ゴミは前日の夜に出すことにしている。 先日、 資源ゴミを出しに行くとき、 隣室のドア前に空の瓶や缶でぱんぱんに膨らんだレジ袋が置かれていた。 普段そのようなマナー違反をやるのは自分だけなので二度見した。 おれが飲まない甘い飲み物ばかりだった。 ということは正体をなくすほど泥酔してやらかしたとか、 もうひとりのおれが出現して迷惑行為をはたらいたとかではないらしい。 ゴミを棄てて戻ってきたらそのドアの隙間から水がちょろちょろと洩れ出ていた。 ホラー映画の血を連想し、 またも目を疑った。 水は見る見るうちに隙間からあふれ出して通路を濡らした。
先月 49 歳になった。 蔑まれるだけの人生から抜け出したい。 ずっとどんぶり勘定で生きてきた。 調べてみたら極力金を使わないよう努力した月でも 20 万以上かかることがわかった。 毎月四万くらいずつ足りない。 半年ごとに支給される交通費と小遣い銭程度の賞与でどうにか帳尻を合わせてきた。 生きるのに必要な買い物しかしていなくても綱渡りだったところに加えて、 去年さまざまな家財が寿命を迎えて帳尻が合わなくなった。 高騰したサーバの契約更新さえなければどうにかなったはずだ。 メールアドレスを保持するために支払わざるを得なかった。 何しろこれだけの無能だ、 けりをつけようとしてもきっとしくじる。 不具になった人生を維持する金はない。 十年前はただ生活するだけでこんなに金がかかったろうか。 そんなはずはないと思うのだけれど。 小説を書くどころじゃないや。 まともな家庭に生まれ育った健常者が妬ましい。
社会はふつうの人間のためにあり、 ふつうであることを前提に設計されている。 ひととちがった経験をして、 ひととちがってしまったら生活していかれなくなる。 視界や身体を支配する端末がひとびとの掌にある時代。 物事の価値はプラットフォーマーが利益のためにアルゴリズムで決める。 ユーザは視界を操作され考えを吹き込まれ、 自分で選んだつもりにさせられる。 そのようにして自由意思は排除され、 権力の望む世界ができあがる。 本だってふつうの人間のためにふつうの人間が経営する会社が出している商品なのだから、 ひととちがう人間が書いたものは商品として成り立たない。 小説はソーシャルメディアでの交流が拡張された先の指標あるいは換金装置にすぎなくなった。 権力の強化に寄与しなければ非表示にされる。 冬のダムに身を投じた漫画家のように、 だれにも信じてもらえないカサンドラのように。 世界中にだれひとり味方がいない状況で、 だれも読まずだれにも評価されずばかにされるだけの小説を、 ばかにされるためだけに死ぬまでこつこつと書いていくしかないのかな。 何をどれだけ努力してどれだけのものを書いてもばかにされるだけの人間と、 努力しなくてもたいした代物でなくても、 ただ書いただけであっさり評価されるやつや、 努力すればするだけ評価されるやつとの違いはなんなのか。 まぁそれが 「才能」 ってものなんだろうな。 たとえばおれが若いとき、 編集者との会話に父親が執拗に首をつっこんできて支離滅裂な厭がらせをされて、 それで話が流れたのも 「才能」 がなかったってことなんだ。
毎晩 4 時間から 5 時間は不眠でむだにしている。 その時間に本を読むべきなんだろう。 こないだ職場のトイレの姿見でマスクをはずして自分の顔を見た。 「こんな人間の顔ある?」 「人間の顔ってこうじゃなくない?」 という強烈な不安におそわれた。 もともと失敗した福笑いのように、 戯画化されたかのような顔のパーツに対して配置がおかしく、 デッサンが狂っているとは思っていた。 しかしあらためて直視すると醜さを通り越してほんものの恐怖を感じた。 低身長に対して顔が大きすぎるせいか。 つくりものめいた目、 鼻、 口のきわめて不自然な配置のせいか。 何か底なしの暗い穴を覗き込むような心地がした。 醜形恐怖というより不気味の谷に近い。 原形を留めぬほど損壊された人体がまだ死ねずにこちらをじっと見ているかのような。 シャーレで培養した皮膚細胞にどう見ても目玉としか思えないものがふたつ形成されたかのような。 あれより長く直視していたら気が狂っていたろう。 あるいはすでにおかしくなっているのか。 精神異常でも人格障害でもないと三人の医師から診断されたのはもう十五年くらい前だもんな。 健康診断に精神鑑定も含まれればいいのに。 でもそうしたらかなりの人間がひっかかるだろう。 コールセンターで働いている。 おれよりひどい発達特性のやつを何人も見た。 だれひとり病識はなくまわりをカサンドラ症候群にしながら平然と生きている。
父親のように肥るのが怖いので休日には走ることにしている。 走るどころか鬱で一歩も表に出る元気がなかった。 喰えば肥るし金がなくなる上に糞まで出る。 何もいいことがない。 でも忌々しいことに腹は減る。 気分転換に、 ふだん行かない生協で処分品の刺身でも買おうと思った。 ひもじいとろくなことを考えないと 『じゃりン子チエ』 にも書いてあったしな。 通報されない服に着替えようとして妊婦さながらに出た腹に気づいた。 着替える服を白シャツではなくジャージにして走った。 帰りに遠廻りして生協に寄った。 鰹のたたきが売られていた。 生魚は寄生虫に気をつけて喰えと貼紙があった。 買うのをやめた。 ジンと焼き魚と処分品のプラムを選んだ。 レジの大半がセルフ式になっていた。 おれは精神異常者の家庭に生まれ育った発達障害者だ。 ルールを学習して自分のものとすることができない。 だから何者にもなれなかったし、 ソーシャルメディアでもうまくやれない。 さいわいセルフレジは職場近くのイオンで典獄みたいな監視役の若者に嘲笑されながら学習した。 子連れの専業主婦や疲れきった会社員に押されるように列へ加わった。 画面の指示が理解できない。 レジ袋をかけろと表示されているがレジ袋の束がすでにかかっていて指示図と乖離がある。 レジ袋をかけろと三十回ほど機械に罵倒された。 結果、 苛立たしげな視線を浴びながら列を逆行し、 人間のいるレジに並び直した。
帰宅すると隣室のドア前に蟻駆除剤が置かれていた。 三年前におれが発狂するような思いに迫られて買ったのとおなじ薬剤だった。 緑の透明プラスティックの内部に毒餌を運び出そうとする蟻の群が見えた。