孤独の座標

連載第7回: 壁——暗闇から光へ(2)

アバター画像書いた人: K.G.ザムザ
2022.
07.29Fri

壁——暗闇から光へ(2)

たとえば西洋人がこれは立派な詩だとか口調くちょうが大変好いとかいってもそれはその西洋人の見る所で私の参考にならん事はないにしても私にそう思えなければ到底受売をすべきはずのものではないのです私が独立した一個の日本人であって決して英国人の奴婢ぬひでない以上はこれ位の見識は国民の一員としてそなえていなければならない上に世界に共通な正直という徳義を重んずる点から見ても私は私の意見をげてはならないのです (『私の個人主義』)

私はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってから大変強くなりました彼ら何者ぞやと気慨きがいが出ました今まで茫然ぼうぜん自失じしつしていた私に此所ここに立ってこの道からこう行かなければならないと指図さしずをしてくれたものは実にこの自我本位の四字なのであります (『私の個人主義』)

2020 年 5 月ミネソタ州の警官によるジョージ・フロイド氏の死をきっかけにアメリカのブラックライヴズマターBLMの抗議運動が盛り上がった運動は世界中に広まり日本でも知られるようになったハイチ系アメリカ系日本人の有名テニス選手が抗議に参加したこともあいまって日本のメディアでも積極的に取り上げられた私のツイッターのタイムラインでも偏りは否めないが意見表明をする日本人は多かった私は不思議な思いでその光景を眺めていた

 アメリカ国内の複雑な人種間の軋轢など日本に暮らしていて簡単に理解できるわけもないのにまるで自分のことのように嬉々として語る人というのはどういう心性をしているのだろうその精神構造が不思議だった彼らが自分を白人側に置いているのか黒人側に置いているのかも分からなかった脱亜入欧した名誉白人として白人の側に? それとも被害者の味方として黒人側に? でも日本人は黒人でも白人でもない立派な黄色人種だ( 当然これは極端な単純化であり黒人である日本人も白人である日本人も黄色人種と自己同一化しない日本人もいる) アメリカ国内で勤勉に努力する態度により模範的マイノリティと揶揄されるアジア人だしかし模範的であろうとなかろうと肌の色の世界地図の上で黄色人種は白人より一段と低く見られてきた存在であることに変わりはない実際アメリカに渡った日本人移民がアメリカ社会に受け入れられず町外れに住まわされ他民族より従順であると目されてきつい労働に追いやられたのはそう遠い過去の話ではない戦時中は敵国からの移民という理由で財産を没収され強制収容所に隔離された

 日本国内において黄色人種である限り肌の色など意識する必要はない自分が黄色人種であることそのように自分を見る目が世界に存在することを知る機会もないそれは幸せなことだ

 とはいえ日本人の大半が黄色人種であること日本がアジアの一部であることは事実だ例え日本人自身が白人の仲間入りをしたつもりになっても

 その事実を誰よりも鋭敏に感得したのが後進国日本から欧米に留学したかつての秀才たちだった彼らは追いつくべき模範の欧米諸国に渡り白人のなかに身をおくことによってアイデンティティの危機を経験したその経験は各人の境遇や資質によって異なるかたちをとった

 黄色人種としての自己意識を強く感じた一人として高村光太郎がいる。 『珈琲店カフェよりにはその思いが鮮やかに描かれている主人公のある夜パリの町で偶然 3 人連れの女と知り合いそのうちの一人と夜をともにする翌朝目覚めて女の青い目を覗き込んだ直後は洗面器の前に行く

熱湯の蛇口をねぢる時図らずさうだはからずだ上を見ると見慣れぬ黒い男が寝衣のままで立つてゐる非常な不愉快と不安と驚愕とが一しよになつて僕を襲つた尚ほよく見ると鏡であつた鏡の中に僕が居るのであつた

ああ僕はやつぱり日本人だJAPONAIS だMONGOL だLE JAUNE だ。」 と頭の中で弾機の外れた様な声がした

 夢の様な心は此の時AVALANCHE となつて根から崩れたその朝早々に女から逃れたそして画室の寒い板の間に長い間坐り込んでしみじみと苦しい思ひを味はつた (『珈琲店 ( カフェ ) より』)

 明治の官費留学生夏目漱石もまた黄色人種であることの劣等意識を強く感得した明治 34 年 1 月 5 日の日記には往来にて向うから脊の低き妙なきたなき奴が来たと思えば我姿の鏡にうつりしなり我々の黄なるは当地に来て始めてなるほどと合点するなりと書かれており周囲の白人の視線が漱石自身に内面化されているのが分かるこの生身の経験を通してこの東国の留学生は自国政府の推進する開化政策が文化的隷属への道だと実感したのではないだろうか

 どういうことか

 漱石は英文学を専門として選んだがそれは彼が持っていた漢学による文学の観念とは異なっていたしかし開化は西洋文学をより優れたものとして取り入れ模倣することを求めるそれは西洋文化をピラミッドの頂点におき他の文化を未発展のものとする社会ダーウィニズム的思考をその基礎とするその価値観に従う限り基準を決めるのは西洋諸国でありその他の人々は常に格下の存在であり続ける例え漱石が洋学の隊長になったとしても本国イギリスの文学者には頭が上がらない漱石にはその仕組みが見えたのだろうだから、 「奴婢という強い言葉が出てきたのではないか

