チャールズ・ブコウスキー

1920年8月16日 - 1994年3月9日
米国の作家。二歳でドイツから米国へ移住。大学離籍後、さまざまな職業を経て’52年から’70年まで郵便局に勤務しながら創作を続ける。ブラックスパロウ・プレスのジョン・マーティンと出会い、執筆に専念。白血病で亡くなるまで50冊に及ぶ詩集や小説を発表した。

書こうとするな、ただ書け──ブコウスキー書簡集

わたしは作家になろうと必死で努力していたわけではなく、ただ自分がご機嫌になれることをやっていただけの話なのだ。
「自分がどうやってやってこれたのかよくわからない。酒にはいつも救われた。今もそうだ。それに、正直に言って、わたしは書くことが好きで好きでたまらなかった! タイプライターを打つ音。タイプライターがその音だけ立ててくれればいいと思うことがある。」(本文より) カルト的作家が知人に宛てた「書くこと」についての手紙。その赤裸々な言葉から伝説的作家の実像と思想に迫る、圧倒的な書簡集。

英雄なんかどこにもいない

ブコウスキーのすべてが濃密につまった奇跡の一冊。つねに社会を挑発し、不穏なまでに暴力的で、あらゆることを嘲り、当然ながらおそろしく不敬。しかし、それはいっぽうで恐怖や孤独あるいはコンプレックスを抱えながら生きていくひとつの術でもあった。あらゆる小さなものたちへの愛を忘れずに生きたアウトローが私たちに遺した反骨と慈愛にみちた悲しくも美しい珠玉の39編。

ありきたりの狂気の物語

なぜか酔いどれの私が付添人を務めることになった結婚式のめちゃくちゃな顛末(「禅式結婚式」)。残業だらけの工場を辞め、編集者として再出発した男がやらかした失敗の数々(「馬鹿なキリストども」)。何もかもに見放された空っぽでサイテーな毎日。その一瞬の狂った輝きを切り取った34の物語。伝説的カルト作家による愛と狂気と哀しみに満ちた異色短篇集。

ブコウスキー・ノート

激動の60年代。66~67年にロサンジェルスのアングラ新聞『オープン・シティー』に書いたコラムから40篇を収録。小説あり、エッセイあり、ルポあり、自伝あり。ブコウスキーの姿がよく表れた1冊。

ブコウスキーの酔いどれ紀行

テレビに出れば泥酔して共演者を怒らせ、朗読会を開けば聴衆に罵られ、ホテルで騒いで叱られる。家に帰りたいとゴネながら、毎日が二日酔い。伝説的カルト作家による、酔いどれエピソード満載の紀行エッセイ。人生を嘆き悲哀を滲ませるブコウスキー節が全開。本人の貴重な写真や詩も多数収録し、ブコウスキー文学のエッセンスがぎっしり詰まった一冊。

パンク、ハリウッドを行く

呑んだくれ詩人である著者の分身・チナスキーが、ハリウッドで映画作りのまっただ中へ…。赤裸々な自己の人生を重ね合わせた、破天荒で奇抜、軽妙にして含羞に富む映画製作物語。

ポスト・オフィス

郵便システムの末端で働くチナスキー。本音を言えば即座にはじき出される建前会社に感じる疑問や不条理さを、持ち前の過剰なるハイテンションでやり過ごす。休職してまで競馬場に通い、林立する酒瓶の中で女と笑って過ごす日々―。ささやかでありふれた欲望を包み隠すことなく、自由に誇張することなく描いたブコウスキーの自伝的処女長編。

勝手に生きろ!

一九四〇年代アメリカ。チナスキーは様々な職を転転としながら全米を放浪する。いつも初めはまじめに働こうとするが、過酷な労働と、嘘で塗り固められた社会に嫌気がさし、クビになったり自ら辞めたりの繰り返し。そんなつらい日常の中で唯一の救いは「書くこと」だった。投稿しては送り返される原稿を彼は毎日毎日書きつづける。嘘と戦うための二つの武器、ユーモアと酒で日々を乗り切りながら。ブコウスキー二〇代を綴った傑作。映画『酔いどれ詩人になるまえに』原作。

死をポケットに入れて

老人力全開!ブコウスキー、最晩年の痛快日記。老いて一層パンクにハードに突っ走るBUKの痛快日記。五○年愛用のタイプライターを七○歳にしてMacに変え、文学を、人生を、老いと死を語る。カウンター・カルチャーのヒーロー、R・クラムのイラスト満載。

パルプ

バーと競馬場に入りびたり、ろくに仕事もしない史上最低の私立探偵ニック・ビレーンのもとに、死んだはずの作家セリーヌを探してくれという依頼が来る。早速調査に乗り出すビレーンだが、それを皮切りに、いくつもの奇妙な事件に巻き込まれていく。死神、浮気妻、宇宙人等が入り乱れ、物語は佳境に突入する。伝説的カルト作家の遺作にして怪作探偵小説が復刊。