夜の雑記帖

連載第22回: 異境の一ツ星グルメ

Avatar photo書いた人: 一夜文庫
2023.
01.14Sat

異境の一ツ星グルメ

以前書いた私の唯一の特技全然知らない街を適当に歩いて良い本屋にたどり着くは今日も健在で私の脳についている本屋探知レーダーは今日も元気に稼働しているがかつて私にはもうひとつ便利なレーダーがついていた美味しいお店を発掘するレーダーであるふらっと入った店で不味いものが出てきたことはまずないどの街に行ってどんなにさ迷っても自分の入るべき美味しいお店を自力で見つけることができた

グルメサイトのクチコミなど私は一切見ない私には必要ない自分にとって真に美味しいものは自分の足と舌で見つけるべきだそしてその経験によって私のレーダーはさらに研ぎ澄まされるだいたいあの誇らしげにクチコミを書き込んでる奴らはどいつもこいつも何も分かってないくせに通ぶりやがって私の大好きなラーメン屋にも大好きなパン屋にも☆一つ付けた奴がいるラーメン屋はいつも行列のできる人気店だがどんなに混んでいてもいつも最高のクオリティだしパン屋は国産小麦と天然酵母で牛乳不使用なのに完璧な焼き上がりでどのパンもいつも争奪戦になるのに味音痴は背脂だのニンニクだの生クリームだの砂糖だので簡単に騙されやがる添加物舌で頓珍漢なコメントを書き散らす奴らは永久にファミレスとマックから出なければいいのにミスタードーナツは元々アメリカのチェーン店だったがそれを知らない奴が唯一残るアメリカのミスタードーナツのクチコミにモチドーナツたぶんポン・デ・リングのことがないと書いて☆一つ付けるゲイシャコーヒーは高級豆のブランドだが知らない奴が専門店の前でインバウンド客に媚びやがってと大声で話す人間は自分の狭い知識の中で簡単に勘違いするその勘違いを気軽に全世界に向けて発信することの怖さと恥ずかしさを我々はもっと認識するべきだ⋯⋯とさんざん毒づいてしまったが実際クチコミなんて当てにならない店側に与える結果も考えず何でも気楽に書き込んで平気でいられる神経の人間の書いたことなんてそいつのその時の一時的な気分でしかないかもしれないたまたま体調が悪くて味覚が鈍っていたりとかもしかしたらホルモンバランスでも乱れてイライラしていた奴のただの八つ当たりかもしれないのだプロの料理人でもない素人さんの気分に何の根拠もないその書き込んだ奴らの好みと私の好みは違うのだ自分の足で行って自分で味わってみなければ自分にとって本当に美味しいかどうかなんて分からない

そうやって自分の足と舌で培った私のレーダーは外れない!外れるわけがない!⋯⋯と思い込んでいたそうあのラーメン屋に入るまでは⋯⋯

ある日家族が全員出かけていたのでそれならひとりで外食しようと近所の商店街に出かけたそういうときにたまに行く美味しい居酒屋があるのだ昔ながらの木造の古い二階建ての店は黒光りする年季の入った木戸を開けて入るのに一瞬ためらうが入りさえすれば極上の美味しいものパラダイスが広がっている一応看板はトンカツ屋ということになっているのだが刺身も煮物も天婦羅もあるそして何を頼んでも旨い私はあんまりお酒は飲めないけれどここで梅干しハイを一杯頼んで自家製塩辛や空豆やアジの刺身や桜エビの天婦羅をつまみ最後カニクリームコロッケかカツカレーでしめるのが最高なのだ今日は何を食べようか新しいメニューを開拓してもいいな旬の食材も入っているかもそろそろ朝晩は冷え込む季節になってきたからもう白子やあん肝もあるかもしれないなあぁ楽しみだなぁ⋯⋯

のんびりと自転車を漕いで店の前まで行くと⋯⋯ちょうど大将がのれんをしまっているところだったコロナの影響で時短営業をしている時期だったのだ

呆然と自転車を止めた私の前でのれんを抱えた大将の背中が店の入口の木戸に吸い込まれていった扉が閉められ看板の照明が落とされた

⋯⋯私の塩辛ほどよく漬かった塩辛⋯⋯丸々一匹ぶん姿造りになって出てくるアジの刺身⋯⋯揚げたて熱々カリカリの桜エビの天婦羅⋯⋯あったかもしれない白子やあん肝⋯⋯とろとろサクサクのカニクリームコロッケ⋯⋯うぅ⋯⋯ささようなら⋯⋯

