大学生のときに、 間違ってワンダーフォーゲル部に入ってしまった。 ワンダーフォーゲルとは戦前にドイツの学生が始めた野外活動で、 最初はみんなで野山に出掛けて歌を歌ったりしていたらしい。 ワンダーフォーゲルという言葉はドイツ語の 「渡り鳥」 なので、 若者が渡り鳥のように野山を旅するくらいの意味で名付けられたのだろう。 日本では同じワンダーフォーゲル部 (略してワンゲル) でも学校によってハイキング感覚のところから本気の登山部まで様々で、 私の母校のワンゲルは若干登山寄りだった。 冬山登山こそ禁止されていたが、 それは過去に死人が出ていたからだ。
私は登山にはほとんど興味はなく、 ワンゲルなど存在すら知らなかった。 本当は落語研究会に入りたかったのだ。 なのに部室棟に行ったら落研の部室は閉まっていて、 隣のワンゲルには誰かいたので軽い気持ちで覗いたら大歓迎されて、 旅は好きだからいいかなとそのまま入部してしまった。 山登りは遠足の高尾山くらいしか経験がなかった。 本格的な登山の過酷さを身をもって知るのは数ヶ月後の初めての長期夏合宿になる。 その頃には環境にすっかり慣れてしまっていて、 しんどいと思っても辞めるという選択肢はなくなっていた。
なんだかやたら校内を走ったり筋トレしたりするし、 先輩達に見繕ってもらって買ったザックの容量は八十リットルもあるし、 その中にわざと水やら石やらを入れて重くして担がせるし、 短期合宿ではその状態で山を登らされるしで、 ちょっと山登りするくらいでおおげさだなぁと思っていた。 完全に山をナメていた。 夏合宿の期間が予備日を入れて九日間と聞いたときも、 長い間旅に出られることのほうにわくわくしていた。 その長い期間を自分で荷を背負って自分の足で歩き通すことの大変さについては、 全く考えていなかった。
この年の夏合宿は、 少しマイナーで標高も低めの山での縦走だった。 だから油断していたところもあったかもしれない。 だが、 この合宿で選ばれたルートには標高だけでは測れないキツい箇所があった。 恐怖の藪こぎルートだ。
藪こぎとは、 登山道のついていない草木の生い茂った藪の中を掻き分けて進んでいくことで、 これのキツさはもう、 やったことのあるひとでなければ絶対にわからない。 私も事前に話を聞いていた時にも 「ふ~ん、 そりゃちょっと疲れそうだなぁ」 くらいに思っていた。 その想定の一億倍大変だった。
実際に現地に行って尾根に取りついて上がっていくと、 藪というものは近所の河原の膝くらいの丈の雑草が生えている野原のようなものではなくて、 胸の高さから背丈を超えるような笹がびっちりどこまでも隙間なく生えている、 密林のような厳しい場所だった。 獣道さえロクについていない笹の群れの中を、 笹を掻き分け掻き分け登っていく。 そう、 平地ではなく、 山なのだ。 傾斜がついているのだ。 ただ笹を掻き分けるだけでも大変なのに、 傾斜をよじ登っていかなければならないのだ。
笹は固くて、 手で押し退けて登ろうとしても強い力で反発してくる。 踏み倒して進もうとすれば滑る。 先を行く先輩が何度も滑り落ちてくる。 私も何度も滑り落ちる。 そのたびに笹を掴んで踏みとどまる。 軍手をはめた手で掴もうとしても笹はつるつるすべる。 全然進めない。 それでも一歩一歩歩くしかなかった。
一日目はずっと藪の中を登った。 藪の中なのでトイレなどない。 行きたくなったら仲間に告げて誰もいないほうに行って軽く穴を掘って済ませてくる。 びっちり笹の生えた斜面なのでやりづらいことこのうえない。 そういう用足し以外でも一時間に一回は小休憩を挟むのだが、 藪の中なので全然休まらない。
夕方にやっと広くて平らな場所に出た。 冬はスキー場になるところで、 そこだけは定期的に草刈りがされているようで、 短く切り揃えられた夏草の平原に止まったリフトがそびえ立っていた。 平らな地面を普通に歩けるというだけでとても楽だった。 テントを張って夕食を作って食べる。 水は貴重で皿は洗えないので、 飲み水を少し入れて食べ滓をこそげ落とし、 その水を飲み、 最後に皿をトイレットペーパーで拭く。 風呂には山を下りるまで入れない。 食べたら少しの自由時間の後に寝る。 地べたに張ったテントの中でウレタンマットを敷いて寝袋にもぐり込んで寝る。 マットを敷いても地面は固くて寝心地は悪いけれど、 疲れていたのでなんとか眠れた。
朝は日が昇る前に起きて朝食をしっかりと摂り、 朝日が昇るころには歩きだす。 テントを畳んで平らな地面に背を向けて、 また藪の中に入っていく。 この日も笹の中を出たり入ったりを丸一日繰り返して、 じわじわと高度を上げていった。 その間、 自分たち以外の誰とも行き合わなかった。
三日目の朝、 相変わらず笹だらけの藪を少し進んだところで、 急に視界が開けた。 稜線に出たのだ。
峰沿いにはしっかりとした登山道がついていた。
歩ける⋯⋯。 笹の生えていない空間を歩ける⋯⋯!
