孤独の座標

連載第9回: 非日常——流動する世界で避難民として生きる

アバター画像書いた人: K.G.ザムザ
2022.
08.26Fri

非日常——流動する世界で避難民として生きる

2022 年夏東京某所

 日中の気温は 30 ℃を上回るかつてのじっとりと汗ばむ夏の暑さとは違う窯のなかで焼かれるような全方位的な熱さだカーテンを閉め切った室内でも太陽熱がチクチクと肌を指す陽が沈んだあとも上昇し切った気温は一向に下がらない

 私は一日冷房の効いた部屋のなかで過ごす日中は外出を避け夜もエアコンの設置された仕事部屋で寝る空調のない寝室からは早々に退却した昼間は仕事場として使用する部屋で積み上げられた本の谷間に横たわっていると自分が避難民かのような気がしてくる3年目に入るコロナ禍下で生きていることを考えればなおさらだ

 業務用 PC を見上げて眠りにつきながら以前業務用 PC の下で寝たのは東日本大震災の夜職場に泊まった時だったと思う2011 年当時帰宅難民として都心のオフィスビルで夜を明かした私は 11 年後の現在自宅で気候変動と世界的感染症の避難民として起居している2022 年現在の生活は日常が非日常化しており両者の境界が揺らいでいるしかもそれを当然と受け止めているむしろ私個人の生活の範囲内では非日常化した現在の日常の方が生きやすい店舗の閉店や生活の困窮を強いられる人々を思うと言葉がないが

 一昨年の春に緊急事態宣言が発令されてから職場の環境はだいぶ変わった在宅勤務が制度として認められ所員の多くが出勤を控えるようになった出勤してもフロアはほとんど空席で1年以上顔を合わせていない人も多い異様なほど静まり返りさながらゴーストタウンのようだ最初の頃は律儀に出勤していた所員もここ最近はほとんど姿を見ない知らない間に退職していた人もいるもともと人間関係のドライな職場だったが今では同僚という意識さえ感じられなくなっている

 それを寂しく思う一方で職場の人間関係に縛られずにすむ自由を心地よく思う在宅勤務制度が終了して同僚たちと毎日顔を合わせなくてはいけない日が来ることを考えると心が重い同僚に久しぶりに会った時どういう顔をすればいいのかと戸惑うばかりだ

 もともと人に合わせるのが苦手だった性格がこの2年半で助長されたようだ今までは企業社会のなかで生きていく上で職業人としての仮面をつけていた外に出た時は社会人の私になりきっていたしかし家にいる時間が増えるつれて仮面を維持するのが難しくなっている今まで行ってきた仮面維持の努力に苦痛を感じ自分が関心のあることに没頭したいという思いが強くなっている人は誰しも比率の差こそあれ社会のなかの自分1対1の関係のなかの自分自分の世界のなかの自分という次元の異なる層を持っているここで仮面と呼ぶのは社会のなかの自分の顔だそれは意識的に切り替えるものというより環境に応じて自然に立ち上がってくる意識のあり方だしかし最近その意識のあり方自体が変容しているように感じる

 自分の心境の変化に戸惑うこのような変化は私だけなのだろうかそれともこの数年の一般的な現象なのかやがて秩序が回復した時私たちはかつての生活に戻ることができるのだろうか

 何かが変化したのは確かだ目に見える変化ではないしその中身は人によって異なるしかし何かが確実に変化している

 あらためて 11 年前のあの日を思い出す1年間の無職期間を経て大手町で働き始めた直後のことだった業界内で名の知れた事務所に就職できて晴れがましい気持ちが抜ける間もなく地震に襲われた何事かと思うほどの大きな揺れが収まって窓の外を見ると建設中の高層ビルの上部でクレーンがゆらゆらと揺れていた眼下の道は徒歩で帰宅しようとする人の波で埋められていた私は千葉まで歩くのは無理だと断念して職場に留まったツイッターが広まり始めた頃のことで翌朝までツイートを追って過ごしたのを覚えているまだスマートフォンは持っていなかった

 それから 11 年間ずっと同じ職場で働いている流動性の高い業界ということもあり11 年の間に何人もの同僚が辞めた職場の雰囲気も変わった就職当初あった和気あいあいとした雰囲気は時とともに消失した私自身せっかく仲良くなった人たちが次々と辞めていくのを見て関係を作ることが虚しくなり同じ事務所で働き続ける理由が分からなくなったかつて企業に勤めていた頃に持っていた同僚との仲間意識や愛社精神のようなものはどこにもない

 決して明るい 11 年ではなかったいつ仕事がなくなってもおかしくないと思いながら生きてきたしかし仕事は存続している多くの退職者を見送ったが残った人は組織の柱となっているそういう状況のもとで今回の事態が生じたコロナ禍に襲われるという事態が

