孤独の座標

連載第4回: 勉強——社会的隔離の果てに見えたもの

アバター画像書いた人: K.G.ザムザ
2022.
06.17Fri

勉強——社会的隔離の果てに見えたもの

ザムザは本当に勉強が好きね

 家族の食事会であきれたように母が言うあなたたちの教育方針に従っただけなのにと私は裏切られた思いになる私の勉強習慣を作ったのはあなたたちではないのか幼少時遊びに行きたくて泣き叫ぶ私を机に縛りつけて勉強させたのは誰だったのかしかし老いて軟化した両親にはかつての厳格で教育熱心な若親の面影はない

ザムザちゃん本当にすごいねおじちゃんにはとても無理解体業の資格だって薄いテキスト一冊読むだけだったしね

 祖母のお焼香のために訪れた叔父の家で焼香を終えてお茶を飲んでいる私に叔父は言う母方の叔父は母と違って小さい頃から勉強が嫌いで会社勤めをすることもなく建物の解体業で身を立てている

 しかし私は本当に勉強が好きなのだろうか地下鉄新御茶ノ水駅の長いエスカレーターを上りながら自問するエスカレーターははるか頭上の出口に向かってゆっくり進む改札と地下深くのホームをつなぐ古いトンネルは核シェルターを想起させるそれも一時代前のシェルターをとても徒歩では上れないこの長い急坂のエスカレーターをかつての私はひたすら歩き上ったものだそれほど時間が惜しかったそれほど急きたてられていた

 エスカレーターはおとなしく立つ私を聖橋口改札に降ろす改札を抜けてもまだ地上には出られないもう1階分階段を上らなくてはならないのだしかしこの朝の私は地上に出ずそのまま改札の左側の地下通路を通って新お茶の水ビルに入ったメガネ屋レストラン雑貨屋など開店前の店舗がならぶ薄暗い通路を左に曲がると正面から光が差しこみ青空広場が開ける広場の奥のエクセルシオールカフェを目にしたとき懐かしさが頂点に達する

 受験生時代家と予備校の通り道にあるこのカフェを何回利用したことだろう最初の口頭試験失敗の忌まわしい記憶もこのカフェと結びついている自暴自棄になって受験会場を出た記憶も今となれば懐かしい結局受験生時代は私の青春だったのだ

 受験といっても大学受験ではない社会人になってからの国家資格の受験だ新卒で就職した企業を退職し特許事務所で働き始めた私は四十路手前で弁理士試験を受けようと決めた出産の期限が迫りつつある中で私は試験勉強をすることを選んだそうせずにはいられない理由が私にはあった東日本大震災の記憶がまだ鮮やかな 2011 年秋のことだ企業退職から 10 年以上が経過していた

 数年ぶりにエクセルシオールに足を踏み入れる席と席のあいだに透明シールドが据えつけられている以外は何も変わっていないように見える所々に参考書を広げている人がいることも変わらない私はかつての指定席中央の集合テーブルに座り本を取り出してのんびりと外を見た今の私は寸暇を惜しんで勉強する必要はないそれは気楽であり寂しくもある受験は私の単調な人生に明確な目標を与えてくれた決められた試験日に向けて講義と模擬試験のスケジュールが組まれ最終ゴールに向けて一つ一つ目標を達成していく受験生活には否定しようのない充実感があった他の受験生同様私もこんな生活もうやだ! 早く自由になりたい! と思いながら一方で受験生活を楽しんでいたのも事実だスケジュールを立て教材を工夫し隙間時間を利用して勉強する時の勉強しているという満足感は自己満足に過ぎないとしても甘味なものだったその意味で私は確かに勉強が好きなのかもしれない

 カフェを出て御茶ノ水橋口側の交差点を渡りJR中央線と平行して走るかえで通りを水道橋に向かって歩き始めるエクセルシオールカフェスターバックスなどの一般客向けの店を過ぎたあとは緑に囲まれた静かな街路が続く道端には池坊東京会館や古びた研究施設目立たない記念図書館など時間の流れを感じさせない建物がならぶさらに進むと右側の建物が途切れて視界が開け線路を直接見下ろす形で道が急降下するこの辺りを歩いていると東京は勾配の多い町であることを実感する坂の途中にはアテネフランセもある

