D.I.Y.出版日誌

連載第376回: 人権と民主主義のためのソーシャルメディア(あるいは出版と読書)

アバター画像書いた人: 杜 昌彦
2025.
02.26Wed

人権と民主主義のためのソーシャルメディア(あるいは出版と読書)

十年くらい前ひとりが踊りはじめたら真似するやつがでてきてつられてみんな踊りはじめる⋯⋯という動画が話題になったあれには騙されたね人類史上もっともひどい嘘だったウェブ上の流行やインフルエンサーといったものが自然発生であるかに信じ込まされただれかが儲けるのに都合のいいものを見せられているだけという事実をうまいこと隠蔽された視界を支配されアルゴリズムに動機づけられたひとびとは権力に都合のいい考えを擦り込まれるすべての価値はアルゴリズムが決める利益にならないもの都合の悪いものは表示機会が抑制され人目につかぬようにされて無価値として扱われるそしてひとびとは自分で感じたり考えたりするのをやめてしまった権力が決めたとおりに考え行動するようになったいちばん儲かる商売は従わないやつを黙らせてひとびとの考えを支配することなんだよなその商売はかつてファシズムと呼ばれていたいまやだれもがその尻馬に乗って儲けようとしている世の中がこうなったのは法や社会倫理を出し抜いて自分だけいい思いをすることをよしとする価値観が広まったせいではないかと思うそういう風潮がいまの Web をつくったともWeb がそのような風潮をつくったともいえるなぜかみんな出し抜く側にまわれると思い込んでいる——踏みつけにされる側じゃなく順番を守って列に並ぶほうが結局はみんな楽なはずなのに押しのけて横入りするのが賢いみたいに考えるそういう発想や価値観が当たり前になってしまった

 人間性は評価を下げて最適化の妨げになる夾雑物を排除して効率を高めなければだったら最初から人間を挟まず直接アルゴリズムだけでやりゃいいInstagram のインフルエンサーは顔を出さぬのが主流になりつつあると聞いたちょっとでも人間性を感じさせると売上が落ちるのだそうだ前からそうだったが最近はその傾向が強まっているというより最適化するために AI を使う例も増えているとかはてなでも AI が書いた増田を AI がブックマークし寸評する光景が日常となったそこでは高得点を獲得するため効率よく対立を煽る文章が日々生成されているアルゴリズムへの適応を突き詰めればそりゃそういうことになる受容する側もちょうど筒井康隆が 60 年前に48 億の妄想で描いたように人前でいかに演ずるかを採点されあるいは罰される消費とはそういうものになったあるいは読書のようにそれぞれの内面を尊重し育む文化すらもそれすらもアルゴリズムに評価されるための自己宣伝の芝居でしかなくなった現代の小説はかつてそうであったような人間や人生についての何かではないアルゴリズムに評価されるための貨幣となったアルゴリズムに最適化されなければ存在を許されない世界人間性は排除せねばならず結果だれもが AI に頼る

倫理上の Web 原則 — W3C TAG Ethical Web Principles2. 原則には以下のような理想が掲げられている

2.1. web は一つである

2.2. web は社会に害をもたらさない

2.3. web は健全なコミュニティと討論をサポートする

2.4. web はすべての人々のためにある

2.5. web はセキュアであり人々のプライバシーを尊重する

2.6. web は表現の自由を可能化する

2.7. web は情報を検証することを可能にする

2.8. web は各個人の制御と力を増強する

2.9. web は環境を支続可能なプラットフォームである

2.10. web は透明である

2.11. web は複ブラウザ, 複 OS , 複機器のためにある

2.12. web は人々が選ぶ仕方で消費できる

 両親が正常ではなかったので人生の大半は自由を制限されていた遺伝性の脳障害知的障害あるいは発達障害を持つ上にアーミッシュまがいのデジタルデバイド最底辺から這い上がらねばならなかったそういう人間であるにもかかわらずあるいはだからこそこの理想を信じているこれこそが人権であり民主主義だと思うところが世の大半のひとびとはおなじ理想を信じていないむしろ憎みファシズムや家父長制をいいものだと思っているかれらの望みに従って現実の Web はまるで別物へと変容したそれはごく一部の政治家や資本家のためにあり対立を煽ってコミュニティを潰しプライバシーを奪い不都合な表現を不可能にしまやかしを信じ込ませ個人から力を奪って奴隷にしスリーマイルを再稼働させ悪意のブラックボックスであり権力の望む利用環境のためだけにあってかれらが選ぶ仕方でのみ利用でき抜き差しならぬほど依存させた挙げ句利用したければ資源をよこせなどと強請るなど)、 そのようにして議会を襲撃させ図書館を焼き討ちさせいままさに社会を崩壊させつつあるそして最悪なことにWeb はひとつでどこへも逃れようがない2016 年頃からお一人様サーバ的なものをあれこれ試してきた人権や民主主義の理想にとって必要だと感じたからだだれもが自分のサーバを持ちそれぞれが尊重されるべき独立した人間としてたがいに緩く連合するのがおれには自然なありように思える現実の社会ではアルゴリズムに破壊されるまでそのような営みが人類の歴史とともにあったはずだでもだれもそんなふうには考えない遺伝と生育環境に恵まれたひとびとがわざわざ中央集権的なものに引き寄せられることがおれには理解できないあるいはこれもだからこそかもしれない世間のひとびとは痛い目にあった経験がないのだまだしかしこれからは⋯⋯

