夜の雑記帖

連載第30回: 思い出の味噌ラーメン

アバター画像書いた人: 一夜文庫
2023.
03.06Mon

思い出の味噌ラーメン

私が高校生くらいの頃母親が狂ったように行っていたラーメン屋があった近所の古びた商店街にあって外観はどこの街にもひとつはあるような古びた汚いラーメン屋だった壁は長年の油や煙で黒っぽく煤けて鰻の寝床のような店内に細長く伸びたひとつだけのカウンターも椅子もガタがきていた

その汚い店は並びこそしないもののいつもお客さんで賑わっていた私も一度だけ行ったことがある母親が偏愛している味噌ラーメンを頼んだしばらくして出てきたそれは大量にのった熱々の野菜炒めが湯気をもうもうと立てていたニラにキャベツにモヤシにニンジン細長く切り揃えられた野菜は程よくシャキシャキに炒められ香ばしい油と焦げを適度にまとっていた濃い味噌のスープに中太のちぢれ麺口のなかを火傷するくらい全てが熱々でそれをふぅふぅしながら勢いよくすすりこんだ最近流行りの高級ラーメンみたいに凝ったところはないごくごく普通の味噌ラーメンだごく普通だけれどこれぞ下町のラーメン屋の味噌ラーメンというシンプルな美味しさだった

店の名前は縄文といった母親は何かといえば縄文のラーメンを食べに行ったと話した仕事が休みの日の昼はよく行っていたようだった縄文は繁盛したからかあるとき前よりも新しくて綺麗な店舗に移転した母親は移転後もしばらく通っていたらしいが移転先の立地がよくなかったのか最終的には閉店してしまったようだ私が社会人になって生まれ育った街を出ている間にいつの間にかなくなっていた少なくとも十年以上は前の話でいま地域名と店名で検索しても出てこない

母親はその後もときどき縄文のラーメンが食べたい⋯⋯とつぶやくことがあった店がなくなってしまうと食べたくても食べられないああいう町中華のラーメンというのはどこにでもあるようで全く同じものはどこにもないのだあのいかにも下町の味の典型みたいな味噌ラーメンが実はどこにもない唯一の味噌ラーメンだったのだと失ってから気がついた仕方のないことだけれどやっぱりちょっとさみしい思いがしたものだ

それから月日の過ぎた最近のある日夕食のときにぼんやりと見ていたテレビでサウナ特集が流れていたサウナが好きな芸人さん達の企画であちこちのサウナ施設が紹介されていた私は大して詳しくはないがサウナも好きなので一緒に見ている母とうわぁ暑そうだねとかここは有名な所だから知ってる!とか他愛もない会話をしながら見ていた

テレビの話題はサウナ自体から施設内の食事処で食べられる美味しいものの情報に移っていった今はサウナの食事処でも本格的な料理を出すところが増えているようで贅沢な食材を使った凝った料理が次々と紹介されていったそんな中に混じってものすごくよくありそうな見た目のラーメンがテレビ画面にアップで写った細く切り揃えられた野菜のたっぷりのったニンジンの橙やニラの緑やキャベツの薄緑やモヤシの白が鮮やかに映えるこっくりした味噌のスープが丼からあふれんばかりのラーメンが湯気を豪快にぶわっと立てている⋯⋯

あっ! これ縄文の味噌ラーメンだ!

母がそう叫んだ! そう言われてよくよく見ればそれは確かに昔あの細長いおんぼろの店内で私がすすった味噌ラーメンにそっくりなのだった

その味噌ラーメンを出しているサウナ施設はかつて縄文があったすぐ近くにあるどういう経緯であの味噌ラーメンがそこの食事処で出されるようになったのかは分からないがもしかしたらかつて縄文で腕をふるっていたひとが今はそちらにいるのかもしれない⋯⋯

もちろんよくある典型的な味噌ラーメンの見た目なのでもしかしたら全然関係ないかもしれないしかし母は縄文のだよ! 間違いない!と断言した

そのサウナは男性用の施設だから母も私も行って食べることはできないでも

縄文のなら食べられなくてもいいやもう味を知っているからね

母はそう誇らしげに言っていたもう食べられなくてもあの味がちゃんと残っているということが嬉しいようだった

うしなわれたと思っていたものがまだうしなわれていなかったふとしたときに分かったそのことは私と母に思いがけない懐かしさと嬉しさをもたらした

あの味噌ラーメンを出しているというサウナは最近時々レディースデイをやっていてその時なら予約しておけば入れるらしいだけどそうしてまでそこに食べにいくのは私や母にとっては少し違うかなと思う私や母にとってはあの味噌ラーメンは縄文の細長いカウンターで食べるものだったからただあの味とあの熱が今日も誰かのお腹を満たしているのだと遠くで思うだけで自分も温かく満たされたような気持ちになるもう私は食べられなくても今日も他の誰かが美味しく食べているのならそれでいいのだこれからもあの味噌ラーメンがたくさんのひとの普通で特別な一杯になっていてほしい

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寝る前の読書を愛する本好き。趣味で一箱古本市に出たり、ツイッターで本をオススメしたりしている。杜作品を読み人格OverDriveに憧れている。