仕事に疲れてベランダに出ると、 いつも通りの雑然とした町の上に雄大な空のカンバスが広がる。 抜けるような薄青の天穹に刷毛でサッとなでた白のストロークが重なる。 私は、 二日と同じ形を見せない表情豊かな空の深みに見入る。 暴力的な熱の攻撃により肌はひりひりと痛むが、 空はどこまでも穏やかだ。 視界を飛行機が一機横切っていく。 おおむね成田からの機だろう。 下界の混乱とは無関係に悠然と空の空間を直進していく。 私の心は一気に機上に移動する。 そこでは忙しい下界とは別様の時間が流れている。 重力に縛られない独立した時間が。 空港 A を離陸してから空港 B に着陸するまでの時間、 飛行機は日常世界の圏外に出る。
しかし、 私の体は地面に縛りつけられたままだ。 考えてみると、 もう何年も飛行機に乗っていない。 最後に乗ったのはいつだったっけ。 15 年前に新婚旅行でオーストリアに行った時だろうか。 いや違う。 その後、 今の勤め先に就職する前に 1 人でモロッコに行ったのだった。 とはいえ、 それだって 10 年以上前の話だ。 そういえば、 京都から国内線で帰ってきたこともあったはずだ。 しかし、 それも 10 年以上前の話だ。
年 2 回夏と冬に日本とアメリカの東海岸を往復していた大学時代、 出張でヨーロッパ、 オーストラリア、 アジア各地に飛んだ新社会人時代の生活を考えると、 今の生活は驚くほど内向的だ。 歳をとって保守化したと言われても仕方がない。 コロナ禍以前から国内旅行にさえも消極的になっていたことを考えるとなおさらだ。 年々出不精になっているのは確かだ。 元々ものぐさだったが、 最近その傾向が一段と強まっている。
とはいえ、 旅行しなくなったのはものぐさだけが理由ではない。 また、 旅行が嫌いなわけではない。 かつての出張の多い生活も嫌いではなかった。 海外旅行の非日常性は刺激的だったし、 国外に出られることは解放感があった。 訪問した国々でその国ならではの食べ物を食べ、 風景を見、 お土産を買うのは楽しかった。 成田空港に降り立つたびに現実との落差を感じて息苦しくなった。 機体が着陸態勢に入り、 降下して、 車輪が地面に接する振動を感じるまでの時間、 自分が否応なく現実に引き戻されるのを感じる。 シートベルトのサインが消えて、 通路の両側に並ぶ搭乗員に見送られて機を降りる時、 心に広がる寂しさを打ち消すように出口に急ぐ。 到着ロビーから入国審査までの長い通路は、 現実世界に心を切り替えるための準備期間だ。 旅の気分はすべて空港で脱ぎ捨てなくてはいけない。 「空の玄関口」 と呼ばれる空港は、 二つの世界をつなぐ通路でもある。
空港はどこでもない場所だ。 日本でありながら日本でない。 固定されることなく、 絶えず流動している。 空と同じで二日と同じ形をとることがない。 どこにも属さないその人工性が好きだ。 首都圏で生活する私が利用するのは主に成田空港と羽田空港だが、 いずれの場合も空港へのアプローチには独特の高揚感がある。 だだっ広い敷地。 規模感の異なる格納庫。 長い滑走路。 巨大な体育館といった風の伽藍堂の建物。 広い駐車場と空中のロータリー。 市街地から空港の敷地に侵入するとき、 非日常の空間に踏み込んでいることを意識させられる。 世界中どの空港でもそれは変わらない。
どこでもない場所である空港で私は誰でもない物体になれる。 一切のアイデンディティから自由な無機質な物体に。 生活から切り離された人工的な空間である空港では、 伊豆のバス運転手の娘と本郷の小商店の息子の長女であるという私の出自は意味を失う。 出身も階層も異なる多様な人々が互いに無関係に行き交う。 その瞬間だけ場所を共有して。
空港が二つの世界をつなぐ通路であるということは、 そこに境界線があるということでもある。 それは、 空港が COVID-19 の水際対策の拠点がであることからも分かる。 インフローもアウトフローも空港で管理される。 私自身、 空港の境界線としての役目を意識させられたことがある。 アメリカに出張するために出国審査を通ろうとして差し止められた時だ。 旅券をチェックした係員に止められ、 隣の取調室に連れ込まれた。 旅券が失効していたのだ。 有効期限はまだ先だったので何のことか訳がわからなかった。 取調室で質問を受けてようやく理解したのは、 以前渡米した際に旅券を紛失してボストンの領事館で仮発行してもらったことがあったが、 その時に元の旅券は失効していたということだった。 そんなことはつゆとも知らずに、 仮発行した旅券で帰国した私は親切な邦人の手を介して手元に戻ってきた旅券をそのまま使い続けていた。 しかも、 出国審査場で捕まった出張の前には問題なく出国していた。 しかし、 出国審査で引っかかった以上、 どう弁明しても出国は認められず、 私はスーツケースを引きずってすごすごと帰宅するしかなかった。
