孤独の座標

連載第3回: 部屋——本番の人生はいつ始まるのか

アバター画像書いた人: K.G.ザムザ
2022.
05.20Fri

部屋——本番の人生はいつ始まるのか

私は一つの部屋にいる今そこで生活しているのは私だ

数年前から私はこの部屋で起床し着替え食事し就寝している以前は別の部屋で起床し着替え食事し就寝していた

 部屋は正確には三つあるいわゆる 2LDK 住宅ファミリータイプの住居だ

 この箱の住民は私一人言ってみれば一人ファミリーだ最新型家族としての一人家族人類の進化の最終形態しかしこれは語義矛盾だ一人で家族を構成することはできない

 箱は見るからに昭和の産物だリビング以外は和室で収納は押入れのみ台所/リビングは仕切りのない同一空間で配管は剥き出し他世帯が水を流すとごうごうと響く動線や使いやすさへの配慮とは無縁だ

 しかしこの地上四階の空間はまぎれもなく私の家だ私の生活の拠点であり憩いの場であり城塞だ鉄の扉と四方を囲む壁が私を守る

 この部屋に移り住むときここに自分の家をつくると決めた約束の地にたどり着いたユダヤ民族の父アブラハムのようにこの地に私の家を建てるそしてこの無記名の空間が私のとなるように心を懸けてきた文字通りの意味でたとえ単独の生活であっても

 部屋はそこに人が住みさえすればひとりでにになるわけではない

 部屋は誰かがそこに住まい命を吹き込むことによって初めてとなる自分の育った家を思い出すときそう実感する幼少時家の中心には母がいた母が家に命を与え家をつなぎとめていた家のなかに置かれた雑多なものを気にかけることによってそれらに存在の意味を与えていた母はいつも手を動かしていた座っている時でさえ何かを磨き床にローラーをかけ⋯見慣れた影が家のなかを動きまわる音掃除機をかけたり洗濯をしたり食事の準備をしたりする音は私に安心感を与えた家は狭く家具も高級ではなかったがそれらはみな手入れされていたみな家に馴染んでいた

 ポール・オースターに孤独の発明という作品があるそのなかで金のない主人公 A はオフィスビルの一室に住むそこは見るからに殺風景な部屋で家具もマットレスくらいしかないその部屋についてオースターは書く。 「この部屋に長時間止まることによってたいていの場合彼は空間を自分の思考で満たすことができるそしてそれが荒涼さを霧散させてくれるように思える母とは異なるレベルで A も思いが空間に命を与えることを知っていた

 部屋はそこに人が住みさせすればひとりでにになるわけではないと私は書いた

 学生の一人暮らしの部屋を家とは呼ばない独身寮の部屋を家とは呼ばない

 遙洋子がいつか結婚する将来のために十年近く三段ボックスで暮らし続けていた彼女自身について、 「結婚が予定だとすれば現在のすべては準備段階であって私は仮に生きていることになる——恐怖が襲ったもし永遠に予定が実現しなければ私は仮の人生を生き続けることになるんじゃないか!と書くときその言葉はを持たない私たちの心の洞に響く彼女の言葉のなかに自分の姿を見たのは私一人ではないだろう

 私の場合ゴールは結婚ではなかったが将来の完成形のために仮の人生を生きていることに変わりはなかったそれは家づくりをしないという態度に現れていた三段ボックスですませる遙洋子のように私もすべて安物ですませていた特に現住居の一つ前に住んでいた狭いワンルームアパートではその態度が徹底していたその部屋は職場と当時通っていた大学との近さ及び家賃の安さのみから選んだ籠で日当たりも景観も悪く収納が小さいので物がほとんど置けず冷蔵庫は流しの下に備えつけの超小型のもの風呂はぎりぎり体が入るユニットバスだったちょっと動くだけで物にぶつかるので体の動きには常に注意しないといけなかったそれは落ち着いて生活できる空間ではなく長時間過ごしたい空間でもなかったいわば戦いの合間に睡眠をとるための兵舎のようなものだった兵舎の方が体を伸ばすスペースがあるだけまだマシかもしれないその籠で過ごした数年間は気の滅入るものであり最後にはちょっとした物音にもパラノイア的反応を示すほどひどい精神状態に陥っていた

 今では遠い夢のように感じるがそのような日々は本当にあったのだゴキブリにおびえ小さな音にも追い詰められる日々が怖くて寝床の中で身動きをせずに固まっていた日々が

 あの日々がなければ仮の人生をやめようとまで決心しなかったかもしれない

 仮の人生をやめることそれはひとりで生きることを完成形とみなすこと先にある目に見えない予定のために生きるのをやめることだったその決意を象徴するのが物件を購入する必要はないただ自分ひとりで生きていくための生活の場としての物件を選び生活にふさわしく整えそこで本番の人生を始めるのだ

