孤独の座標

連載第5回: 壁——暗闇から光へ(1)

アバター画像書いた人: K.G.ザムザ
2022.
07.01Fri

壁——暗闇から光へ(1)

人間の長い歴史のなかで一人の人間の挫折に大した意味などあろうはずがないそれは過去数千年にわたる星の数ほどの挫折の一つに過ぎないとはいえその事実が挫折を経験した者を楽にしてくれるわけでもない挫折はその経験者にとっては無二の決定的な出来事なのだそれは時に生活全体を支配する足枷となり自らを信じる力未来を信じる力を奪う挫折者は羽衣を奪われた天女のように地面に縛りつけられる

 自信とは不思議なものだたかだか一つの精神状態に過ぎないのにそれがないと簡単な事柄でさえ成し遂げるのが難しくなるしかも自信には確かな根拠がない能力がなくても自信にあふれている人がいるかと思えば十分能力があるにも関わらず全く自信のない人もいる聖書の中に信仰とは望んでいる事柄を確信し見えない事実を確認することです。」 (ヘブライ人への手紙 11:1という言葉があるが自信の本質をついているように思える自信の力は目に見えないものを信じることにあるこの力を侮るべきではないこの力こそが自分を他人に優先させる動機となるこの力がなければ否定の厚い壁に立ち向かうことは出来ない

 人はどのようにして挫折を乗り越えるのだろうどのようにして失ったまたはそもそも最初からなかった自信を取り戻すのだろうはっきり言えるのは挫折を乗り越えるのにきれいな道などないということだ正解はどこにもない他人の経験が自分にそのまま当てはまるわけではないし他人の期待通りに変われるわけでもない自分の期待通りに変わることだっておぼつかない今度こそと何回も思い何回も失敗する他人を失望させ自分も失望する他の人はちゃんと生きているのになぜ自分にはそれが出来ないのだろうと自己疑念に苛まれる生きていることがほとほと嫌になる

 挫折を乗り越えることの難しさは自分の思惑通りにいかないということだスケジュール立案/実行/目標達成というサイクルは成り立たない私自身新卒で入社した企業を退職してからその挫折と折り合いをつけ新しい生き方を見つけるまでに 10 年以上かかった道を失った盲人のように右往左往する私の姿はさぞ滑稽だっただろう本人が必死だっただけになおさらに

 私の挫折の原因を一言で言えば力不足ということに尽きるもちろん実際にはもっと複雑な要因が絡み合っている過重労働人間関係管理体制の問題等並べ上げることは可能だしかし限られた字数と時間のなかで真因を挙げるとすればやはり力不足ということに行き着く確かに私は情熱を持って一生懸命働いていたが仕事上の問題を自力で解決する力がなかったその結果周囲の人に振り回されプロジェクト・リーダーとしての責任を果たせなかった仕事の現場で結果と結びつかない意欲はなんの意味もない課題解決能力のなさは成長課題として年次評価でも指摘されたことだったしかし当時の私は自分が責任を果たせていないことは痛いほど感じていながらそれを乗り越えるためにどうしたらいいのかさっぱり分からなかった高い壁の前で呆然と立ち尽くすことしかできなかった自分の能力不足を日々見せつけられるのはしんどい週次会議でプロジェクトの進捗を上司に問われるたびに有効な対策を答えられないことにいたたまれなさを感じた

 壁を乗り越えられないまま仕事を辞めた結果根深い劣等感が私のなかに残った他の人の成長や活躍を劣等意識を感じずに眺めることはできなかった

 実のところ自分の中途半端さを見せられたのはこの時が初めてではない大学でも同じ経験をしたかろうじて単位を取って大学を卒業したけれど授業を何も理解することはできなかった期限を過ぎて提出した最終レポートも何も理解しないまま枚数だけ埋めたものだった私は聖書のなかの藁の家の人のように命からがら大学を逃げ出したその結果学士を得て大学を卒業したにも関わらず自分の専門について語れることはゼロだしかも在学中過食症に陥って授業に出られないばかりか部屋の外に出るのも難しい日々が続いたのだから大学時代は私にとっての黒歴史と言っていい

 大学から社会人になる過程で私は高度な知識を得ることにことごとく失敗したそれが私の挫折の中身であり劣等感の源泉だった私が 40 歳手前で資格試験を受験することを選んだ理由はここにある何か達成しないと前に進めない状態だったのだ

