たとえば西洋人がこれは立派な詩だとか、 口調が大変好いとかいっても、 それはその西洋人の見る所で、 私の参考にならん事はないにしても、 私にそう思えなければ、 到底受売をすべきはずのものではないのです。 私が独立した一個の日本人であって、 決して英国人の奴婢でない以上はこれ位の見識は国民の一員として具えていなければならない上に、 世界に共通な正直という徳義を重んずる点から見ても、 私は私の意見を曲げてはならないのです。 (『私の個人主義』)
私はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってから大変強くなりました。 彼ら何者ぞやと気慨が出ました。 今まで茫然と自失していた私に、 此所に立って、 この道からこう行かなければならないと指図をしてくれたものは実にこの自我本位の四字なのであります。 (『私の個人主義』)
2020 年 5 月、 ミネソタ州の警官によるジョージ・フロイド氏の死をきっかけにアメリカのブラックライヴズマター(BLM) の抗議運動が盛り上がった。 運動は世界中に広まり、 日本でも知られるようになった。 ハイチ系アメリカ系日本人の有名テニス選手が抗議に参加したこともあいまって、 日本のメディアでも積極的に取り上げられた。 私のツイッターのタイムラインでも (偏りは否めないが) 意見表明をする日本人は多かった。 私は不思議な思いでその光景を眺めていた。
アメリカ国内の複雑な人種間の軋轢など日本に暮らしていて簡単に理解できるわけもないのに、 まるで自分のことのように嬉々として語る人というのはどういう心性をしているのだろう、 と。 その精神構造が不思議だった。 彼らが自分を白人側に置いているのか黒人側に置いているのかも分からなかった。 脱亜入欧した名誉白人として白人の側に? それとも被害者の味方として黒人側に? でも、 日本人は黒人でも白人でもない。 立派な黄色人種だ。 ( 当然これは極端な単純化であり、 黒人である日本人も白人である日本人も、 黄色人種と自己同一化しない日本人もいる。 ) アメリカ国内で勤勉に努力する態度により 「模範的マイノリティ」 と揶揄されるアジア人だ。 しかし、 模範的であろうとなかろうと、 肌の色の世界地図の上で黄色人種は白人より一段と低く見られてきた存在であることに変わりはない。 実際、 アメリカに渡った日本人移民がアメリカ社会に受け入れられず、 町外れに住まわされ、 他民族より従順であると目されてきつい労働に追いやられたのはそう遠い過去の話ではない。 戦時中は、 敵国からの移民という理由で財産を没収され、 強制収容所に隔離された。
日本国内において黄色人種である限り肌の色など意識する必要はない。 自分が黄色人種であること、 そのように自分を見る目が世界に存在することを知る機会もない。 それは幸せなことだ。
とはいえ、 日本人の大半が黄色人種であること、 日本がアジアの一部であることは事実だ。 例え日本人自身が白人の仲間入りをしたつもりになっても。
その事実を誰よりも鋭敏に感得したのが、 後進国日本から欧米に留学したかつての秀才たちだった。 彼らは追いつくべき模範の欧米諸国に渡り 「白人」 のなかに身をおくことによってアイデンティティの危機を経験した。 その経験は各人の境遇や資質によって異なるかたちをとった。
黄色人種としての自己意識を強く感じた一人として高村光太郎がいる。 『珈琲店 (カフェ) より』 には、 その思いが鮮やかに描かれている。 主人公の 「僕」 は、 ある夜パリの町で偶然 3 人連れの女と知り合い、 そのうちの一人と夜をともにする。 翌朝目覚めて女の青い目を覗き込んだ直後 「僕」 は洗面器の前に行く。
熱湯の蛇口をねぢる時、 図らず、 さうだ、 はからずだ。 上を見ると見慣れぬ黒い男が寝衣のままで立つてゐる。 非常な不愉快と不安と驚愕とが一しよになつて僕を襲つた。 尚ほよく見ると、 鏡であつた。 鏡の中に僕が居るのであつた。
「ああ、 僕はやつぱり日本人だ。 JAPONAIS だ。 MONGOL だ。 LE JAUNE だ。」 と頭の中で弾機の外れた様な声がした。
夢の様な心は此の時、 AVALANCHE となつて根から崩れた。 その朝、 早々に女から逃れた。 そして、 画室の寒い板の間に長い間坐り込んで、 しみじみと苦しい思ひを味はつた。 (『珈琲店 ( カフェ ) より』)
明治の官費留学生、 夏目漱石もまた黄色人種であることの劣等意識を強く感得した。 明治 34 年 1 月 5 日の日記には 「往来にて向うから脊の低き妙なきたなき奴が来たと思えば我姿の鏡にうつりしなり。 我々の黄なるは当地に来て始めてなるほどと合点するなり」 と書かれており、 周囲の白人の視線が漱石自身に内面化されているのが分かる。 この生身の経験を通して、 この東国の留学生は、 自国政府の推進する開化政策が文化的隷属への道だと実感したのではないだろうか。
どういうことか。
漱石は英文学を専門として選んだが、 それは彼が持っていた漢学による文学の観念とは異なっていた。 しかし、 開化は西洋文学をより優れたものとして取り入れ、 模倣することを求める。 それは西洋文化をピラミッドの頂点におき、 他の文化を未発展のものとする社会ダーウィニズム的思考をその基礎とする。 その価値観に従う限り、 基準を決めるのは西洋諸国であり、 その他の人々は常に格下の存在であり続ける。 例え漱石が 「洋学の隊長」 になったとしても、 本国イギリスの文学者には頭が上がらない。 漱石にはその仕組みが見えたのだろう。 だから、 「奴婢」 という強い言葉が出てきたのではないか。
