D.I.Y.出版日誌

連載第365回: 新しい年に

アバター画像書いた人: 杜 昌彦
2024.
01.15Mon

新しい年に

新しい年がはじまったガザでは女性や子どもたちが四肢をバラバラにされて焼き殺されているしウクライナは退屈な日常のように忘れ去られそれらのやり方を興味ぶかげに見守るお隣の大国からはいつ何が対岸まで飛び火するかわからないソーシャルメディアと AI のハルシネーションが思考を奪う現代のポピュリズムは1930 年代のファシズムに染まったメディアさながらにひとびとを変えた起き上がる体力がなくて iPhone をいじっていたら見覚えのない日記アプリがあった過去の更新で勝手に入れられたらしいMastodon や WordPress だろうがどこだろうが書き散らすのは自分のためだおれが書くものは他人はまず読まないし他人が読むとしたらばかにしたり揚げ足を取ったり上から目線で批難したりするためだけだ見ようと思えばだれでも見られる場所に書くことは海へ流す瓶詰めの手紙みたいなものでもしかしてだれかに届けばといった幼稚な期待がどこかにあるように思うそれは甘えだ現実には貶められるだけだあるいは知らん他人を不快にさせ迷惑がられるだけだおれは有害な人間だから異常者に虐待されて育った人間は遺伝的にも環境的にも有害にならざるを得ない糞溜に生まれたら一生臭う抜け出すこと這い上がることは決してできない一方でおれは Mastodon の見たままの場所に入力できる UI が好きだ整理されて表示されるのがいいテキストエディタはただ過去から現在に堆積するだけだとっちらかった思考を衝動的に書き散らすのには向かない勝手にインストールされた日記アプリを使おうかと思ったが使い勝手がおれの求めるものじゃないMastodon を Mac にインストールすればいいのかもしれないがそれだと出先で iPhone から書くことができないフォロワーのみ閲覧可にして完全鎖国にすればいいのか? でもそれもなんか気色悪いというか安全な高みから他人を観察して貶める連中がよくやる手なんでそういうことはしたくないめんどくさいし他人にどう思われようが知ったことではないのでこのままつづける勝手に読んでばかにしようが不快になろうが知ったことではない

 長いこと小説を書くためだけに生きてきた望んでいた小説が地上から絶滅してどうやって生きていけばいいかわからない読むのは辛うじて OK だ古いものを読めばいいから獅子文六もナボコフもまだ読んでないのがある映画だって音楽だって古いのを楽しめるビリー・ワイルダーや黒澤明やボブ・ディランや村八分がいる現代のバンドでは The Birthday が好きだったがチバユウスケは死んでしまったルー・リードがいなくなってもうだいぶ経つしもしマーティン・ニューウェルとアントン・ニューコムまで死んだらおれにはもう何も残らないおれはかれらとおなじことを出版でやっているつもりでいる)。 しかしそれだって過去の音源をくりかえし楽しめる問題は書いて出版することで後者は書いてもだれも出版してくれないからやってきたでもだれにも読まれずだれにも評価されない評価されるためにやっているわけではないけれど評価されなければ広がらない広がらなければ読まれないし読まれなければ必要なひとまで届かない届かないのに書く意味を感じられなくなったその一方で世間ではなんの技術も才能もない連中がなんの努力もせずにあっさり評価されちやほやされている世間なんか見ないようにして生きているつもりでもおれが出版した本でさえ他人の作品ばかりよく売れる読者も書店もおれの本などあたかも存在しないかのように無視して伊藤なむあひやイシュマエル・ノヴォークばかり買うおれには一銭も入らないどころか一冊売れるごとに二百円以上の赤字だなむさんが交流する華やかなひとたちのように文フリに参加すればいいのかなとも考えたけれどそもそもが交流が目的で出版する文化だから挨拶などの暗黙のしきたりを熟知していなければいけないし遠くの知らない街へ出て行かなければいけないし知的障害のおれにはとてもじゃないがむりだ小説にしても出版にしても直販にしてもだれも読まないものを書いたり出版したり売ろうとしたりしてどうなるのかというのがあるそこが世間の他人とちがう他人は書いたり出版したりすれば読まれるし売ろうとすれば売れるだからやるしやればあっさり評価される華やかな世界だおれのはただ死ぬまでの惨めな暇つぶしでしかないなんでおれだけがそうなのかなぁもしもぼっちの帝国GONZOを書いたのが他人なら莫大な富を稼いでたと思うよルーブ・ゴールドバーグ・マシンさながらにまわりくどい手間と金をかけておきながら実現することはローカルマシンのエディタに書いていまこの目の前にある画面に表示するのと変わりないおれ以外のだれも目にしないなんならエディタに書く意味すらない頭のなかに居座る妄想と大差ないそれにくらべて他人はひと言ふた言ささっと書いただけでソーシャルメディアで賞賛され何年も売れつづけるおれでないからだ人間のニーズは生まれながらに定まっている

