても勝手に本屋にたどり着くいい本屋のある半径二キロ圏内に入ったら自動でナビできるセンサーが脳内に備わっているかのようだそんなセンサーのおかげかこの古本屋にもすぐにたどり着いた

島の名を冠した看板が煤けたベージュのビルの二階に出ていた階段を上がっていく入り口の手前の均一棚には埃っぽくなった古い漫画本や過去のベストセラーが並んでいた町の古本屋として正統派のたたずまいだ

店内に入ると入り口のすぐ前の平台には奄美関連の新刊本が多数並べられていてその奥に並ぶいくつもの棚にも奄美や沖縄に関連する本が新刊も古本も取り混ぜてびっちり詰まっていた奄美料理のレシピ本や風景写真集この地に骨を埋めた画家田中一村の画集や奄美群島加計呂麻島ゆかりの作家島尾敏雄の小説など観光客が手に取りやすい本もあるその同じ棚に奄美の歴史地理民俗自然など多岐に渡るジャンルの資料や名越左源太の南島雑話( 幕末に書かれた奄美大島の地誌 ) とその関連書ハジチ ( 針突:琉球や奄美にみられた女性が両手に刺青を入れる風習近代化を進めようとした明治政府によって禁止され途絶えた ) の柄の解説本ユタやノロの祭祀の手順を細かく記した本など大学の資料にもなりそうな本格的な研究書が並ぶ

いがぐり頭の年配の店主と常連らしき学者っぽい雰囲気のスーツのおじさんが店内のソファに向かいあって腰掛けくつろいだ様子で話し込んでいた学者っぽいおじさんは本当にどこかの大学の先生のようで私にはさっぱり分からない地元の内輪話が聞こえてくる

店主はレジ横のテーブルの端に線香を置いて焚いていたその香りがゆったりと店内に漂っていたほんのりとした南国の花のような甘みに交じりウッド系の香木のような落ち着いた渋みとハーブ系のすっきりさも少しあるような不思議な香りその香は南国のなまあたたかい夕闇に混じり異国情緒としかいいあらわしようのない艶やかな雰囲気を醸し出していた

この空気の中で島の本を眺めるのは夢のような時間だった気になる本は無限にあり迷って迷って五冊ほどをレジに持っていくと店主はこんなに!?とちいさくつぶやいたそれが嬉しかったお店の人に買い物を喜ばれるのは嬉しいものだ特にこういう専門書店では素人なりのチョイスをほめてもらったような何かが通じたような気がして嬉しくなる

この旅を通して買ったものでいちばんいいものがこの日買ったハジチの本とユタの本になったちなみにこの旅で他に買ってよかったものは島の行事カレンダーと島産の甘い醤油だカレンダーには旧暦や月の満ち欠けと共に毎月いくつもの奄美の行事が記載されていて眺めているだけで面白い島産の醤油はびっくりするくらい甘口で ( 九州の醤油は甘いと聞いたのでその影響なのかもしれない ) 滞在中に食べた豚の角煮の絶妙な甘みの元はこれだったのだなと気づいた島産の養殖マグロにも甘い醤油はよく合っていた奄美では何を食べても美味しかったのだがその秘密は間違いなくあの甘い醤油にあるはずだすっかり影響を受けて私は今も家でマグロの刺身を食べる時は奄美の醤油を使っている

さて旅から帰りいつもの日常が戻った旅の翌日に出勤する気持ちのやるせなさよりやるせないものはなかなかない完全に死んだ魚の目になって出社する働きたくない永遠に旅に出てふらふらしていたいしかし現実的にそんなことはできない行けるかどうかも分からない次の旅を想うことだけをモチベーションに勤務先にたどり着いてタイムカードを切った

仕事が始まってしまえば何のことはなくいつもの日常が始まる仕事仲間に申し訳程度の土産にいちばん安い黒糖を配って勤務先の店を開けレジを打ち売れたものを補充する雑多な業務に追われて時間がすぎる旅に出た楽しかった日々はこうして遠くの蜃気楼のようなぼんやりとした思い出になっていく

その日はやたら細かい雑貨ばかり売れる日だった安物のアクセサリーやストールなどの巻物お香などの消耗品が店頭からどんどん減っていく発注をかけてストックしている在庫を出していく

たくさん売れてスカスカになった棚にお香を補充していったインドの線香の細長いパッケージを空いた什器に指していく⋯⋯と突然私の鼻先を嗅ぎ覚えのある香りがふわっとかすめた

私は香りに対する感性が乏しいたくさんある商品の香りの細かい違いなんかすぐ忘れてしまうそれなのにそのお香の匂いを嗅いだ瞬間あっ!これは奄美のあの古本屋の香りだ!とすぐに分かったあのほんのり甘くウッディな香り間違いないパッケージを確認すればインドの有名メーカー HEM 社のローズマリーというお香だった本物のハーブのローズマリーとはあまり似ていない妖艶な香りだまさかこれがあの時のお香だったとは!

あの香りだと分かった瞬間にあの店の空気が大量の奄美の本が並んだ棚がのんびりした客の教授と店主の話し声が奄美のなまあたたかい南国の空気がぶわっと私の脳裏にたちのぼった香りの記憶が私を奄美に引き戻した突然街角で懐かしい人に再会したような不思議に懐かしい感覚だった

私は衝撃のあまりしばらくローズマリーのお香をパッケージの上からクンクン嗅いで急に麻薬探知犬の真似をしはじめたかのような怪しい店員と化してしまったのだった

それまで私は家で香を焚く習慣が全くなかったのだがこの件以来ローズマリーのお香だけは時々買って焚くようになった焚くといつも奄美をあの古本屋を思い出す香りの記憶がこんなに強く鮮やかなものだとは思わなかった五感に結びついた旅の記憶は時を経てもいつでも鮮明によみがえりいつもの日常に新鮮な風を吹き込んでくれるのだ


寝る前の読書を愛する本好き。趣味で一箱古本市に出たり、ツイッターで本をオススメしたりしている。杜作品を読み人格OverDriveに憧れている。