孤独の座標

連載第6回: 週末——快と不快の弁証法

アバター画像書いた人: K.G.ザムザ
2022.
07.15Fri

週末——快と不快の弁証法

——暗闇から光へ)」 の続きを書くと予告していましたがこちらを先に書きたくなったので、 「——暗闇から光へ)」 は次回に書きます

白の時間が怖い

 朝眠りの底から浮上して薄ぼんやりした意識のなかで自分がどこにいるのかを掴もうとする週末だと気づいて最初に感じるのは喜びだしかしたちどころに不安に変わる伸縮自在な空白の時間が不穏な塊として私の前に立ちはだかるどう過ごしていいか分からない自由な 48 時間やりたいことがない訳ではないその逆だやりたいことはいっぱいあるただ確固としたスケジュールがないことが私をぐらつかせるのだつかまるものを求めてツイッターを開くもちろんそこに答えなんてないそんなことは最初からわかっているだが人差し指は救いを求めてスクロールを続ける下へ下へと流れるアイコン何でもいい誰でもいいちょっとした刺激さえあればきっと私は動き出せるまるで依存症患者のように私はあるはずのない救いを求めて虚しく腕の自動運動を続ける

 ツイッターは決して私を満たしてはくれないそれは分かっているなのに⋯⋯なのに欠乏感を満たそうと虚しい努力を止められない完全な泥沼あと 5 分があと 10 分になり気がついたら 1 時間が経っている最悪の場合顔を上げたらもう昼前ということもある

 

 怖い話を読んだラットの実験の話だ1953 年モントリオールでマギル大学の博士研究員だったピーター・ミルナーとジェイムズ・オールズは偶然ラットの脳内の快感回路に電極を差し込む実験を行ったその結果は下記の通りだ

オールズとミルナーはこの箱ラットを入れた箱に細工を施しレバーを押すと埋め込まれた電極を通じて直接自分の脳に電気刺激が届くようにしたその結果生じたのはおそらく行動神経科学実験史の中で最もドラマチックな出来事だったラットは自分の脳を刺激するために1 時間に 7000 回ものハイペースでレバーを押し続けたのだリンデン20121

 快感回路と依存症は密接に結びついている続いて記載されるラットの行動は依存症患者の行動に極似している

その後行われた一連の実験からラットは食物や水以上に快感回路の刺激を選ぶことが判明した空腹でも喉が渇いていてもレバーを押し続けた)。 自分の脳を刺激しているオスは近くに発情期のメスがいても無視したしレバーにたどり着くまでに足に電気ショックを受ける場所があってもそこを何度でも踏み越えてレバーのところまで行った子どもを産んだばかりのメスのラットは赤ん坊を放置してレバーを押し続けたなかには他の活動を一切顧みず1 時間 2000 回のペースで 24 時間にわたって自己刺激を続けたラットもいたそのようなラットは放っておくと餓死してしまうので装置から外してやらなければならないほどだったリンデン2012

 これは鏡に写る私の姿なのだろうか私は化学反応に支配された土塊に過ぎないのか人間とはそんなに脆弱なものなのか

 自己嫌悪が限界に達して画面を閉じる自分の意志の弱さに嫌気がさすしかし依存症は意志の問題ではなく病気なのだと信田さよ子は指摘する信田20002回復のためには相手から完全に離れるしかないとも私は病気なのだろうかツイッターあるいはネットから完全に離れなければいけないのかそんなこと可能なのか先日のツイッター接続障害の時間を思い返す朝起きてツイッターが繋がらなかった時の動揺数分置きに接続をチェックする私は明らかに落ち着きを失っていた自分の意思と無関係に体が動いていたまるで人格が乗っ取られたかのようにそのあり様は挙動不審としか言いようがないまるで禁断症状の中毒患者だこれは確かに依存性の初期症状だなんでそうなってしまうのだろう

 

 ツイッターから身を引き剥がすとようやく一日が始まる洗濯機を回し朝食を取り食器を洗い図書館に行く週末の図書館通いは私の習慣だ古い本を返し新しい本を借りる全く読まないまま返す本も多いそれでも図書館に行かずにはいられない家にずっと留まっていることができないのだ家で過ごすスケジュールのない時間は不安でたまらないだから逃げ出す不安の空気の圏外に不安の追いかけてこない場所に図書館は避難所の一つだここはただの避難所ではない周囲に結界が張られた聖域だそのなかに一歩足を踏み入れると時間が止まる書架に並ぶ星の数ほどの書物が時間を吸い取ってしまうのだ結界のなかには他人の目も入り込めない図書館の壁のなかで私の神経は落ち着く

 夜間大学に通っていた頃土曜日は終日大学図書館にこもっていた開館と同時に入館し書架の奥の特等席を陣取って必要な資料をかき集めノートパソコンを開いてレポートを書く調べ物が必要になったら書架のあいだを練り歩いて資料を探す昼食時は持参した弁当をラウンジで食べしばらく休憩したのちに席に戻って閉館間際までレポートを書く書架の森の奥の穴蔵は私の隠れ家だった教室にも職場にも居場所のなかった私も図書館のなかでは息をつくことができた周囲の冷たい目も穴蔵の奥までは届かなかった