 日本人は自分の利益を犠牲にしてでも他人の足をひっぱりたがることが心理学の実験でも明らかだというマスクの出会い系はそうした国民性と相性がよかったのだろうこれまで出版業界はマスクのサーバにべったり依存してきたつまり本は読書ではなく社交の価値で評価されるってことだそれに最適化されていなければニーズがないとして笑い物にされ淘汰されマスクの出会い系サーバでアンケートをしたら 13 人中 9 人が素人の馴れ合いの場で挨拶や名刺配りをしろといってきた実際そういうことなんだろうと思うプロの技術は読むのにも経験と技術が要るそんなのは求められていない読書は個/孤内省や個人であることに向かうものだけれど日本の社会はそういうものをきらうだれもがおなじ低い次元にいて馴れ合うものでなければならない素人くさいものが尊ばれプロの技術は憎まれ蔑まれる思慮や個人であることは憎まれだれともおなじであること何も考えずに権力に従うことが求められる読書も出版もそのような同調圧力のツールになった望んでいた読書も出版もこの国では滅びてしまってもうどうにもならないだとしたらむだじゃないか素人が馴れ合いを楽しむ場にわざわざ赴いて難癖をつけるのも違うと思うので好きな連中は好きにやればいいと思うけれどほんとうに売ろうと思うならその世界に必死で媚びねばならないそこにはルールがありしきたりがあるそのプロトコルを学習して適応しなければならない異常者に虐待されて育ったので遺伝と環境の両方の要因からルールやしきたりを理解してそれに従う能力に障害がある知らない街に出向いて知らないひとたちに挨拶し金勘定するだなんておれには困難すぎる暗黙のルールやしきたり以前に明文化されたルールすら複雑すぎて理解できない金も手間もかかりすぎる問題はその障害を乗り越える努力をするに値するかそこまでしておれはそんなことをやりたいのかということだそんな努力をして売ったところでこの国の社会に適応した連中が買うだけじゃないかおれが届けたい相手はそうじゃないやりたいことと一ミリも接点がないつまらない素人でありつづけるため独自の視点をもたないよう相互監視し挨拶やら名刺交換やらに終始するそんなことを目的とする場に自らを最適化する価値はおれには見いだせない

