花火大会を報せる花火の音で区民祭りの日だと気づいた。 いつも走りに行く公園が会場。 きょうは走るのは中止だな⋯⋯あえて走りに行った日からもう二年も経つのか。 大混雑でだれもマスクをしてないのにびびったもんだった。 六階のこの部屋に越してきたときからずっと今夜を楽しみにしていた。 来年にはマンションで隠れる空に隣町の花火を見たんで、 もう充分ではあるけれど、 でもやっぱり期待している。 このために越してきたようなもんだから。 前に住んでいたアパートの一階の窓からも、 建物の谷間から十年あまり毎年見ていた。 花火なんか興味なかったけれど、 どういうわけか休みだったりちょうど帰宅したタイミングだったりが重なって、 毎年たまたま見ることになったもんで、 苦労して這い上がって曲がりなりにも自分の人生を手に入れてからの歴史を重ねてしまう。 ところがコロナ禍で中止になり、 再開したときには打ち上げ場所が変わって見えなくなった。 去年の夏にはわざわざ立体駐車場に無断侵入して眺めた。 その時点まではまさか 16 年暮らしたアパートが取り壊しになるなんて思ってもみなかった。 花火が見えなくなったのが前ぶれだったんだなと思うし、 そういう意味でおれにとって、 今夜の花火は生活が変わったことの象徴なんだよな。 たかだか細い道を二本またいだ距離の差でしかないとはいえ。
前の部屋から持ってきたタオルが臭くなってしまった。 熱湯をかけたり漂白剤につけてみたりしてもだめ。 アトピーの原因はこれかもしれない。 思い返せば去年 30 年ぶりに再発したのは、 靴下を手洗いするようになってからなんだよな。 以前はまとめて一週間分を、 ほかのタオルやシャツや肌着と分けて洗っていた。 一週間分を洗濯槽で熟成発酵させるのがいやになり、 かといって靴下一足だけを洗濯機に入れるのはさすがに無駄だし、 時間が倍かかるのも気に入らず手洗いするようになった。 最初のうちは絞って干していたのだけれど、 しだいに脱水が億劫になり、 ほかの洗濯物と一緒に洗濯機へ放り込むようになった。 さらには手洗いが面倒な日は、 丸一日穿いていたのでなければ、 ほかのと一緒に洗ったりもしていた。 靴下はどう洗うのが正解なんだろう⋯⋯なんてことを書いていたら、 まったく存じ上げない方に 「週に二、 三回に分けて洗濯しています」 なんて急に話しかけられてびっくりした。 ものすごくちゃんとしたまっとうな方のようで、 そんな方の前におれみたいな異常者が表示されたことをもうしわけなく思う。
建て方が悪かったのか、 おなじドメインの前のサーバで鎖国していたのが尾を引いているのか、 楽犬舎の 「リアルタイムフィールド」 にはフォローした方とそのひとたちがリツイートした投稿だけが表示される。 なので自分が見ず知らずの他人に見えているという意識がない。 よくも悪くもマイクロブログとして備忘録に使っている。 数行の記事を投稿し、 ひとさまの記事を拝読して感想を投稿する。 めったにやらないが、 話しかけるとしたらコメント欄に書き込む意識だ。 ひとさまの座敷に無断で上がり込むくらいの感覚⋯⋯まぁさすがに靴くらいは脱ぐけれど。 おれにはソーシャルメディアは向いていない、 社交性がないからだ。 というか最低限の社会的能力がない。 ソーシャルメディア以前に現実の社会生活がまともにつとまらない。 だから作家になれなかったし、 これからも世間に見いだされることはない。 しかし実際問題、 おれは他人からどの程度見えてるんだろうな。 見えてたらもうちょっと読まれてるはず。 どこまでも完全な透明人間なのだろう⋯⋯と思いもするのだが、 ひとは貶める対象だけはしっかり観察しているものだ。 さておき単純に技術的な問題として知りたいものだ。 なぜおれのサーバには連合先として何も表示されず、 見知らぬ他人のサーバにおれが表示されたのか。
マスクのサーバでは読んでください読んでくださいとツェねずみ紛いの連呼をしているけれど、 そんな物乞いのような真似をしたいのか、 そもそもほんとうに読んでほしいのかも自分でわからない。 評価はされたい。 この現状はあまりに不当だと思う。 でもそれは加害者たちにめちゃくちゃにされた人生が不満なだけであって、 それはもう 50 歳になった今となっちゃどうにもならない。 まして書くことで取り返せるものではない。 愛とか、 生まれながらに祝福された何かは、 せいぜい 20 代でなければ埋め合わされない。 それに世間が評価するのはおれがやっているようなことではない。 もっと社会的な能力とか、 AI に代替されるようなアルゴリズムに最適化された消費しやすいものが求められている。 おれは完全にむだなことを全力でやっていて、 報われることはない。 おれが幸福になる日は来ない。
