人格 OverDrive に通販機能を実装し、 売れもしない自著を仕入れたら困窮した。 ⋯⋯いや、 もとより困窮はしていたけれど金を使うたびに通知されるようアプリを設定したんで可視化されるようになっただけか。 そもそもが毎月の赤字を年二回のわずかな賞与で補填する綱渡り生活だった。 自著は負債になるばかりだけれど、 なむさんのお天使はいまだに売れつづけている。 かれの新作のための画像をレタッチする都合でマスクの出会い系を見に行く癖がついてしまった。 何かの賞をとった漫画を読んで 「創作と創作に関する (人間の) すべてが詰まっている」 と感激するなむさんを見た。 受賞が話題になったときおれも冒頭を試し読みしたような気がする。 当時ああいう設定のが流行ってたんだよな、 離島の青春もの。 狙って当てにいってまんまと当たったような、 あざとい感じがして購入には至らなかった。 谷山浩子は三歳のときにはもう唄をつくっていたそうだけれど、 書く人間ってふつうそうじゃない? 生まれつきなんだよ。 物心つくかつかないうちから日々お話をつくっている。 親や保育園の先生やお友だちにどう思われるかではなく、 生存する上でのあたりまえの、 呼吸したり食べて糞をしたりするような生理的な感覚として、 どうしたらこれをお話にできるだろうってふうに世界を見ている。 お話のなかに生きていて、 お話にするために生きている。 おしゃべりな子どもはそれを口にして大人たちに首を傾げさせるだろうし、 そうでない子どもは頭のなかだけでお話をつくったり語ったりしている。 そうして文字や絵をおぼえたらそれを書/描きとめようとする。 書/描く人間ってのは生まれつきで、 死ぬまでそうなんだよ。 それは変えられない。 そういうもんだろ? なんで高校生にまでなって 「自分でも描けるんだ」 とはじめて発見したみたいにいうんだよ。 しかもそれをわざわざ素人の馴れ合いでやるとはね。 せめてちゃんとしたプロの作品でやれよ。 要するにそれは親しみを感じさせる稚拙さこそを讃える態度で、 そんなやつがいるとしたら少なくとも書/描く側の人間ではない。 たぶんあれ挫折したスターをコーチに迎えて高校生の部活動でてっぺんをめざす流れだろ、 知らんけど。 競技ならぬ書/描くことでそれをやるには、 たしかに素人の馴れ合いじゃなきゃ成立しないよな。 だって書/描くことは作家と読者の一対一だから。 もちろんあいだに編集者がはいるわけだけれど、 それだって作家との関係では一対一だし (理想的にはね⋯⋯現実には企業対下請けでしかなく、 だからこそ芦原妃名子は冬のダムで遺体となって見つかった)、 作家とのチームとして読者と一対一で向き合うことでもある。 そして何より、 勝ち負けじゃない。 そうするとバトルものが成り立たない。 べつに素人の馴れ合いでてっぺんめざしたっていいんだけどさ、 それだけの青春ものなら楽しめる自信がある。 ただそれだけのことを 「創作」 なんて言葉を使ってあたかも書/描くことであるかのように粉飾するのが生理的に受けつけないんだよ。 まったく別物じゃんっていう。 ほんとうに書/描いているひとを社会から排除するような嘘を広めるのは勘弁してくれよと思う。 でもまぁソーシャルメディアではご大層な言葉でいいこといったふうに装うのが喜ばれるんだよな。 本物なんていないんだ、 素人の馴れ合いでいいんだと安心させるような嘘がいいんだろ。 嘘だからこそ安心して楽しんで読めるってのはわかる。 そういうのもあっていい。 でもどうしてもチクチクした違和感や苛立ちをおぼえるんだよ。 おれの問題はそういうとこなのかも。 あれに共感できなければ、 だめなんだ。
同僚が副業で占い師をやっている。 いまのおれは低迷期で、 他人を羨むのをやめれば 53 歳くらいに努力が実るという。 ソーシャルメディアに視野や行動をコントロールされるのがいやで、 自力でサーバを建てて自分しか見ないようにしてきたけれど、 むしろそのせいで自家中毒になった気がする。 おれがおれに見せる世界がおれをおかしくしている。 見た夢を記録しつづけると狂うという。 夢は記憶を整理する過程なので合わせ鏡のようなフィードバックループに陥って現実を見失う。 いったんリセットすべきかもしれない。 いい本を読んでいいものを書く、 それだけをやりたい。 オール・トゥモロウズ・パーティーズ、 略して ATP という Mastodon サーバを運営していた。 ドメイン年額 4031 円、 hostdon 月額 1540 円、 合計年額 22511 円。 ほったらかしで見てもいないのに金ばかりかかるんでやめることにした。 数名の利用者にその旨、 通知した。 ドメインは来年一月まで有効だけれど、 自動契約更新は切った。 自分専用のおひとりさまサーバを楽犬舎と名づけ、 日々思いついたことを垂れ流していた。 