 ここでアフリカの植民地に話を移す植民地化されたアフリカの人々は固有の文化を否定され白人になることを強いられたその葛藤をマルチニック島出身の精神科医兼革命家のフランツ・ファノンはその名もずばり黒い皮膚・白い仮面で描くちなみにフランツ・ファノンはマルチニック島で黒人として生まれフランスで学びサルトルとも交流のあるアフリカの知識人でありアルジェリア革命の理論的支柱だった日本での知名度は低いが彼の主要な著作は邦訳されている

 なぜ突然フランツ・ファノンを思い浮かべたのか日本から最も遠い暗黒の大陸の知識人が考えたことなど日本人には何の関係がないように思えるかもしれないしかし私にはそうは思えないむしろファノンは非西洋人が西洋人と接した時に生じる精神的葛藤を誰よりも鋭く意識的に捉えている点で日本の通る道を暗示しているように思える日本が組み込まれた力関係を露骨に曝け出しているように思える

 ファノンは書く。 「黒人は白人になりたいと望むなぜなら黒人はまず経済的に次いで内面化よりよくいえば劣等性の皮膚細胞化をとおして疎外されているからだ彼は単に黒い存在であるだけではなく白人に対して黒い存在なのだここで白人に対して黒い存在であるということは、 「ニグロは悪であるということをみずから認めなくてはいけないということだファノンはヨーロッパの知識を身にまとった黒人知識人としてこのことを自覚していた1

 同時に彼は黒人は故郷にあるかぎり劣等性が他者を契機として生ずることを知らずにすむとも書く白人社会の中に入らず同胞の間にいれば劣等意識に悩まされずにいられるのだ幸い日本は運よく植民地化を免れたので日本人は劣等性が他者を契機として生ずることを知らずにすんだ

 しかし留学生となると事情が異なる彼らは故郷を出て白人と直接対峙しなければならない夏目漱石はイギリスで劣等性を自覚させられたその結果が日記の告白だろう

 彼は日本の最高学府を出た知識人であるにも関わらず日本人であるがゆえに劣ったものと見られたそれは途轍もない屈辱だっただろう自分を卑小な存在と感じたことが想像できるだからこそそれを突き返して西洋の白人と対等な立場に立つ必要があった文学の基準が西洋にあるかぎりアジア人の彼はいつまで経っても劣位から抜け出すことはできない相手の基準で自分を判断するのではなく自分で自分を判断できるようになる必要があったしかも偏狭なナショナリズムに陥らずにそれを行う必要があったそれが夏目漱石にとっての自己本位の思想だった

 漱石が獲得した自己本位の思想について池田美紀子は統御できない自分の心他者とは異なる自分の個性の根源として外界に対峙するときの壁としてうちたてることが自己本位と漱石が呼ぶものではないかそれを握ったとき、 「其時私の不安は全く消えました私は軽快な心をもつて陰鬱な倫敦を眺めたのですと言うことができたのだとおもわれると推測する2このような自己本位の思想をつかむことによって漱石は自分を小さく感じさせる西洋社会を跳ね返す力を手に入れたのだと思う言い換えれば西洋的な進化を受け入れつつ自らを固持する方法を発見したのだ

自己本位の根拠は統御できない自分の心だと池田は言うつまり自分が自分であることは自分のコントロールを超えているということだ自分は不可避的に自分にしかなれないそれは自分と全く同じ境遇で同じ経験をできるのは自分しかいないからだ世の中でよいとされるものを自分も同じようによいと感じられるとは限らないし世の中の価値観が突然ガラッと変わったからといって自分の価値観を簡単に変えられるわけではないもしそんなに簡単に変われるのなら今までの自分はなんだったのかということになるブラックライブヴズマターに嬉々とする日本人に私が感じた違和感もそこにある自分の外側にあるよいとされる価値観についていく前にあなた自身は何者なの? と問いたくなる他の皆がいいと思えるものを同じようにいいと思えない他の皆が関心を持つものに関心が持てない自分にとって大事だと思えることを誰も理解してくれないそのどうしようもないこそ自分が自分であるということだろうそれを無視してなにを語っても無意味だろう。 「他者とは異なる自分の個性の根源〉」 を持ち続けることは簡単なことではないそれを捨てて周りと合わせる方が楽な場合もあるしかし漱石は自分にこだわり続けた周囲に合わせない合わせられない彼の頑なさを私は信頼する21 世紀の私が悩む悩みを私以前に悩みぬいた日本人がいたことに力づけられる

 漱石がどんなに徹底的に考えたところで彼が後進国の知識人であることも日本が西洋を真似て近代化の道を突き進むことも変わるわけではなかったしかし彼の意識は変わった彼は自分固有の世界地図を持つことで誰にも頼らずに自分を世界の中に位置づけることができるようになった精神的奴隷状態から抜け出ることができた

 不思議なものでこの文章を書きながら私の中にも彼ら何者ぞやと気慨が湧いてくる私以外に誰が私に見えている世界を見ることができるのか私は私として生きていこう

注釈

  1. フランツ・ファノン著海老坂武・加藤晴久訳黒い皮膚・白い仮面』、 みすず書房2007 年
  2. 池田美紀子夏目漱石 眼は識る東西の字』、 国書刊行会2013 年

専門職(法律)ときどき文筆家。合法的な宇宙人。