ガックリと肩を落とした私はまた自転車にまたがった

脳内では完璧にあのカニクリームコロッケの味が再生されていたのに⋯⋯完全に当てが外れたこれからどうしよう私はとりあえずふらふらと自転車を走らせた目的地なんてない全くノープランだ

適当に走っていると少し先の小道の端にやけに古ぼけた平屋の建物があるのが目に入った白いのれんが出ているどうやら飲食店らしいそれにしても古い建物だ築三十年は超えているだろう気のせいか少し傾いて見える

自転車を走らせて近くまで寄ってみる庇の上に掲げられた看板にはペンキの文字のくすんだ◯◯軒という店名金色の金属製の格子戸に曇り硝子のはめられた扉と窓昔ながらのラーメン屋のようだもしかしたら隠れた老舗の名店かもしれない何しろこんなに建物が傾くくらい長く営業しているのだからそのわりにのれんは白くて綺麗なのが店のプライドを感じさせるよし! ここで出会ったのも何かの縁今日の夕御飯はここにしましょう

ガラガラガラ⋯⋯と金属の戸を開けた⋯⋯閉めたくなった

綺麗なのは外ののれんだけだったくすんだ壁紙はいたるところ染みだらけ狭い店内に五つほどあるテーブルはそのうち四つがモノに埋もれていた食器書類らしきもの新聞紙の山漫画雑誌の山灰色がかった脱ぎっぱなしの白衣飲みかけのお茶の入った湯呑み吸殻いっぱいの灰皿収納用に使われている様子のいくつも積み上がった贈答品のお菓子やお茶の空き箱らしき紙箱は色あせているかろうじて客席としてひとつ開けられたテーブルの上に黄ばんだプラスチックの割り箸立てと薬局で売っている一番安いボトル入りのアルコール消毒液⋯⋯

ここは絶対にヤバい私のレーダーが異常を感知しているさっきの隠れた老舗の名店かも反応はエラーでしたと表示されている脳内で激しい警告音が鳴り響いている

だが扉を閉めて帰ることは私にはできなかった開けた瞬間ちょうど店内奥の厨房らしき暗がりから出てきた店主と目が合ってしまったからだ

⋯⋯いらっしゃい!

一瞬ちょっとビックリした顔だった店主はすぐにすごく嬉しそうな顔になり私にただひとつ空いた席を指し示した

⋯⋯どうも⋯⋯⋯⋯

どうみても七十歳は過ぎている店主のおじいちゃん一応かぶっている厨房用の紙のコック帽の下はたぶんつるっぱげだろうラーメンの栄養のおかげか少しぽっちゃりめの体型でしわしわの顔を笑顔でもっとしわくちゃにしている左上の犬歯が一本抜けている人の良さそうなその笑顔を見てしまったら素直に座る以外のことは私にはできなかった

席はひとつしか稼働していないというのにメニューは店内のいたるところに貼られていた元は白かったであろう黄ばんだ紙に少し角ばった字で黒マジックで手書きされているラーメン四百円ワンタンメン五百円チャーシューメン七百円ギョーザ二百円安いいつからお値段据え置きなのだろう安すぎて怖い

いつもの私ならワンタンメンを頼むところだワンタンのつるつるの皮が大好きだぷりぷりの具も大好きだ

⋯⋯ラーメンください

あいよ!

ワンタンは大好きだがそれは普通のラーメン屋のものに限るここで頼んでまともなワンタンメンが出てくる気がしない安全策を取った返事は元気な店主だったがふらふらよろよろと厨房に向かう足取りはめちゃくちゃ頼りなかった

ラーメンを待つ間私は祈ったちゃんと食べられるものが出てくることを祈った店内の様子はなるべく視界に入れないようにした不安が増すからだあと何か見てはいけないものを見てしまいそうだからだ

しばらく待った永遠に感じられたとまではいかないがラーメン一杯のみのわりには結構待った

はいぃぃぃラーメン! お待ちどおぉさま

いそいそと店主が両手で丼を持ってきてくれた幸いにして指が汁に浸かっているような昭和のベタなスタイルではなかった大丈夫かも⋯⋯と一瞬安心した私は丼を覗いて固まった

これは醤油ラーメンだろうか? それとも味噌ラーメンだろうか? 醤油と味噌の中間のような濁った赤茶色の液体が丼を満たしているウチの肉じゃがの煮汁はこんな色だな真ん中に乗ったナルトは普通のナルトで安心感を覚えるが散らばったメンマがどす黒い濃い色をしている褐色にほんのり緑掛かった小さいチャーシュー片が一枚浮いている一枚だけでよかったチャーシューメンにしなくて本当によかった

