たまにしか行かないけれど一人カラオケが好きだ。
仕事の帰りに行きたくなった時に小一時間ほど寄る店は老舗チェーンの歌広場で、 大きなターミナル駅のちょっとさびれたほうの出口を出た少し先にあって、 キャバクラの呼び込みの黒服のお兄さん達がずらっと並ぶようなナイトスポットのすぐ隣にある。 周りの環境のせいかオシャレな女子達が皆無でおじさんおばさん多めの落ち着いた雰囲気だ。 一人用の部屋も多くて一人カラオケに来る人もよくいる様子なので気軽に行きやすい。
あの日の歌広はいつもよりちょっとおかしかった。 数部屋離れた部屋から、 防音設備を突き破って物凄い音量の情熱的な歌声のアナ雪がエンドレスで聞こえてくる。 その反対側の隣の部屋からは渋く調子っ外れの演歌が朗々と流れてくる。 私も負けずに好きな曲をばんばんリモコンで検索して入れまくる。 誰に聞かせるわけでもないので、 どんなマニアックな曲も入れ放題、 同じ曲も何度でも歌い放題だ。 これこそ一人カラオケの最大の魅力!
これは少し言うのが恥ずかしいのだけれど、 私は子どものときに聴いていた渡辺美里が大好きで、 あの名曲 『My revolution』 は歌詞を見ずに歌える 。 小室哲哉作曲なのに小室ファミリー全盛期の中学生の時点でも同年代の子は誰も聴いていなくて誰とも話が合わなかったので、 今も好きというのが少し抵抗がある。 良いものは良いのだから自信を持って好きと言えばいいのに、 我ながら小者だし何より渡辺美里に申し訳ない。 が、 とにかくそんな渡辺美里も一人カラオケなら歌い放題なのだ。
そんなわけで数曲歌って喉を温めてから、 いよいよ名曲 『My revolution』 いきますか! と歌い出した。 もちろん前奏のコーラスからエンジン全開で歌う。 しかし歌い出しはあえてちょっとひかえめに、 少し落ち着いたトーンで感情を溜めて、 サビに向かうにつれてちょっとずつギアを入れていく⋯⋯。
歌う度にこれまでの人生の辛かったシーンが甦る。 就活がうまくいかなくて喪服のようなリクルートスーツで駆けずり回っていたあの頃、 しつこいクレーマーに絡まれて面倒くさくて土下座してもっと怒られたあの日、 付き合っては別れたしょうもない野郎たち、 一人暮らししていた木造二階建て風呂無し六畳一間の天井を走るネズミの足音、 それでも都内の家賃が高すぎて実家に帰った後に年金未納期間があるのがバレた時の修羅場⋯⋯。
今でこそ笑いとばせるけれど、 本気で辛かったあの頃に、 いつも私が胸の中で歌っていたのは、 そうさいつだって 『My revolution』 だった! うぉぉー!
私は感情をめっちゃ込めまくって朗々とサビを歌い上げた!
⋯⋯ふー。 出しきった。
と、 唐突に部屋の扉が開いた。 飲み物も注文していないのに。
そして全然知らないおじさんが入ってきた。
あまりにもスムーズに入ってきたので、 お店の人か知り合いかと思ったけど、 どちらでもなかった。
少し長めの髪には明らかに油が浮いていた。 全体的に黒い服装で、 シャカシャカした生地のジャンパーにくたびれたナップサックを背負っていた。 いくら見ても全然見覚えのない知らない人だった。
おじさんは 「おっ! お疲れ! なかなかよかったよ! じゃあ俺はもう帰るんで、 また!」 とだけ言って、 きょとんとしている私に片手をひょいと上げて挨拶して出ていった。
⋯⋯たぶんおじさんは、 私の隣の部屋にいた演歌の人で、 私の恥ずかしい熱唱を聞いて一言挨拶しにきてくれたようだった。
ちょっとびっくりしたし恥ずかしかったけれど、 だけどその時それ以上に 「何かが伝わった!」 ということが嬉しかった。 私のささやかな人生の何かを思いっきり込めた歌が誰かに届いたのが、 結構うれしかったのだ。 思い返せば相当ヘンなおじさんだったけれど、 それでも私はうれしかった。
さてあれから数年。
最近の私は元々色々気にしない雑な性格がますます酷くなり、 一人カラオケに行くと靴を脱いで椅子に上がってぴょんぴょんしながらサカナクションをエンドレスで熱唱している。 こないだ私の部屋の前を通った店のスタッフが、 明らかに見てはいけないものを見たときの早さで急に歩くスピードを倍速にして通過していった。
今おじさんに乱入されたら、 さすがの私も恥ずかしすぎてキレると思う。 だけどちょっと、 もう一回会えたら嬉しい気もするのだ。 おじさん、 今も元気に演歌を歌っているといいな。