自分の書いたものは普段あまり読み返さないのだけれど、最近まとめて読み返している。イベント用の冊子を作るためで、そんなことでもないとズボラな私は書き終わったものはほとんど読まないので、いい機会かもしれない。
読み返すとしみじみ思う。
私は、私の書くものは、凡庸だなぁ。
空が青いとか、雲が白いとか、そんな当たり前のことを当たり前に書いているだけみたいだ。
だけど、たぶん私はそれでいい。
今日も仕事を終えて帰宅して飯を食って風呂に入ってこれを書いている。凡庸な毎日の繰り返し。なるべく心穏やかにしていたいけれど、全然なにごともないなんていう日はめったにない。仕事で困ったひとに絡まれたり、うっかり書類に記入もれしたり、物をこわしたり。自分にふりかかることや自分でやらかしたことでなくても、広いこの世界にストレスを感じてしまうこともある。街で右往左往する観光客の女の子たちを怒鳴りつけるひとを見た。電車の遅延で駅員に難癖をつけるひとを見た。 SNS で誰かの発した差別的な発言が流れてきた。世界では毎日いろんなことが起きる。でももし何かがあっても、少しの間テキストメモを開いて文章を打ち込んでいれば、少なくともその間はそのことを考えなくてすむ。
いやなことを忘れることは難しい。楽しいことや嬉しいことがあっても、そのときの気持ちはすぐに溶けるように消えてしまう。苦さや痛さのほうが感じやすくて長く残る。それも必要なことなのだろう。でも、少し疲れたら、ひととき違うことを考えることも、もしかしたらできるかもしれない。
楽でも苦でもない、なんでもない些細なことを。
私は青い空を青いと書く。
白い雲を白いと書く。
おひさまがあついくらいあたたかい日のことを、満月がこわいくらいおおきい日のことを、星も見えない都会の夜を、その都会を白々と照らす街灯の光のことを書く。
いつもの日常のなかにあることを書く。
春になってあたたかいなぁとか、そろそろたけのこごはんが食べたいなぁとか、桜の花はまだかなぁとか、そんな当たり前の凡庸なことを書く。
そんな当たり前の凡庸なことでも、そのことを頭に浮かべていたら、少なくともそのときだけはそのことだけを考えていられる。
梅が咲いて散った。
いまは河津桜が見頃だ。
木蓮の白い花も開きだした。
すぐに桜も咲くだろう。
この季節の花は目まぐるしく移ろう。冬が去れば春の訪れは怒涛のようで、次々と芽吹き花開き散っていく。私はそれを、そのまま書く。淡々と。
今夜は少しすずしくて少しあたたかい。気持ちのいい春の宵です。
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