生煮えの思考を垂れ流すほうがまとまった文章を書くより楽。 楽なほうに流れて小説も日記も読書感想も書いていない。 のび太を甘やかして堕落させるロボ子のようにどんな話も無批判に受け入れてくれる (受け入れているのは自分だが) 場所に依存していた。 ドメイン年額 2272 円、 VPS 月額 1738 円、 合計年額 23128 円。 不健全だし金がかかるのでこれもやめることにした。 人格 OverDrive はドメインが高すぎる、 年々高騰していまでは年額 9443 円。 サーバ代は 36 ヶ月払いで 47520 円⋯⋯これ数ヶ月後に払わなければいけないのか。 そんなに持って行かれたら暮らしが立ちゆかなくなる。 だれも見ないサイトのために年額 25283 円も捧げていたとは。 つまり三つのサーバで年間 70922 円も浪費していた。 あらためてそのむだに愕然とした。 それをいったらだれも買わない本のために Adobe 税だの JPRO や一冊取引所の登録料だの払っているわけだし、 ISBN だの業者のサービス料だのにもずいぶん使ってきた。 自由意思のために必要な金だ。 人格 OverDrive を note と Booth に置き換えたり、 楽犬舎のかわりに大規模サーバに所属したりする発想はない。 とはいえ出版さえやめれば余裕のある暮らしができるんだな⋯⋯。 人格 OverDrive はむちゃな増改築を重ねて九龍城みたいになっている。 どうせだれも見ないサイトだし潰して建てなおしたい気もする。 読まれるとしても寄稿作品で、 運営者のおれがむしろ邪魔もの扱いされる。 場所を貸した寄稿者が素人の短文を募った影響か、 いまだに才能のない素人からいやがらせのような問い合わせがある。 先日は文字化けを防ぐための文字コードの指定と書籍化に必要な最低限であるたった 250 枚の下限に難癖をつけられた。 読書傾向や考え方が近いという前提条件すら読めず、 文字コードも知らずたった 250 枚すら書けないやつが、 なんで小説を他人に読まそうとするんだよ。 生きていて恥ずかしくないのかと思うけれど、 世間的にはむしろそちらのほうが正義で、 おれのほうが淘汰されるべき恥ずかしい存在なんだよな。
素人の馴れ合いに最適化されていなければ世間には受け入れられない。 別の視点は求められていない。 認められるには芸事とはまったくあいいれない世界に寄せなければいけない。 かれらに理解できるような書/描き方をしなきゃいけない。 あるいはおれはほんとうに 「創作と創作に関するすべて」 から疎外されているのかもしれない。 まぁたしかに生涯かけてやってきたのは 「創作」 なんて気どったものじゃなくて、 たんに小説を書いてきただけだもんな。 くだんの漫画だけじゃない。 いま世に出ているものの多くに 「そういうことじゃないだろ」 と強烈な違和感をおぼえる。 じゃあどういうことかを書くと黙殺されるか寄ってたかって袋叩きにされるかのいずれかだ。 なむさんでさえうちに寄稿してくれたふたつの傑作よりも、 よくわからない媒体に載った完成度の低い雑な掌編 (ちゃんと書けばこれも傑作になったはず) のほうが好評だった。 おれの感じ方が許されない社会だから自力で書いて出版して売っている。 おれが書かなきゃ読めないし、 おれが出版しなけりゃだれも出版せず、 おれ以外のだれもおれの本を売らないから。 読むのもおれだけ⋯⋯いや書いたものを読み返すことなんてないから、 それさえない。 世に出る物語は世渡りのうまい連中が出版したもので、 かれらの価値観で書かれている。 そうでないおれみたいな読者は疎外される、 世間の 「ニーズがない」 から 「笑いものにされ淘汰され」 る。 いま世間で求められているのは権力におもねること。 権力者のニーズにそぐわないやつを笑いものにし淘汰すれば喜ばれる。 抗えば冬のダムだ。 しかし、 おかしな話だよな。 おれがやってきた仕事は本来なら金になってよかったはずだ。 それが実際には負債になっている。 おれがプロデュースしたうちの何人かはそれで認められてプロになったりメディアに取り上げられたり、 さらに評価を高めたりした。 尽力したおれが評価されることはなかった。 寄稿者のひとりが連れてきた素人たちは不平不満をいい散らかしておれを下僕のように顎で使うだけだった。 おれにはなんの得もなかった。 好意的に読んでくださった方もいたし、 そのことには感謝している。 でもそろそろ、 いろんなことを見なおさなければ。 おれが世間に適合しないのか、 世間がおれに適合しないのか。 いずれにせよ、 おれはなむさんでも人気漫画の主人公でもないのだし、 文字を憶えたばかりの幼児のように、 他人にどう思われるかではなくただ生理的な欲求として、 お話のことばかり考えて書いて生きていくしかない。