ここでアフリカの植民地に話を移す。 植民地化されたアフリカの人々は、 固有の文化を否定され、 白人になることを強いられた。 その葛藤をマルチニック島出身の精神科医兼革命家のフランツ・ファノンはその名もずばり 『黒い皮膚・白い仮面』 で描く。 ちなみにフランツ・ファノンはマルチニック島で黒人として生まれ、 フランスで学び、 サルトルとも交流のあるアフリカの知識人であり、 アルジェリア革命の理論的支柱だった。 日本での知名度は低いが彼の主要な著作は邦訳されている。
なぜ突然フランツ・ファノンを思い浮かべたのか。 日本から最も遠い 「暗黒の大陸」 の知識人が考えたことなど、 日本人には何の関係がないように思えるかもしれない。 しかし、 私にはそうは思えない。 むしろ、 ファノンは、 非西洋人が西洋人と接した時に生じる精神的葛藤を誰よりも鋭く意識的に捉えている点で日本の通る道を暗示しているように思える。 日本が組み込まれた力関係を露骨に曝け出しているように思える。
ファノンは書く。 「黒人は白人になりたいと望む」 と。 なぜなら黒人は 「まず経済的に、 次いで内面化、 よりよくいえば劣等性の皮膚細胞化をとおして」 疎外されているからだ。 彼は 「単に黒い存在であるだけではなく、 白人に対して黒い存在」 なのだ。 ここで 「白人に対して黒い存在」 であるということは、 「ニグロ」 は悪であるということをみずから認めなくてはいけないということだ。 ファノンは、 ヨーロッパの知識を身にまとった黒人知識人としてこのことを自覚していた1。
同時に彼は 「黒人は故郷にあるかぎり劣等性が他者を契機として生ずることを知らずにすむ」 とも書く。 白人社会の中に入らず同胞の間にいれば劣等意識に悩まされずにいられるのだ。 幸い日本は運よく植民地化を免れたので日本人は 「劣等性が他者を契機として生ずることを知らずに」 すんだ。
しかし、 留学生となると事情が異なる。 彼らは 「故郷」 を出て白人と直接対峙しなければならない。 夏目漱石はイギリスで劣等性を自覚させられた。 その結果が日記の告白だろう。
彼は日本の最高学府を出た知識人であるにも関わらず、 日本人であるがゆえに劣ったものと見られた。 それは途轍もない屈辱だっただろう。 自分を卑小な存在と感じたことが想像できる。 だからこそ、 それを突き返して西洋の白人と対等な立場に立つ必要があった。 文学の基準が西洋にあるかぎりアジア人の彼はいつまで経っても劣位から抜け出すことはできない。 相手の基準で自分を判断するのではなく、 自分で自分を判断できるようになる必要があった。 しかも偏狭なナショナリズムに陥らずにそれを行う必要があった。 それが夏目漱石にとっての 「自己本位」 の思想だった。
漱石が獲得した 「自己本位」 の思想について、 池田美紀子は 「統御できない自分の心」 を 「他者とは異なる 〈自分の個性の根源〉 として、 外界に対峙するときの壁としてうちたてることが 「自己本位」 と漱石が呼ぶものではないか。 それを握ったとき、 「其時私の不安は全く消えました。 私は軽快な心をもつて陰鬱な倫敦を眺めたのです」 と言うことができたのだとおもわれる」 と推測する2。 このような 「自己本位」 の思想をつかむことによって漱石は自分を小さく感じさせる西洋社会を跳ね返す力を手に入れたのだと思う。 言い換えれば、 西洋的な進化を受け入れつつ自らを固持する方法を発見したのだ。
「自己本位」 の根拠は 「統御できない自分の心」 だと池田は言う。 つまり 「自分が自分である」 ことは自分のコントロールを超えているということだ。 自分は不可避的に自分にしかなれない。 それは自分と全く同じ境遇で同じ経験をできるのは自分しかいないからだ。 世の中でよいとされるものを自分も同じようによいと感じられるとは限らないし、 世の中の価値観が突然ガラッと変わったからといって自分の価値観を簡単に変えられるわけではない。 もしそんなに簡単に変われるのなら、 今までの自分はなんだったのか、 ということになる。 ブラックライブヴズマターに嬉々とする日本人に私が感じた違和感もそこにある。 自分の外側にある 「よい」 とされる価値観についていく前に、 あなた自身は何者なの? と問いたくなる。 他の皆がいいと思えるものを同じようにいいと思えない。 他の皆が関心を持つものに関心が持てない。 自分にとって大事だと思えることを誰も理解してくれない。 そのどうしようもない 〈差〉 こそ、 自分が自分であるということだろう。 それを無視してなにを語っても無意味だろう。 「他者とは異なる 〈自分の個性の根源〉」 を持ち続けることは簡単なことではない。 それを捨てて周りと合わせる方が楽な場合もある。 しかし、 漱石は 〈自分〉 にこだわり続けた。 周囲に合わせない、 合わせられない彼の 「頑なさ」 を私は信頼する。 21 世紀の私が悩む悩みを私以前に悩みぬいた日本人がいたことに力づけられる。
漱石がどんなに徹底的に考えたところで、 彼が後進国の知識人であることも、 日本が西洋を真似て近代化の道を突き進むことも変わるわけではなかった。 しかし、 彼の意識は変わった。 彼は自分固有の世界地図を持つことで、 誰にも頼らずに自分を世界の中に位置づけることができるようになった。 精神的奴隷状態から抜け出ることができた。
不思議なものでこの文章を書きながら、 私の中にも彼ら何者ぞやと気慨が湧いてくる。 私以外に誰が私に見えている世界を見ることができるのか。 私は私として生きていこう。