社会人になって数年目くらいの頃に香港に行ったことがある。なぜ香港だったのかはもう覚えていないが、たぶん安いパッケージツアーがあったからだろう。ホテルが中心街から少し離れた場所にあってこわごわ地下鉄に乗って街に繰り出したり、動物園に行ったら滅茶苦茶混んでいて動物を見にいったのに大量の香港人にもみくちゃにされただけだったり、ご飯屋さんを開拓する勇気がなくて二日連続で同じショッピングモールのレストランで夕御飯を食べたりとか、そんな些細なことを今でも覚えている。
香港に行くにあたって、私は小さなスケッチブックに旅で使えそうなとっさの一言を書いて用意した。香港の公用語は広東語なので、広東語で「トイレはどこですか」「いくらですか」「これをください」など会話で必要になりそうな言葉を調べて書いておいた。ネットで調べて写して書いただけなので自分では声に出して発音できないが、せっかくなのでカタコトの英語で何とかするより香港らしいコミュニケーションがしてみたかったのだ。
実際行ってみるとツアーに組み込まれている免税店などでは日本語が通じるのでスケッチブックの出番はなかったのだが、自由行動の時間に街に出たときには結構役に立った。何より、スケッチブックを見せると露店の仏頂面のおじさんがちょっと笑ってくれたりして、そんな些細なやりとりが楽しかった。
私が香港の観光地の中でいちばん行きたかったのがキャットストリートだ。真贋のうさんくさい骨董品の怪しい屋台が並ぶ雑多でキッチュな通り。ガイドブックを見れば見るほど期待がふくらんだ。日程二日目で地下鉄の移動にも慣れた頃、ついに憧れのその地に向かった。わくわくしながら地下鉄の最寄り駅から外に出ると、温帯夏雨気候の香港らしい土砂降りのスコールに迎えられた。それでもめげずに目的地に向かった。キャットストリートに続く有名な階段を登って通りに出ると、骨董屋街で露店が並び賑わっているはずの道沿いには全然店が出ておらず、誰も歩いていないがらんとした通りに強い雨だけがざばざばと降りそそいでいた。確かに、この雨の中で人も少ないのにせっせと露店を出す人はいないだろう。みんな今日はあきらめて店をお休みにしているのだ。
半分心が折れかけたが、それでもせっかく来たので通り抜けるだけでもと、ざばざば降る雨の中を歩いていった。
通りの中程、誰も歩いていない道の端に、真っ赤なものばかり並べている露店がひとつだけぽつんと開いていた。強い雨で煙る暗い道で、そこだけ灯る橙の電灯。白髪で背中の曲がったちいさなおばあさんが、ひとりちんまりと店先に座っていた。顔も背中も丸くて全体的に丸っこくてちいさくて可愛らしい。
露店に近寄っていくと、赤い商品の正体が分かった。毛沢東グッズだ。毛沢東語録の本に写真にポスター、ピンバッチに缶バッチに灰皿、目覚まし時計に腕時計⋯⋯。私がキャットストリートで是非買いたいと思っていたお土産のひとつだ。数は少ないけれど、他にお店が全然ない中でここだけでも開いていてくれたのはありがたい。
おばあさんにたどたどしくニイハオと挨拶して、私はグッズを真剣に選んだ。おばあさんは穏やかな顔でそれを見ていた。結局私は毛沢東語録のちいさな本を買おうとした。傘を抑えながらがさごそとスケッチブックを取り出して「幾多銭呀? いくらですか?」と書いたページを開いた。
それを見た瞬間、おばあさんはころころけらけらと可愛らしい声で笑い出した。そして字を一字ずつ指さしながら、読み上げた。
「げぇい、どー、ちん、あ」
「⋯⋯げぇいどーちんあ?」
「げぇいどーちんあ!」
おばあさんは笑いながらメモ紙に数字を書いた。私も笑ってその金額を支払った。
欲しかった毛沢東語録とスケッチブックをカバンに入れて、またぎこちなく謝謝と言っておばあさんと別れた。
私が歩いていく後ろで、「げぇいどーちんあ! げぇいどーちんあ! アハハハハ⋯⋯」とずっと繰り返し言って朗らかに笑っているおばあさんの声が聞こえていた。
私は英語をはじめ外国語を覚えるのは苦手だが、おばあさんのおかげで広東語で値段を聞くことは完璧にできるようになった。コミュニケーションのなかで使ってみて覚えた言葉は、そう簡単には忘れない。あれから長い時が経ったので多分もうあの通りにおばあさんはいないかもしれないが、もしまた香港を訪れる機会があったら、私はきっとまたキャットストリートに行って、今度はスケッチブックなしで堂々と値段を尋ねられるだろう。誰かがくれた言葉はずっと、もらった誰かの胸のなかで生き続けるのだ。
コメントを残す