店主のおじいちゃんはうきうきした足取りで飲みかけのお茶と書類で埋まったテーブルに座って新聞を広げたこちらのことは放っておいてくれる方針のようだしかし何となく気遣わしげな気配を感じる全然食べないで出ていったらおじいちゃんは泣いてしまうかもしれないこうなったら腹をくくるしかない

色褪せた箸立てから割り箸を取って割った麺をすすってみるちゃんと温かいごく普通の中太麺だスープもレンゲですくってちょっぴり飲んでみるたぶん醤油ベースだと思うやっぱり肉じゃがの煮汁のようなほんのり甘い味のような気がする薄くてよくわからないというか味わいたくない舌が全力で詳細な味を感知するのを拒んでいるチャーシューをかじってみる火を通した肉の繊維の風味がするからどうやら大丈夫だろうメンマを一本かじるメンマとは元々そういうものかもしれないけれどやけにヌメヌメしているもう一本箸でつまむ何か白い粒々がついているけどこれは旨味成分の塊なのかそれとも⋯⋯いやこれはもうやめようスープの底に沈めておこう

とにかく麺だけは全部食べたその間の記憶はあまりない思い出したくない

ごちそうさまでした!とおじいちゃんに四百円払って私はゆっくり戸を開けて外に出たそして自転車に飛び乗って全速力で家に逃げ帰った

家に帰って正露丸を飲んで半泣きで寝た絶対にこの後おなかが大変なことになると思ったまだ何の症状も出ていないのに正露丸を服用したのは私のこれまでの人生でこの時だけである

そして翌日⋯⋯私のおなかはなんともなかった正露丸が効いたのか私が丈夫すぎるのか実はあのおじいちゃんは店内を片付けるのは下手だがラーメンはちゃんと衛生的に作れる人だったのか今となっては分からないもう永久に分からない分かりたくもない⋯⋯

さてそれから数ヶ月後あの日のトラウマもだいぶ癒えた頃私はたまたまあのラーメン屋の前を通り掛かったそして衝撃の光景を目にした

ちょっとくたびれた服装のおじさんがあのラーメン屋まで歩いてきてひょいとのれんをくぐって戸を引いて慣れた様子で入っていったのだそれはごく普通の常連客がするようなごく自然な所作だった

あの店に通っている客がいるなんて⋯⋯

私には衝撃が大きすぎたのだがしかし確かに誰も客が来なければ店は潰れているだろう安さが理由なのか何なのか分からないがあの店にもちゃんと客がついているのだ少数の稀有な常連客によってあの店は細々と支えられているのだ⋯⋯

さて私が激しく憎むグルメサイト書き込み野郎たちはうっかりこのような店に入ってしまったらどうするのだろうかたぶんまず戸を開けた瞬間に閉めて帰ると思うのだがもし私のように帰れずに食べるハメになったとして彼らは☆一つ付けてクソミソに酷評できるのだろうか私はできないと思うのであるもう明らかに飲食店としての営業を終了している店の弱者らしきおじいちゃんにトドメを刺すことなど奴らにできやしないだろう⋯⋯だからクチコミなんて全然あてにならないのだ

さてそんなわけで私の美味しいお店を察知するレーダーはこのラーメン屋の衝撃で壊れた

壊れたというか外食すると美味しくなくはないけど注文を間違えられたり食べたいメニューが品切れだったりといったトラブルにあうようになってしまったのだそれくらいならまだいいのだが回転寿司でネギトロを食べたら冷凍パックの一部であろうビニール片が入っていたりカレー屋でラッシーを飲んだらスチールタワシ片が入っていたりと異物混入にも頻繁に遭遇するようになった

これはもう理屈ではなく験担ぎのようなものでしかないのだがとんでもない外食貧乏神に取り憑かれてしまった気がするどうしたら元に戻るのか分からないもしかしたらもう一度あのラーメン屋に行ったら衝撃でまた元に戻るのかもしれないでも⋯⋯

一生センサーが直らなくてもいいからもう二度とあのラーメンは食べたくない


寝る前の読書を愛する本好き。趣味で一箱古本市に出たり、ツイッターで本をオススメしたりしている。人格OverDriveに憧れてダメ元でお願いしたら書かせて頂けることになってしまい震えている。永遠の前座。
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