正月に妹一家が帰省してしばらく滞在していた。 両親と私の住む実家に、 妹はときどき子どもを連れて帰ってくる。 それは仕事を休めないが保育園が休みの時などで、 要はじーじばーばを託児所代わりにしているわけだが、 じーじばーばは大喜びだ。 正月の帰省も妹の仕事の都合に合わせて約一週間ほどになった。 妹の子どもは男の子二人兄弟で、 小学校低学年と保育園のやんちゃ盛り。 いい子たちだけれど元気が有り余っていて、 一緒に遊ぶと後でどっと疲れる。 中年の私の乏しい生気をぜんぶ持っていかれる感じがする。 それでも気のいいかわいい子たちなので、 少しでもお世話ができるのは嬉しいものだ。
今回の帰省ではまず妹と子どもたちが先に帰省して、 妹はじじばば託児所を利用して数日仕事した後、 これまた年末ギリギリまでお仕事のパパが大晦日に合流するというスケジュールだった。 大晦日までじじばばだけでは体力が持たないので、 私が仕事休みの日は当然アシストが期待されている。 私の出番は一日だけだったけれど張り切って頑張った。 甥っ子達と公園に行き全力でブランコを押し、 追いかけっこをした。 少しは疲れてくれるかと思いきや、 奴ら元気で全然昼寝なんかしやしない。 じーじばーば私は交代で休みつつ、 息も絶え絶えで妹の帰りを待った。 世の中のママ達はこれが毎日なのだから大変だ。 翌日いつも通り出勤した私は、 あぁ世の中のママさんたち全員がおっしゃる通り、 育児よりも仕事のほうが全然楽だな⋯⋯としみじみ実感したものだ。
そしていよいよ大晦日、 私は妹一家が来ることが決まってすぐ 「今年の大晦日は職場近くの美味しい蕎麦屋で年越し蕎麦を買ってくるから!」 と宣言して、 連日しつこいくらい何度も念を押していた。 その宣言通り人数分の持ち帰り蕎麦を買って仕事から帰ると、 パパが合流して妹一家が勢揃いしていた。 早速前掛けをしめて待ち構えていた梅沢富美男気取りのじーじが蕎麦を茹でて、 食卓に並べてくれた。
「待たせちゃってごめんよ。 でもここのお蕎麦とっても美味しいから! 街でいちばん美味しいから!」
「そうなんだ! だからわざわざ買ってきてくれたの? 姉貴ありがとね!」
「見た目がもう美味しそうですよね! お姉さんいただきます!」
街いちばんの老舗の職人手打ちの細麺二八蕎麦は、 素人に茹でられて家庭用のプラスチックの盆と竹すのこの上に雑にあげられても、 老舗の貫禄を失わずに半透明できらきらぴかぴかと光って、 いかにも美味しそうにみえた。
一口すすった妹は
「うん! 美味しい!」
妹の旦那も
「これは美味しいですね!」
と言ってくれた。
「よかった~! この蕎麦屋さんめちゃくちゃ美味しくて評判で、 今日なんかすごい行列だったんだよ!」
ちょっと自慢しながら、 私はほっとしていた。 妹夫妻は食べることが大好きだ。 結婚前のデートではあちこちの美味しいと評判のお店を食べ歩きして回っていたという。 そんなふたりの食べっぷりがよくて、 美味しいと言ってくれたのはお世辞ばかりではないようで安心した。
妹の旦那は妹の話によると真面目で優しく、 でもかなり面白いひとのようだ。 そしてふたりとも共働きで仕事も家事も子育ても両立して郊外に一戸建ての家を買って暮らしている堅実なしっかり者で、 お似合いの素敵な夫婦だ。 そんなしっかり夫妻を前にすると全然しっかりしていない私はいつも何を話していいのやら分からないで困るのだが、 ちゃんと美味しい蕎麦を食べてもらうことに成功したので、 この大晦日は私もなんとか姉もしくは義姉として格好がついた気になれた。
パパママだけでなく甥っ子たちもたくさん食べてくれて、 お蕎麦はあっという間に綺麗になくなった。 食べ終わって皆で居間の炬燵を囲んで紅白をだらだらと見た。 子ども達は眠くなって脱落していき、 私も眠くなってちょっと寝るつもりが起きたら零時を過ぎていた。 平和で間抜けな年越しだった。
年が明けて元日。 この日だけは仕事が休みの私はちょっと遅く起きて、 自分の部屋から居間のある部屋に降りていくと、 皆はもう起きていた。
「おはようございま~す!」
「あけましておめでとうございます!」
皆で口々に新年のご挨拶の定型文を交わし合う。 甥っ子たちには忘れないうちにと真っ先にお年玉をあげた。 兄はそろそろお金の価値も分かってきている頃だが、 弟はまだ分からなくて興味がないようだ。 でもふたりともしっかり元気に 「ありがとう」 と言ってくれた。
さぁて! 今日も子守りを頑張りますか! 不肖この伯母め、 少々年は取ったもののまだまだ心は子ども! さぁ甥っ子たちよ! 共に遊ぶぞよ! ⋯⋯と思ったら、 甥っ子達はお年玉をパパママに預けて、 そのまま炬燵に入ったパパママのおひざに乗ってミカンを食べ始めた。
パパママはそんな子どもたちを愛おしそうに抱っこしている。 みんなで正月のテレビのしょうもない特番を見ながら笑っている。
それはまるで絵に描いたような、 お正月の典型的な幸福な家族だった。 その場所において、 家族でない私の存在は完全に浮いていた。