 住居を決めることは必ずしも快い作業ではない自分の収入を明確に把握しないといけないし自分の住む地域住む家を固定しないといけないそれはそのまま自分の属する社会的階層を突きつけられることでもある社会的成功者でない者にとって社会的枠組みに自分を組み込むことは気が重いしかし結局はどこかに所属するしかない一定の枠組みをつくり収入を計算し予算を立てそのなかで生活という事業を執り行っていくしかない自分の生活レベル予算の枠組みに応じて快適に暮らすための必要条件をビジネスライクに割り出さなくてはいけない

 本番の人生を始めるために私が選んだのは現在の住居都市再生機構 UR旧日本住宅公団の団地の一室だ。

 一人暮らしで 2LDK は贅沢と思われるかもしれないでも仕事に集中するために食事/休憩の空間仕事/勉強の空間睡眠の空間を分離させたかった一人暮らしの人間には頼れるものが自分の労働力しかない労働力を維持し続けるために心身の健康を保つことは最優先事項だ分離された空間を確保することは私にとって精神的なバランスを保つための差し迫った要請だった

 私は UR の団地に住むことを選んだ独身者のボヘミアンな生活とはほど遠いこの施設に住むことを団地ほど地味で個性の乏しい物件はないだろうそれもそのはず団地は戦後の住宅難を解消するために国が設営した標準化住宅なのだ狭い面積の中に最も効率的に家族を収容するために 51C1という型が考案された。いわゆる 2DK だ公団はこの 51C から始まり LDK へと拡張された標準的な型をコピペすることによって住宅を量産したかくして標準家族が住むための標準住宅が出来上がったこの標準住宅は標準パターンのライフコースの一環として存在した団地は都市流入者の標準的なライフコースにおける通過点となった

 しかし社会上昇という標準的なライフコースの夢をもたない私にとって団地はそのままひとつの終点だ大量の都市流入者の住宅難解消というかつてのミッションを終えた団地は、 「自分探しをしなくてはならなかったと団地愛好家・大山顕23は書くそれは団地があくまでもインフラであり小洒落た商品になりきれないからだと大山は分析する小洒落たマンションに場違いな感じを受けた私には大山の分析が私のことを語っているように思える標準的なライフコースから外れた私にキラキラしたマンションは似合わない無骨なインフラとしての姿をさらす団地こそ私が住む場所に思える

 現在私の住む団地は単身または夫婦の高齢者子どものいない中高年夫婦子持ちの若い夫婦アジア系・欧米系外国人と多様な人々が住む親世代と子世代が隣り合う部屋に暮らすことも多い仕事を終えて帰宅し階段を上がると異国の香辛料の匂いが漂ってくるドアベルが鳴るので誰かと思えば部屋を間違えた老婦人が立っている地上階に降りれば公園で子どもたちが走り回り週末には同じ公園でゲートボールに打ち興じる高齢者の姿が見られる

 公園で駆け回る子どもたちを見ていると古い記憶の断片が蘇るかつて私はある団地の横のアパートに住んでいた中央通路を挟んで数十の棟が並ぶその団地は一つの町のようだった町の住人である親友二人と毎日のように棟の間を駆け回ったものだ公園棟間の通路階段室——団地は巨大な秘密基地だった

 二人の友だちの家に遊びに行くのが好きだった団地の居室にはアパートにはない特別な雰囲気があった幼い私は心の底で団地に憧れていたのかもしれないその佇まいに魅せられて

 今私は一つの部屋で生活している都市再生機構 UR の団地の一室だ。 「自分探しに失敗した団地に自分探しに失敗した私が住むのはいかにも似つかわしく思えるどのようにしてこの場所に辿り着いたのか分からない偶然としか言いようがない長い時間を経て偶然の結果私は幼少時の原風景に戻ってきたここに私のを築くために

注釈

  1. 51C   1951 年公営住宅標準設計の一つの型の名称当時最も小さい型として 51C が考案され全国的に数多く建てられ日本住宅公団に引き継がれて公共住宅の原型となった。 (鈴木成文上野千鶴子山本理顕 『「51C家族を容れるハコの戦後と現在平凡社2004 年
  2. 大山顕  1997 年から会社員をしながら団地を撮り続け、 『大団地展という写真展を開き、 『団地の見究という本を出版東京書籍2008 年)。 現在はフォトグラファーライターとして活動
  3. 大山顕佐藤大速水健朗団地団 ベランダから見渡す映画論キネマ旬報社2012 年

専門職(法律)ときどき文筆家。合法的な宇宙人。