旅券失効事件以外にも出張にまつわる失敗談には事欠かない。 とはいえ、 悪い思い出ばかりではない。 出張時は、 せっかくの海外旅行を出来る限り楽しもうと精一杯努力した。 パリ出張の時はベルサイユ宮殿を訪ねたし、 シンガポール出張ではケーブルカーでセントーサ島に渡った。 韓国ではサムギョプサルをご馳走になり、 シンガポールでは火鍋を食べまくった。 仕事の重圧を吹き飛ばすかのように遊んだ。 しかし、 どんなに平気なふりをしようと、 仕事の重圧は常に意識の片隅にあった。 出張先のホテルでは翌日の会議の心配でキリキリする胃を抱えて夜中まで資料を準備するのがつねだった。 出張の醍醐味である一流ホテルの素敵な部屋に泊まりながら、 仕事さえなければどんなによかっただろうと思ったものだ。
一方で、 贅の限りを尽くした高級ホテルでの滞在は気分を盛り上げてくれもした。
豪華でスマートな調度に囲まれることによって、 自分自身が豪華でスマートな人間になったような気分を味わうことができた。 場所にふさわしく振る舞おうと、 自分の態度まで変わるのがわかった。 夜遅くまでコンピュータを睨んで唸っている点では家にいる時と変わらなかったが、 東京の狭い一室で仕事をするとのは訳が違った。 映画の中の登場人物になったような気分だった。
高級ホテルという洗練の極みのような装置は、 泥臭い現実から私を切り離してくれた。 私の中にある土着性を消し去ってくれた。 ホテルの中にいる限り、 絡みつくような田舎の因習的な人間関係、 洗練から程遠い家族、 貧相な住宅事情、 ぎゅう詰めの通勤電車といった現実は私とは無関係だというふりをすることができた。
ホテルの一室で滑らかな大理石の浴槽に浸りながら、 休みごとに訪れた漬物くさい田舎の祖父母の家を思い出して随分遠くに来たものだと思った。 ホテルは、 祖父母の経営していた田舎の民宿とは対極の存在だった。 同じ宿泊施設だとは思えないほどに。 何より高級ホテルには生活臭というものがない。
高級ホテルが提供するような人工的な装置のもつ効果は、 以前から実感していた。 というのも、 勤務先の海浜幕張のオフィス自体がそのような効果を持っていたからだ。 就職活動で海浜幕張の地を訪れた時、 異様に興奮したのを覚えている。 その人工的な都市に、 軍艦のような威圧的な社屋に。 世界征服でもするような気持ちで面接に臨んだ。 その建物で働いた 6 年間、 会社の立派な設備は私の誇りの源であり続けた。 私がその組織の一部であることの誇り、 会社の提供する最新設備への誇りは、 仕事の大きなモチベーションだった。 会社は私に私の望む自己イメージ、 バリバリ仕事をするスマートな女性、 というイメージを与えてくれた。 自分の中にある土着的なものを否定する力を与えてくれた。
しかし、 それらはすべて会社の力だった。 私は単に虎の威を借りているに過ぎず、 私自身はなんの能力も持っていなかった。 下駄を履かされているに過ぎないことは誰より自分自身が痛感していた。 時が経つにつれて、 私は空虚さを感じるようになった。 不安になった。 自らの置かれている状況と実態とのギャップに。 「元々人の借着をして威張っているのだから、 内心は不安」 という 『私の個人主義』 の中の漱石の言葉は、 その時の私の状態をぴたりと言い当てている。 私は自分に中身がないことを痛感し、 どうにかしなくてはいけないと焦った。 そのままでは駄目になってしまう、 いつまで経ってもいい加減な生き方しかできないと。
企業を退職したのは、 焦りの気持ちが飽和点に達した時だった。
15 年前のことだ。 退職したはいいけれど、 その先どうすればいいのかなんの考えもなかった。
あれから 15 年の月日が流れた。 中身を求めて右往左往する 15 年間だった。 そもそもどのようにして答えに辿り着けばいいのかさえ分かっていなかった。
15 年を経た今、 私は変わることができたのか。 中身のなさを克服することができたのか。
答えはイエスでありノーでもある。 なんとも歯切れの悪い答えだが、 他に言いようがない。
正直に言えば、 いまだに中身がないことに変わりはない。 あるとしても中途半端だ。 でも、 以前のようにはそのことを気にしていない。 時間は有限だと気づいたからだ。 自分が生きられる時間は限られている。 その時間の中で望むような中身を得ることはできない。 それは私の能力の問題ではなく、 時間が足りないからだ。 その意味で言えば、 時間は誰もに平等に与えられている。 限られた時間の中で成し遂げられることは限られている。 だとしたら、 成し遂げたいことのためにできる限りの時間を使いたい。 それ以外のことで時間を無駄にしたくない。 単純にそう思う。
夏目漱石は 「自己本位」 の言葉を得ることによって強くなったと語るが、 私は時間の有限性に気づくことで自由になった。 各人はその人の持っているものに応じて進むしかないという認識は私を自由にしてくれた。 各人の制限の中で自分を少しでも前進させるしかなく、 始点も終点も人によって異なる。 今の私は 「人の借着をして威張」 る必要がない。 答えの出ない問題を問い続け、 思考を一歩一歩積み重ねていくことに生きている実感を得ている。 辿り着く先がほんの数メートル先でしかないとしてもそれでいいと思う。
機上から下界を見下ろすのも楽しいが、 地を這う虫のように頭上の飛行機を見上げつつ一歩一歩自分の踏みしめた地面を確認しながら歩いていくのが最も自分らしい生き方のように思える。