 コロナ禍以降感染症に対応することが最優先される日々がすべてに取って代わるそれ以前の問題は棚上げにされ忘れられた

 しかし長い変化のうねりは続いている武漢市で発生したウィルスは長い変化の一端に過ぎない

 かつてあった世界は崩壊しつつある少なくとも私にとって子どもの頃思い描いていた世界企業に勤めていた頃信じていたような世界はもうどこにもないそれは私個人が企業を辞めレールを外れたからというだけの話ではない私の選択は時代の一部でもある同じような選択を行っている人が世界各所にいるレールを外れ独り身になり既存の秩序から抜け出そうとする人が周囲に合わせることに価値を見出せなくなった人どのように生きるべきか道すじが見えない人が

 東日本大震災の年に現在の事務所に就職した私にとってこの職場での年月は震災の後遺症とともに歩む時間だったそこで私は一つの組織の浮沈を体験した何より大きな変化は人間関係の変化だった技術の変化経済環境の変化感染症の蔓延といった諸々の事象は人間関係の希薄化をもたらしたもともとドライな職場ではあったがその関係は一層薄情なものになった自分を取り巻く関係が変化していくなかで私も変化せざるを得なかった

 私は痛感した自分の道は自分で決めるしかないと皆それぞれの都合でその人の道を歩んでいくのだからずっと一緒に歩める人はいない別れは突然やってくるたとえある時期同じ目的を持って時間を共有した仲間であってもあっさりと私の人生から消えていくだとしたら私もまた私の道を行くしかない最後は一人なのだ仕事やプライベートの具体的な選択においても死においても

 最後は一人——思えばそのことを私が最初に実感したのは中学生の頃だ

 当時の私は小児喘息を患っていた低気圧が上陸するとひどい発作に襲われて夜眠れなかった肺がふさがれたようになり呼吸ができず息を吸うのに必死だった仰向けの姿勢は苦しいので机につっぷして少しでも空気が吸いやすい態勢を取ろうとしたまたアロエを食べたり紅茶を飲んだりして苦しさを抑えようとした戦いは夜を徹して続いた眠くてたまらないのに力を尽くさないと呼吸できないため眠りに落ちることができずもがくばかりの時間夜が白み始めてやっと気管支の筋肉が弛緩して呼吸が楽になり体が睡眠を許してくれる夜を乗り越えることができた時の安堵は格別だった生きていることの有難さでいっぱいになったその瞬間だけあらゆる悩みが消えた

 死の恐怖と向かい合う夜の時間私は一人だった母が起きてきて背中をさすってくれることもあったが最後まで一緒にいてくれるわけではなかったまた日によっては咳がうるさい!と怒って私を放って寝てしまうこともあった母も疲れていたのだろうが私は見捨てられたように感じた誰も助けてくれないんだと思うと寂しかったが一人で戦い続けるしかなかった

 病気になると思い出す詩がある石垣りんのその夜という詩だ以下に引用する

女ひとり

働いて四十に近い声をきけば

私を横に寝かせて起こさない

重い病気が恋人のようだ

どんなにうめこうと

心を痛めるしたしい人もここにはいない

三等病室のすみのベッドで

貧しければ親族にも甘えかねた

さみしい心が解けてゆく

あしたは背骨を手術される

そのとき私はやさしく病気に向かっていう

死んでもいいのよ

ねむれない夜の苦しみも

このさき生きてゆくそれにくらべたら

どうして大きいと言えよう

ああ疲れた

ほんとうに疲れた

シーツが黙って差し出す白い手の中で

いたいいたいとたわむれている

にぎやかな夜は

まるで私ひとりの祝祭日だ

——詩集私の前にある鍋とお釜と燃える火と

 この詩を読むと喘息と戦った夜を思い出すその時私は限りなく一人だったしかしそれゆえに死と向かい合ったすえの生の喜びを深く感じることができた死と戦っている時翌朝まで生き延びることがすべてになり無意味なものはそぎ落とされる。 「仮面をつける余裕もない自分が存在そのもののようになるその清々しさ

 今私が一人で生きていけるのは中学生の時の経験があるからかもしれない一人で死と戦ったのだから怖いものは何もないという気持ちがどこかにあるそれが最後のところで私を支えている

 死こそは究極の非日常体験だしかもそれは一回きりしか経験することができない逆に言えば一回は必ず経験する周囲がどれだけ変化してもだけは変わらない自分が死に向かう存在であると自覚する時私はとてつもなく自由な気持ちになるそれは自分の限界を知ることによる自由だコロナ禍という非日常はそのことを思い出させてくれた


専門職(法律)ときどき文筆家。合法的な宇宙人。