 インターネットを公共インフラとして考えたときだれがどうやってそのコストを負担するのかという話になる自分が見ている世界にだれかの意図が働いていると考えるのをひとは好まないただ自然にそこにあるものを利用するだけだから金を払いたくないと考えるところが実際にはだれかがなんらかの利益を得るために資本を投下しているそこで広告が虫のいい利用者とテクノファシストにとって Win-Win の答えとなったここでいう広告とは知恵を絞りひとと対話し汗をかいて商品のよさを理解してもらうことではない本来はそういうことだったはずなのに!)。 「考えをコントロールする⋯⋯ただそれだけになってしまった法や倫理を出し抜いて自分だけがいい思いをするのが賢いみたいな価値観の行き着くところがそれだノーランの SF 映画みたいに夢で考えを植えつけたりしなくてもいいただ視界を支配して見せたいものだけを見せ望む行動に報酬を与え望まぬ行動に罰を与えればそれだけで人間の考えは支配できるそして困ったことに人間はそういう力に身を委ねるのが好きだ。 「賢い側に立った気になれるからやりたい放題の暴力をあたかも自分の力のように感じることができるから寄らば大樹の陰責任を負いたくない他人の決めた範囲で生きたい力のあるものについていればまちがいないと思っている父親が生まれながらの社会病質だったのでかれをとりまく大人たちがやりたい放題の暴力に胸のすく思いをしたり尻馬に乗って二次加害したりそうすることで自分に力があるかのように錯覚したり密かにおこぼれにあずかったりするさまを子どもの頃からいやというほど見てきた踏みにじられた経験がないとそうした邪悪さには気づかない抗う人間のほうがおかしいことにされる

 ひとびとが中央集権に引き寄せられるのはほかにも理由が考えられるまず中央集権が本来的な機能ではないが結果としてコミュニティとして利用され得ること次にアルゴリズムないしその波及によるディスカバラビリティだコミュニティとは本来はそれぞれ独立した個人が寄り集まった結果として形成されるものであるはずなのにあたかも中央集権の枠組があらかじめそれを規定しそこにひとが集まるものであるかに思われているそこでひとびとはそのように思わされているものを実際にその代替物として使い結果としてそれはそれなりに機能するだからコミュニティとはそれそのものでありそれしかあり得ぬかに錯覚するテック企業はそうして誘蛾灯のようにひとびとを集め、 「仲間がそこにしかいないという錯覚でひとびとを人質にとるたしかに現状それぞれ独立した個人が寄り集まってコミュニティを形成する手段はないだれもつくろうとしないからだというかそういうものが必要だとの発想すらだれも持たないすでに中央集権で用が足りていると錯覚させられているからだこの枠組の必要性はキュレーションやディスカバラビリティの問題にも通じるアルゴリズムの波及というのは洗脳された連中がその価値観のままふるまう現状が Fediverse にはあってそこでの見いだされやすさは結局テクノファシストの決めた価値でしかないということあるいはアルゴリズムに選ばれし民こそが結局はそこで付与された価値によりよそでも崇められるということそしてアルゴリズムに適応できず表示機会を奪われたひとびとは価値のないものと認定されたままよそへ行っても尊重されず不可視のままであるということたとえば Fedeverse を支持する連中でさえだれもが大規模サーバに所属していてなんだかんだいって結局は中央集権に与しているそうしないと見いだされ得ないし見いだされなければ存在しないもおなじになる。 「Fedeverse を支持する投稿を読めたのはかれらが大規模サーバに所属していてアルゴリズムに調教されたひとびとがアルゴリズムで見いだされた人脈やアルゴリズムで付与された価値でもってかれらを見いだしたからだこれらの現状があるのでひとびとは中央集権から離れられない

 ディスカバラビリティを担保する取り決めはソーシャルメディアなりモールなりとは切り離された外側にあるべきだ何か技術上の取り決めのようなもので解決できそうな気がするなぜみんな単体でその機能を備えているべきものと思い込むのか切り離して考えられないのか個人とは権力の枠組によって規定されるものと思い込んでいるからだ人権というものを権力者の恩寵により賜ったものと思い込んでいるのと同様に⋯⋯アルゴリズムのすべてが悪いとはいわないYouTube の関連づけやサジェストも以前はそれなりに機能していた古いレコードばかり試聴していると好みの音楽ばかり表示してくれたそれで知った音楽がたくさんある残念ながら七八年前から連中の都合のいいものばかり紛れ込ませてくるようになってきたがうまく機能していた頃のその体験を再現することはできるはずだ規則さえ定まればある程度までは人力でもやれるし権力につけ込まれぬためにはそうしたほうがいいつまり自分の意思で自分の手で自分の好みや考えを投稿あるいは自分のサーバ=自分のアカウントにタグづけしていくそのタグはハッシュタグのようなものであってもいいが不可視のほうが望ましいソーシャルメディアにおいてはそこまでで終わりでそれとは独立した別な仕組み外側を取り巻く何かがそのタグを集積して重なり合う雲を表示する関心のある重なり合いからもっとも自分に近いものを自分の意思で拾い上げる技術的な枠組さえ決まれば実現は難しくないと思うあるいはもっと単純に Fediverse アカウントでログインできる集会所のような場でもいい⋯⋯ここに書いていることはただ世の中を嘆いているわけじゃない別な社会のありようがあるはずだと思って書いているその答えはひととひととが対話するという泥臭い営みにあるような気がしている残念ながらその能力をおれは持ち合わせない世の中にはまともに戻ってほしいがそうなったところで結局どこにも適応できない


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。

“人権と民主主義のためのソーシャルメディア(あるいは出版と読書)” への2件のフィードバック

  1. 杜 昌彦 より:

    楽犬舎(自前のMastodonサーバ)に書いたことをまとめました