 かつてここで小川紳介のドキュメンタリー圧殺の森 高崎経済大学闘争の記録を見たことを思い出す受験勉強を始めるずっと前のことだその頃の私はドキュメンタリー映画だけでなく舞台や踊りも見美術館にも行った社会運動の末端にも参加した自分でも何がしたいか分からず何かを求めて歩き回っていた外に行けば何かがあると信じていたのかもしれないあるいは社会が変えられると

 しかしそれは遠い過去の話だそのような文化活動や社会運動は受験勉強を始めるときにすべて止めたそれだけではない受験のために他のすべてを諦めた飲み会などはことごとく断ったし友達と会うことも止めた旅行も諦めたそれまでの活動仲間との関係も途絶え社交生活を失ったそれは社会的透明人間になるようなものだった私はあらゆる人のレーダーから消えた

 そこまでする必要があったのだろうか

 答えは YES だその確信は当時も今も変わらない自分を社会から隔離しなければ受験勉強はできない受験期間を刑期と呼ぶのは理由あってのことだ普通の生活を営もうとする人はいつまでたっても合格できないそれは高校生だろうと社会人だろうと変わらない高校生の場合周囲の人すべてが受験生であるのに対し社会人は周囲の人すべてが受験生でない点が違うだけだ

 そのような生活は簡単にできるものか

 答えは NO だ他の人が遊んだり仕事で活躍したりしている中で社会的に引きこもって机に齧りつきいつ終わるか分からない勉強を続けることは孤独で惨めで辛い皆が盛り上がっているところに加われずに取り残されたような気持になる気持ちになるだけでなく実際忘れられ取り残されていく

 しかし勉強とはそもそも孤独なものだ他の人が遊んでいる間に机に齧りついて勉強するその孤独に耐えられる人しか結果を手にすることはできない結果が試験の合格であれ論文の完成であれその事実に変わりはない勉強を開始したばかりの頃私はいくら勉強しても内容が理解できないことに焦り落ち込んだでも投げ出して逃げるわけにはいかない相談相手だった知人に何度も泣きつきその度に我慢しろ」、 「勉強しろと叱咤され泣く泣く勉強に戻った実際彼の言うとおり我慢して勉強する以外に道はなかった内容の理解を他の人に肩代わりしてもらうことはできないそうであれば自分のなかに理解が生じるまで努力を続けるしかない例えその期間耐えざる自己嫌悪に蝕まれるのだとしても勉強を始めた最初の時期に他のすべてを諦めて勉強に集中するしかないと観念できたのはよかった予備校の講師から平日2時間以上週末7時間の勉強時間を確保するように言われたがそのためには勉強をすべてに優先させるしかない仕事帰り山手線を一周して勉強したとか仕事の合間お手洗いに行くときも暗記カードを持って用を足したという受験生もいた普通の生活と両立させようとしていたら何年経っても合格することはできなかっただろう

 

 アテネフランセを過ぎ坂を降り切った私の前に大きな通りが横たわる水道橋だ景色は一変して殺風景なものとなる白山通りを渡り何の風情もない道を奥に進んで予備校の前に立ったとき胸がどきどきするのがわかった普段なら多くの受験生が出入りしているであろう受付にはスタッフしかおらず建物から人の気配はしない受験生のいない建物は抜け殻のようだその意味では予備校は元来一つの通過点に過ぎず愛校心の対象ではない

 それでもその日の私が興奮していたのは模試を受けるためにこの建物に通った時の興奮を思い出したからだアドレナリンが噴出して闘志に満ちた当時の心境をライバルである他の受験生と机を並べて試験用紙に向かう緊張感は特別な感覚だった試験の緊張感はその時間だけ私の小ささを忘れさせてくれたその瞬間だけ私は自分を超えたものとなれた

