とにかく変な人ばかり出てくる本だった。 帯にノンフィクションと書いてあるが本当だろうかと何度も疑った。 自称提督、 街角で怖い説教をする聖職者、 ジプシーのファミリーをたばねる王、 クラブに集うろう者たち、 ホンビノス貝を採る漁師達と仲買人、 テラピンという食用の高級な亀の養殖をする人、 カリプソ・キングの歌手、 そして色々な人にタカりながら 『口述史』 という長い長い作品を書き続けているジョー・グールド。 どいつもこいつも個性が爆発している。 とても実在した人間だと思えないのだが、 確かに実在していたようだ。 著者のジョゼフ・ミッチェルは新聞記者を経て 「ニューヨーカー」 誌のスタッフライターとなった人物で、 街の人々に取材して書いた記事が本書収録の作品である。 収録作が書かれたのは 1939 年から 1964 年までで、 変人達の蠢く背後から当時の古き良きニューヨークの街の空気がたちのぼってくるようだった。
ろう者や漁師やカメ養殖の人はきっと本当にいたであろう勤勉な市井の人々という印象だったが、 その他の人々というか野郎どもがめちゃくちゃな生き方をしていて、 これでやっていける当時のニューヨークの懐の広さがすごいと思った。 何より表題作の 「ジョー・グールドの秘密」 に登場するジョー・グールドが凄まじかった。 一応物書きを志す人ではあるのだが、 実際ほぼタカり野郎である。 ジョゼフもよくこの人物に付き合ったものだ。 本作はジョゼフ・ミッチェルの最高傑作と言われているそうだが、 筆力より何よりまずジョゼフにかなりの忍耐力がなければこの傑作は生まれなかっただろう。
ジョゼフがジョー・グールドに魅せられたのは、 自分に似たものを感じたからだと作中に書かれている。 そしてジョゼフはグールドの毒気にあてられたかのように、 この作品を最後に 「ニューヨーカー」 にいっさい記事を書かなくなったという。 しかも 「ニューヨーカー」 にずっと雇われた状態で出勤もしていたのに、 三十一年と六ヶ月の間まったく記事を書かずにいて、 その後亡くなったそうだ。 オフィスの部屋からはタイプライターの音がしていて何かを書いている気配はあったらしいが、 一本のコラムすら発表しなかったという。 実はジョゼフがこの本でいちばんヤバい人かもしれない。
ジョー・グールドの人となりや最後、 何より彼の 『口述史』 の真実について暴かれる部分は胸が痛むようないたたまれないような気持ちになった。 だが最後、 青山南による解説 「ミッチェルの秘密」 のなかで書かれた 『口述史』 についての事柄を読んで、 私はかなり救われた気持ちになった。 ジョー・グールドが人生をかけて残したものは、 やはり存在したのだ。 書かれた言葉、 生まれた言葉はそう簡単には消えない。 ジョー・グールドは、 ジョゼフ・ミッチェルは、 彼らの記事が東洋の島国にまで翻訳されて読まれる未来を想像しただろうか。 言葉は、 文章は、 作品は、 思いもよらない時に思いもよらないところに流れ着く。
私は今のニューヨークには全く興味がないが、 本書を読んでこの時代のニューヨークなら行ってみたいと思った。 あまり綺麗ではなさそうな街角、 薄暗い酒場に漂う紫煙、 賑わうダイナー、 簡易宿泊所とそこにいるノミ、 そこに泊まる汚れた古着を着たジョー・グールド⋯⋯。 ネガティブな要素ばかりなのに、 私には不思議と魅力的に思える。 ジョゼフはもはやどこにもないあの頃のニューヨークの空気を切り取って作品に封じて、 時を経て今も私達の元に届けてくれるのだ。