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 正月から痛ましい話ばかり目に入る思うに日本人が賞賛するボランティアってお国のための無償奉仕なんだよな個人やコミュニティのための自発的な助け合いじゃない本来は国がやらなきゃいけないことを個人に押しつける一方でちょっとでも自由意思のにおいを嗅ぎつけると寄ってたかって叩き潰す責任は個人に押しつけ個人の意思と権利は奪うそういうお国に媚びた連中が足の引っぱり合い三十年前の震災では自衛隊の美化が気がかりだったけれどあんのじょう災害救助隊であるかのような取り違えをだれもがするに至った軍隊と災害救助隊じゃ装備も訓練もちがうんだよちょっと考えたらわかるだろう軍靴じゃ釘を踏み抜くし殺すと助けるじゃ正反対だなのにどこかの強く勇ましい他人が自分たちの暮らしを守ってくれるとだれもが安易にそして無責任に夢見る思考も何もかも人任せだ軍隊が守るのは軍旗だけだって 1945 年に思い知ったはずなのにそうやっておかしなものに暮らしに入り込まれて支配され焼夷弾や原爆となって頭上からツケがいちどに降りそそいだのをだれもが忘れている十数年前の震災で感じたのは不幸な人生は脆弱だってことふつうの人生は災害に乗っ取られるけれど不幸な人生はそのわかりにくい寄る辺なさが際立つ哀しみや不安や痛みでだれもがつながるそのときにおれだけは何もだれとも共有できない共感と連帯のなかにあってひとりだけ個人的な問題にとらわれ疎外されている東北地方在住者として身に染みるのは地方に住むのは死に直結するリスクがあるってこと都会のための電力は地方の原発でつくられる安全な土地につくられた都会は権力がそこにあるから安全になるそうでない地方はだしにされるだから現実の生活においては人間の集まる都会がいいそこから離れるほど生きづらさは増大するインターネットではどうだろうか? 都会暮らしの人間でも生まれながらに価値が決まっていて搾取されるだけだいい思いをするのはひと握りの特権階級だけ他人や社会とつながらなければならないという思い込みがそうさせているそのつながりとやらは権力の都合でしかないのに見かけ上のはひとを孤立に追い込むだけだそれがニーズがないから笑い物にされ淘汰されると評されたたしかにニーズはないわけだ権力にとってのねそんな思いまでさせられてなぜ他人とつながろうとする? 較べられて淘汰されるだけなのに? だったら自分で土地を買うなり借りるなりして自分だけの村をつくったほうがよくはないか?

 警官に黒人が理不尽に殺されて暴動と略奪が起きたとき議会襲撃事件と同様にロシアのトロール工場による扇動も背景にあるこれは実証された事実であって陰謀論ではない)、 奪われていたものを取り戻す権利だといって擁護した日本人がいたベスラン学校占拠事件でも犯行集団によってその理屈は主張されたしハマスもそうだなんなら京アニ事件の犯人もおなじ屁理屈を吼えていたしおれの父親がおれを虐待するときにも似たような正当化をしたものだむかしの子どもは遊びを許されず働かされたんだとかろくな食べものもなかったんだとか理由もなく殴り飛ばされたんだとか実際には歪んだ認知による嘘にすぎず父は幸福な子ども時代を過ごした)。 おれはその理屈はおかしいと思う自分が苦労したから他人もひどい目にあうべきだというのはまちがっている過ちがあるにせよ直線でつながるものじゃない暴動で略奪された商店の経営者は当の搾取してきた白人ではなかったし女性や子どもを天井のない監獄に押し込め連行して虐待したのは音楽祭を楽しんでいた若者たちじゃない逃げ場のない女性や子どもや病人が鉄条網を破って虐殺や強姦をしたわけじゃない一方でイスラエルの入植者も満州の日本人がそうだったようにただ暮らしていただけなのにと思うだろうが実際にはその生活は奪ったものだその土地や家は元はだれかのものだったそんなことは知らないとかれらはいう合法的に買った土地や家でただまっとうに生活したいだけの人生はたしかに責められないでもその背景を知らない知ろうともしない態度は改められてもいいはずだなんでおれがこのことにこだわるかというとおれ自身が子どもの頃まわりの愛されて育っていて何でも持っていて幸せいっぱいの子どもたちとの格差に理不尽な思いを抱いていたからだ人生をかれらに奪われたかのように感じて是正されるべきだとの思いで生きてきたその感情は理屈じゃない愛と金と機会の格差は是正されるどころか成長するにつれ雪だるま式に拡大し成人し中年となったいまでは愛されて育ったひとびとはその幸福を核に増大する幸福な人生を抱き締めていて奪われるばかりだったおれは全世界から疎外されている新潟ヤマダのいうニーズとは子ども時代に得た愛のことだ両親や社会から求められて育った人間ニーズがある人間は成功するそれがない人間は笑い物にされ淘汰されるでもおれは父や歴史上の虐殺者たちのような獣にはなりたくない論理的思考が感情に屈すればひとは獣になるおれは自由意思をもつ人間でありたいだからおれは略奪されたことを口実としてみずからを正当化する略奪者たちを認めないおれはそうならない


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。