紫外線がアトピーにいいのではと考え、 上半身裸で Darren Hayman の新譜を聴きながらベランダで推敲。 どうしちゃったの? というくらい聞きやすい。 へろへろなローファイポップの印象をもっていたけど今回は王道というか直球というか。 ふつうのアメリカンロックみたいに聞こえる。 へぇ、 亡くなった友人への追悼作なのか⋯⋯これまでの作品でいちばん好きかもしれないな、 名盤。 世間の人間がわざわざ旅券を取得し飛行機に乗って浮世離れした南の島の、 一泊何十万もする宿のプライヴェートビーチくんだりまで赴かなければ味わえないこの経験を、 窓を開けてベランダへ出るだけで得られるなんてな。 そのあとのシャワーも数歩で済む。 30 分ほど日光浴してからビルケンシュトックのサンダルをモーブレイの洗剤と濡れ雑巾と使い古しの歯ブラシで手入れした。 きのうはカーテンを洗った。 ぶじに夏の課題をこなせたわけだ。 涼しくなり秋を感じたらエアコンを掃除するつもりでいる。 毎年、 区民祭りとともに夏の終わりを実感する。 悪くない夏だったかもしれないな。
⋯⋯結局、 今年の夏を最後まで味わい尽くしたくて走りに行った。 今年も規制線が張られていて、 にこやかな警官に身ぶりで迂回をうながされた。 せっかくだからと速度を落とし、 歩いて混雑へはいっていった。 強い陽射しのせいか例年よりひとがまばらだ。 ピクニックのように木陰に座り込んでいるひとが多い。 家族連れや中学生カップルがまぶしくて、 一瞬で耐えきれなくなり、 こそこそと逃げ隠れるように離れた。 時計の計測によれば 16 分しか走らなかった。 いつもより 10 分少ない。 薬局で買い物して帰宅し、 シャワーを浴びてウェアとジーンズを洗濯機へ放り込み、 十年くらい前にジャックダニエルズの景品でもらったオールドファッションドグラスでギムレットをのんでいる (区役所近くの薬局で 80% 濃縮還元のライムジュースを買ったのだ)。 やっぱりこの街が好きだな、 越してきてよかったよ。 去年の引越でも離れなくてよかった。 今年の夏は満喫した。 二回も投票に行ってその帰りにふだん行かない薬局に寄り、 クリームソーダやコーラフロートをつくってのんだ。 六月に自作した夏のプレイリストもよかった。 梅雨からいまの時期にかけてを想定した選曲だ。 何度もくりかえし聴いた。 唯一の心残りは無花果を食べなかったことだ。 あれの旬は六月なんだろうな。 ちょうどその頃、 引越に要した金のことで先行きに怯えていて、 薬局よりも金のかかるスーパーを遠ざけていた。 果物を買うどころではなかった。 ジャムをつくるための安い無花果を買い込んで台所の流しで食べたのは、 もう一年以上も前のことなんだな。
注文したタオルが届いていた。 郵便受けまで取りに行った。 たぶんおれは 『Cloud9』 を書いていたこの夏が楽しかったんだろう。 『KISS の法則』 を書いた 2004 年の夏以来だ。 祖父が脳梗塞で倒れて入院し、 それまで話し相手になるために市の南側にある実家から北側にあるかれの家まで通っていたんだけど、 その先が入院先の病院に変わり、 つきあっていた女 (北側に住んでいた) の車で遠出したりして——つまりそういうことが家庭内で黙認されるようになって状況が変わりつつあった。 『Pの刺激』 を書いていた翌年におれは軟禁状態だった家を出て、 女の部屋に転がり込み、 一年半のヒモ生活を経て前のアパートへ移り住み、 工場の仕事にありつくことになる。 南から北へ、 狂人の家から外の世界へ⋯⋯そういう夏だった。 この夏がまた転機になればいいのだけれど。
花火が終わった。 直前に尿意を催して最初の数発は見逃した。 ちょうど交差点先のマンションの方角で、 火球の右下四分の一くらいが隠れていたけれど⋯⋯うん、 これで充分。 向かいのスポーツ用品店の立体駐車場の屋上に親子連れが何組か見えた。 悪いね、 こっちは特等席だよ。 これまでの人生で見た最高の花火は、 2010 年だったかその翌年だったか、 当時つきあっていた九歳上に連れられて見に行った長野の花火。 頭上で視界いっぱいに広がった。 あれを越える経験はないだろうけれど、 でも今年の花火も生涯忘れないと思う。 三十分ほどで静かになったので、 これで終わりだろうと冷房の効いた部屋に引き上げ、 カップ麺にお湯を注いだところで後半の部がはじまった。 ここからが本番だったのだ。 今度は左下にとても小さな花火を伴っている。 そちらは音が聞こえない、 どうやら別の遠い街の花火のようだ。 その下にも知らないだれかの暮らしがあるのだと考え、 これまでに一緒に花火を見たひとたちのことを懐かしく思い出した。 ついにどちらの花火も見えなくなった。 眼下の遊歩道を談笑しながら引き上げる家族連れがいくつも過ぎた。 のびきったカップ麺を啜りながらこれを書いている。 ほんとうに夏が終わってしまった。 いやいやーいうてまだ夏っしょ九月くらいまでは⋯⋯と思うんだけど、 毎年この夜を境に明らかに秋になるんだよ。 さっきだってベランダで秋風を感じた。 もう真夏の熱帯夜じゃない。 さようなら、 愉しかったよ 『Cloud9』 の夏。
最後にもういちどだけ聴こう。 ギムレットをお代わりだ。
Comments
Join the conversation on Bluesky