 受験勉強は長い時間を必要とする短くて 1 年通常は 2 年または 3 年場合によってはもっとかかる身につけなければいけない知識がそれだけ多いからだそれはアウトプットを禁じられたインプットを長時間続けなくてはいけないということであると同時に結果の分からない不安を長時間耐えなくてはいけないということでもある模試はそれまでの長いインプットの成果を試す絶好のチャンスだワクワクしない理由があるだろうか

 受験勉強はクラスの級友などの目の前の相手を超えた遠いものを意識させてくれると教育者である芦田宏直は言う。 「遠いものへの意識を遊動と置き換えて彼は説明する

“「できる学生は意味のない受験勉強で多少の遊動経験があります。 「意味のないとは近親者家族地域の人間環境学校の教員やクラスメートなどとの人間環境などとの関係を超えた人間的な基準=偏差値に初めて出くわす遊動のことです目の前の人間を殴って勝てばいい目の前の人間を納得させればいい目の前の人間から賞賛されればいい目の前の人間を大切にすればいいといった関係を超える遊動性をできる学生は受験勉強で経験するわけです受験勉強は小さな自室の孤独で内閉的な経験のように見えますがそこで彼らはある種の社会——非人間的な圧力——に出会っている。” 1

 つまり受験勉強とは狭い人間関係を超えた広い世界を意識させてくれるものでありその広い世界と対峙させてくれるものなのだそれを明確に意識するのが模擬試験というわけだだから試験用紙に向かうとき緊張感を覚える

 試験用紙に向かう私は目に見えず実際に会うこともない全国の受験生と向かい合っていた私たちは皆通俗的なちっぽけな自己を離れて同じ目的のために持てるベストを尽くしてそこにいた個々人の人間的な属性を超えたお主できるなというコミュニケーションがそこにはあった自分が努力してきたからこそ相手がどれだけ努力したかも分かるという類のコミュニケーションだ

 そのようなコミュニケーションは孤独の果てにしか得られないそこに参加できるのは自分を越えようと努力を続けた者だけで目的の異なる者ややる気のない者が入る余地はない

 

 私は口頭試験に失敗したため試験の最終合格まで 4 年かかった大学に入学してから卒業するまでと同じ年月を社会的透明人間として受験勉強に費やした始める前はそんなに長い期間勉強を続けるなんて無理だと怖気づいていたが気がついたらどうにか成し遂げていたそこには秘訣は何もなかった予備校の講師や先輩受験生のアドバイスは勉強方法を知るために有益だったが最終的には自分がつらさを我慢して続ける以外の道はなかった

 今この連載を書きながら書くことも受験勉強に通じるものがあると思う私の連載は原稿用紙 10 枚程度の短さで期限も 2 週間であり4 年間の受験期間に比べて非常に短いがそれでも空白の画面に向かってから記事が形をとるまでの間は受験勉強の時と変わらないつらさに投げ込まれるそれは書くという行為が実際に書き上がるまで本当に書けるかどうかわからない不確かなものであるからかもしれないもっと長いものを書くとなればより長い期間を結果の見えないつらさの中で過ごさなければならないだろう場合によっては 1 年2 年あるいはもっと長い時間を

 エッセイや小説などの文章に限らない仕事も同じだ何かを作り出す過程には必ずこのつらさを耐えなければいけない期間があるそのような変化を担ったり変化を耐える能力根性と芦田は呼ぶ受験勉強は年に一回の試験で合否が決まるという一回性によって身体性を伴う変化の体験となるそのような大きな変化の体験が根性を見出す契機となる2

 

 図らずも数周遅れの受験勉強によって私は自分の根性を見出す機会を得た現在の私にとって受験勉強は過去の話だが生きるための戦いには終わりがないこれからの私は文章を書きながら仕事をしながら自分の根性のありかを問い続けていくしかない

注釈

  1. 芦田宏直、 『努力する人間になってはいけない−学校と仕事と社会の新人論』、 ロゼッタストーン2013 年378
  2. 同上115−117

専門職(法律)ときどき文筆家。合法的な宇宙人。