たったそれだけのことで、 天にも昇るような心地だった。
向こうから、 ザワザワとした人工的な音が聞こえてきた。 三日ぶりに聞く人間の発する音は、 風にざわめく笹の葉の音や木々の枝の音とは全く違う異質なものだった。 たった三日ぶりだというのに、 何年ぶりかに聞いたかのように思えた。 音は私たちが向かおうとする道の先からこちらに向かってだんだんと近づいてきた。 やがて音の主の姿が見えてきた。
それはラジオを流しながら早いペースで歩いてくる登山者だった。 かなり山に慣れている様子の少し年配の細身の男性だ。 ちいさくまとまったザックにウエストポーチ。 白い T シャツにタイトな黒のスパッツ。 無駄のない動きでさくさくとこちらに向かってくる。
「こっ! こんにちはっ!」
思わず挨拶の言葉が口をついて出た。 山ではすれ違うひとに挨拶するのがルールだ。 今までは義務的にしていた挨拶を、 はじめて自分からしたくて声に出した。 男性は軽く頷いてすれ違っていった。
自分でも信じられないくらい、 泣きたいような安堵感に包まれた。 まるで地球に自分たちだけ取り残されたような気持ちになっていたことに気づいた。 無人島に流れ着いたロビンソン・クルーソーが船を見つけて手を振ったときの気持ちはこんなふうだっただろう。
あのとき強く思った。 自分は全然人間の気配がないところでは生きていけないのだと。 都市のなかでたくさんの人間に囲まれて暮らすと苦痛もあるけれど、 全く誰の気配もないところでは、 私は生きられないのだ。 ただすれ違うだけだった知らないひとたち、 街や駅や大学やコンビニですれ違う無数の知らないひとたちの気配が、 こんなにも自分に必要なものだったとは。
二週間の縦走を終えて山から下りた後、 世界は私の目に全く違って見えた。
食べるものすべてが美味しかった。 お風呂で身体を洗えることが快感だった。 地べたにマットと寝袋ではなく柔らかい布団にもぐりこむといくらでも眠れた。 野糞ではなく綺麗な水洗トイレを使えるのが夢のように便利だった。 スーパーのおばちゃんもコンビニのお兄さんもマックのお姉さんも 「ありがとう」 と言ってくれるのが嬉しかった。 泣きたいほど嬉しかった。 しばらく何にでも感動しまくって情緒が不安定だった。
あのときの極限のような経験は、 私の価値観やらなんやらを根底から覆すようなものだった。 あれから社会人になって、 山の暮らしとはまた別の辛さもたくさん経験した。 何でも山の辛さと比べたら楽に感じるわけではない。 いつも無数の他人の気配を気にする店員の仕事をしていると、 いっそもう一度あの藪の中で誰にも会わずにひとりでサバイバル生活をしたいと思うくらい他人の存在に疲れることもある。 けれども、 あの極限状態を知っていると、 なんだかんだ人間のなかで暮らすことで自分は守られているのだと思う。
そして、 もう究極にすべてがいやになったら、 私は本当にひとりでサバイバル生活もできるだろうと思う。 テントと鍋釜、 水の濾過器や野菜の種でも持って、 人間の入ってこられない無人島や山奥の廃墟なんかに籠っても生きていけるよなぁ、 生きていればどこでもどうとでもなるよなぁ、 という確信がある。 腹のなかにそういう変な覚悟があることで、 妙に気持ちが楽になるときがある。 あのときした発狂寸前の苦労も、 今思えば経験しておいてよかったのかもしれない。
だがしかし、 そんな私が、 最近うらやましくて妬ましくて仕方ない事柄がある。
「グランピング」 と 「ゆるキャン」 です。 キェーッうらやましい! 私も青春時代にチャラいサークル仲間とキャッキャしながら設備の整ったキッチンでアヒージョとか作って綺麗に草刈りされた気持ちのいい平らな地面で焚き火かこみながら山を眺めながらパーティーしたかったよ! やっぱりしなくていい苦労ならしないほうがいいんだよ! ちきしょー!

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