 大学図書館での缶詰の一日はあっという間に過ぎ生産的だったそれは安心して一人になれたからであると同時にそれ以外のオプションがなかったからでもあるというのも毎週レポートの締切があり平日は仕事をしていたので土曜日以外に集中してレポートを書ける日はなかったのだそしてレポートを書くのは時間がかかるだから集中するしかなかった締切が一番の駆動力だったでも土曜日一日集中できても時間は足りなかった他の教科の予復習の時間が満足に取れず理解が追いつかなかったレポートがなければ他の勉強ができるのにと何度思ったことかしかし大学を卒業して土日の時間が自由になった今他の勉強をするかといえば何もしていない

 それにしてもこうして振り返ってみると自分がいかに自立心のない人間なのかが分かる結局強制されなければ何もできないのだ自主的に何かを達成したことなんて一度もない外部に枠組みがあって強制されることで初めて動ける受験勉強だってそうだったし大学だってそう私はどうしようもなく芯のない人間だ

 芯のない私は不安から逃れるためにツイッターを開く不安は不快だからここまで考えてハッと気づくそうか依存症が快感を求める行動の反復なのだとしたら依存症から脱するためには不快感を受け入れるしかないのだ空白の時間は不快勉強も仕事も不快空白な時間の不快が不安による不快だとしたら勉強と仕事の不快は分からないことによる不快だ勉強でも仕事でも理解できない問題にぶち当たると頭が真っ白になりその場から逃げ出したくなる受験勉強中もなかなか理解できない内容につまずくたびにもうやだー!と発狂していたいやいや期の幼稚園児のように

   分からない=不快

 この等式に気づいた時、 「本を読める人というのはすべてがわかる賢い人なのではなくてわからないことを恐れない人のことを言う。」 という以前読んだ一文の意味が鮮明になった芦田20063本記事に促して本を読める人というのはすべてがわかる賢い人なのではなくてわからないという不快を恐れない人のことを言う。」 と言い換えてみるとよりはっきりする今までの私はわからないところで断念していたわからない状態が気持ち悪くて耐えられなかったからだでもその気持ち悪さを保持し続けることができたらどうか上記文章の著者によればそれが読書の境目」、 つまり難しい本を読むための方法だということだもし彼の言う通りであるのならそれは読書にかぎった話ではないのではないか勉強も仕事も同じなのではないかそんな予感が芽生える

 空白の時間も不快勉強も仕事も不快しかし後者が前者と決定的に異なる点があるそれは、 「わからないという不快はやがてわかるという快に変わるという点だそこには遅れてやってくる快感があるということは快感を味わうために不快感を持ちこたえなくてはいけないということだ目標の達成は目標に未達の状態に先行されるのだから

 快感原則に従うと即時に効く快感が優先される自然にしていれば毎回即効性の高い快感に脳のスイッチが入るそのためわかるという快の出番はいつまで経っても回ってこない

 しかし人間は単に快感回路に支配されたロボットではない

 では何がこの自然な反射的な流れを変えるのかそこから脱したいと思わせるより大きな不快感だ自分の置かれている状態を嫌だと心底思える経験が必要だある小説家のインタビュー記事で彼の浪人生時代について読んでそう確信した彼は浪人生時代予備校の自習室が閉まるまで帰りの電車の中でそして帰り着いた家で必死に勉強し模試で高成績を維持していたがそれは周りのカップルに負けるのが悔しかったからだと語る。 「ほんとにずっと勉強しかしてなくて恋人ができたこともない人間が模試でカップルに負けるってマジでヤバいことなんですよそれは死そのものなんです。」 と彼は語るナニヨモ20224ふとロンドンで下宿にこもって神経衰弱になるまで勉強をした夏目漱石を思い浮かべる漱石の場合英文学を専門としながら英文学をまったく理解できない中途半端な自分への嫌気そして英国人に囲まれて感じる東洋人としての劣等感から追い立てられて勉強に向かったどちらの場合も自尊心を打ち砕かれるという最大級の不快を味わいに抗うために駆り立てられた

 この寸暇を惜しんで何かをしなくてはと駆り立てるエネルギーこそが快感回路を乗り越えさせるのではないかそのような衝動が自尊心の崩壊という傷によってもたらされるのは興味深い傷の痕跡のなかにその人の個性の根拠があると思える

 空白の時間は怖い一人暮らしだと自分を必要とする人がいないから余計に空白の空虚さが身に迫る不安だからつい手近な刺激に手を出す刺激はちまたに溢れているでもそれらは私を満たしてくれるわけではない自己嫌悪が残るだけだそうならないためには空白の時間を別のもので埋めるしかないしかし何によって? それを見つけようとする時改めて個人的な負の経験の価値が浮かび上がるマイナスの経験のなかに自分の個性の根源があるのだ

注釈

  1. デイヴィッド・ J ・リンデン快感回路 なぜ気持ちいいのか なぜやめられないのか』、 河出書房2012 年
  2. 信田さよ子依存症』、 文藝春秋2000 年
  3. 芦田の毎日2006 年 4 月 7 日http://www.ashida.info/blog/2006/04/post_136.html
  4. ナニヨモ2022 年 4 月 22 日https://naniyomo.com/?p=7022

専門職(法律)ときどき文筆家。合法的な宇宙人。