私は日本映画の中では 『男はつらいよ』 シリーズがいちばん好きなのだけれど、 それは私が寅さんの立場に自分を重ねているからだ。 下町人情あふれる温かなとらや一家のみんな。 優しくてしっかり者の妹さくら。 いつでも帰れる場所に、 何度でも帰ってくる寅さん。 けれど彼は何度でも旅立つ。 帰れる場所だけれどずっとは居られない場所。 ちゃんとした人たちのなかにいるフーテン者の居心地の悪さ。 わかるよ寅さん。 わかるともさ。 私だって同じだよ。 法事なんかで親戚連中みんなで集まれば私だけひとり明らかに浮いている。 今だって、 家庭も築かず一人暮らしも失敗し実家住まいで、 安月給のうえに何の経験にも資格にも繋がらない仕事に追われながらふらふらしている。 でも私こんなふうにしか生きられなかった。 寅さんだってそうでしょう。 お正月に私たちみたいな半端者の居場所なんて、 どこにもないよね。 そうだよね。
私は眠いとか雑煮を食いすぎたとか適当な言い訳を並べて、 自分の部屋にこもってゴロゴロすることにした。 実際本当に眠かったし食いすぎだった。 だけど本音は、 よそのおうちの団欒の空気に少々居心地の悪さを感じていたのだ。 それに、 妹も妹の旦那も私よりもよっほど高度で大変な仕事を日々頑張っている。 正月休みの家族団欒は束の間の貴重で大切な時間だろう。 そのじゃまをするのは悪い気がしたのだ。
甥っ子たちの遊びに付き合わなくていいのは体力的にとても楽だった。 枕元に積んだ読みたい本を読みたいだけ読んで、 眠くなったらそのまま眠った。 いつも通りの休日の過ごし方で、 特になんとも思わない。 明日からは私は仕事に行かなくてはならない。 今日だけでもゆっくり休めてよかった。
夕方になって、 そろそろいくらなんでも顔を出さないと大人としての社交辞令上よろしくないよなと思って、 自分の部屋を出て居間に続く階段を降りていった。 半分ほど降りたところで、 居間で話している妹と母の声が聞こえた。
「ねぇ、 姉貴に気を使わせちゃったかな?」
「どうして? 何かあった?」
「姉貴、 きょう一日中部屋に籠りっきりでしょ。 私達がずっと居間にいるから気を使っちゃったんじゃない? 大丈夫かな⋯⋯」
「そんなことないって、 大丈夫よ。 あいついつも休みの日は部屋に籠って本読んだり寝たりしているんだから。 いつもああなの。 あいつにはあれでいい休日なのよ」
「それならよかったけど」
あぁ余計な心配をかけてしまった。 申し訳なかったと思いつつ、 この人達はなんだかんだいっても私の家族なんだなと実感した。 私は昔から家族のなかでもひとりだけ毛色が変わっていてコミュニケーション力も劣っていて浮いていて、 誰も私のことなんか分かってくれないさとスネていた時期もあったのだけれど、 こういうとき実は家族はわけの分からん生き物である私のことを意外と分かっていることが判明する。 お互いぜんぶ分かり合うことは無理だ。 それは家族に関わらずどんな人間関係でもそうだ。 だけど、 思いやり分かりあおうとする対等な関係ならば、 全然分かってもらえていない! なんてことも意外と少ないのだ。 誰もが互いのことをなかなか分かりあえなくて、 でもちょっと、 ほんのちょっとだけでも、 分かっている部分はあるのだ。 きっと。
私は会話を聞いたことが分からない程度に、 不自然でない程度にしばらく時間をあけて、 居間に降りていった。 「ねーちゃんだ!」 「ねーちゃん!」 親とテレビに飽きた甥っ子たちが駆けよってくる。
「よっしゃ遊ぶか!」 やっと私の出番がきたようだ。 私は甥っ子たちに混じって一緒に遊ぶ。 とても大人が子どもと遊んであげているようなきちんとした状態じゃない。 彼らとおんなじ目線で一緒に遊んでもらう。 じーじが大量に買ったトミカを転がしたり、 お絵かきをしたり、 ボールを投げっこしたり。 大好きなお絵描きをしている甥っ子弟が 「うんこ!」 と言ってゲラゲラ笑いながらいびつな円をいっぱい描いている。 「うんこはね、 茶色で塗るといいよ」 と私が茶色のカラーペンを渡すと、 甥っ子兄は 「なんでそんな悪いこと教えるんだよ!」 とこれまたゲラゲラ笑った。
甥っ子たちよ、 もう知ってはいると思うが、 私はね、 普通の大人じゃないんだよ。 君たちは両親のように、 きちんとした大人になるんだろうな。
「こらあっ! あんたたち何ふざけてんの! 姉貴も変なこと教えない!」 妹が笑いをこらえつつわざと演技でブチ切れている声が聞こえて、 私と甥っ子たちはまたゲラゲラと笑った。 私はこんな悪い大人でフーテン者だけど、 君たちのために私ができることがあるとすれば、 それはきっと普通の大人にはできないなにかなんだろう。 まだ幼い君たちには、 心の片隅ででも覚えていてほしい。 世の中にはいろんな大人がいるんだよ。 だから君たちが大人になったとき周りに私みたいな不器用なのがいても、 そういうもんだと思ってちょっぴりだけでも許してやってほしい。 そしたらこの世界はきっと、 誰にとっても少し歩きやすくなるはずだから。
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