 

 ところで中途半端な自分に対する劣等感に悩んだのは私だけではない明治時代同じように海外留学をし同じように壁にぶち当たった邦人がいたその名は夏目金之助後の夏目漱石だ漱石は大学で英文学を三年間勉強したものの遂に文学は解らずじまいであることに煩悶しあやふやな態度で教師になってどうにかこうにか御茶を濁して日々をやり過ごしながら腹の中は常に空虚だったと私の個人主義で述べる私がこの講演録を最初に読んだのは弁理士試験合格後化学の学士を得ようと夜間大学に通っていた頃だった大学近くのワンルームで起居していた当時の私には彼の煩悶が自分のことのように感じられた。 (ワンルームが神楽坂にあったのでなおさら!彼の語る中途半端さや空虚さは 40 歳手前になっても何も成し遂げていない自分の虚しさに重なった

 漱石はどのように彼の空虚さを乗り越えたのだろうか彼の答えは明快で、 「何かに打ち当たるまで行くというものだそれは彼が自らの経験を通じて掴んだ答えだった官費留学生の彼は留学先のロンドンで文学はどういうものであるかその概念を根本的に自分で作り上げることを決意しそれを実行したのだ正攻法とも言える特異な方法で

 漱石は自己本位の言葉を手に握ってから強くなったと語る

しかし一旦外国へ留学する以上は多少の責任を新たに自覚させられるにはきまっていますそれでは出来るだけ骨を折って何かをしやうと努力しましたしかしどんな本を読んでも依然として自分はふくろの中から出る訳には参りませんこの嚢を突き破る錐は倫敦ロンドン中探して歩いても見付みつかりそうになかったのです私は下宿の一間ひとまの中で考えました詰らないと思いましたいくら書物を読んでも腹のたしにはならないのだと諦めました同時に何のために書物を読むのか自分でもその意味が解らなくなって来ました

 この時私は始めて文学とはどんなものであるかその概念を根本的に自力で作り上げるより外に私を救うみちはないのだとさとったのです (『私の個人主義』)

私はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってから大変強くなりました彼ら何者ぞやと気慨きがいが出ました今まで茫然ぼうぜん自失じしつしていた私に此所ここに立ってこの道からこう行かなければならないと指図さしずをしてくれたものは実にこの自我本位の四字なのであります (『私の個人主義』)

その時私の不安は全く消えました私は軽快な心を持って陰鬱いんうつ倫敦ロンドンを眺めたのです比喩ひゆで申すと私は多年の間  懊悩おうのうした結果漸く自分の鶴嘴つるはしをがちりと鉱脈に掘り当てたような気がしたのです (『私の個人主義』)

 漱石の死の 2 年前に語られたこの文章は私を勇気づけた私の選択は間違っていなかったのだと信じ続けさせてくれた大学近くの日の差さないワンルームでパラノイア寸前の状態になりながらロンドンの下宿で一人引き籠る留学生金之助の心情に自分を重ねた彼のおかげで惨めでもいいんだと思うことができた例え今惨めであっても最後までやり遂げられればそれでいいそう思えることが希望だった漱石の言葉は暗いトンネルのなかの一筋の光としていつか私も自分の鶴嘴を鉱脈に掘り当てることができるのだという希望を与えてくれたその希望がパラノイア寸前であっても狂気に陥らずに自分を支えることを可能にしてくれたのだと思うそのおかげで逃げ出さずに最後まで成し遂げることができたそれは最初の大学時代にはできなかったことだ最初の大学時代と2 回目の大学時代の違いは何かを成し遂げようと思ったら孤独に耐えるしか道はないのだと観念する覚悟の違いだ。 「何かに打ち当たるまで行くという漱石の言葉はその事実を私に確信させてくれた

 

 ところで私は漱石から仕事や人生のノウハウを学んだと言いたいわけではないそのような安直な解釈に収まりきらないことが彼の魅力なのだ考えても考えても汲み尽くせないそういう奥深さが彼にはある私は彼の言葉の意味を考えているうちに次第に迷宮に迷い込んでいった次回は私を勇気づけた漱石の留学について考えたい


専門職(法律)ときどき文筆家。合法的な宇宙人。