YouTube で SUPERCAR がサジェストされた。 かれらはおれより二歳下なんだけど当時の映像をいま見るとびっくりするくらい童顔だな。 世界に評価される仕事を青森でやっているという考えに当時はつよい印象をうけた。 でも大人になったかれらは結局は東京へ出て行くんだよな。 エレクトロに行って関心が薄れてその後は知らなかった。 Wikipedia によればドラムのひとだけ地元に残って就職したそうだ、 好きなドラムだったんだけど。 おれにとってかれらはグローバルとローカルのありようへの希望だったんだけど、 結局はローカルはグローバルに従属するしかなくて、 都会へ出て行かなければ仕事はできないんだって幻滅を象徴するものになってしまった。 そして打ち込みに行ってドラムが就職。 機械があれば人間は要らないし、 地方にいたら仕事はなくて車ごと流されるか年寄りと一緒に潰されるしかない。 高いショバ代を払ってベゾスやマスクの顔色をうかがって商売するしかないんだ。 両親がきちがいという糞溜に生まれ育ったためにおれは汎用性を失いローカルであることから永遠に逃れられない。
だれからも愛されたことがない。 おれであるかぎり愛されず書くものも相手にされない。 だれからも別な人間になるよう求められる。 おれだっておれ以外になって受け入れられたい、 でも糞溜で生まれ育った呪いからは逃れられず悪臭とともに生きるしかない。 おれがおれであることの責任は棚上げにできない。 だから笑い物にされ淘汰される。 おれでないから受け入れられ愛される他人がうらやましい。 別な人間でさえあれば努力があっさり認められる。 むしろ努力なんてせずとも生まれながらに価値がある。 おれは何をしても他人の養分にされるだけ、 無価値が可視化されるだけ。 だれからも疎まれるほど無能で不快。 人間性の欠陥。 客観視できたところで治らない。 だったら目を背けてゆかいに過ごしたほうが他人にとっても不快感が減る。 なのにそうするだけの材料がない。 うまくやっている他人ばかり目に入る。 アルゴリズムは利益になるユーザとそうでないユーザを峻別し格付けしてその格差によって利益を得る。 戦争が儲かる仕組みとおなじだ。 そんな社会の喰い物にされたくないから他人を視界から締め出す。 だれも出版しないから自分で出版。 どこも受け入れないからサイトをつくる。 ソーシャルメディアでうまくやれないからサーバを建てて自己隔離。 Amazon でうまくやれないから自分のサイトを直販に。 手間暇かけてなんも手に入らない。 生き恥がつのるだけだ。
Mac ではメディアページをブックマークして画像を見に行っているんだけど iPhone では履歴からなむさんのプロフィールページへ行くので華やかな世界が視界に入ってしまう。 ハヤカワ SF コンテストが長篇も受けつけるかたちで復活していたのを知らなかった。 他社が見いだして育てた著者を使うことにしたから新人賞はやめるとかれらが宣言して冬の時代がはじまり、 SF で育ったおれは見棄てられた。 雪解けが訪れたときにはファンはもはやスランではなく、 仕事のできないデジタルデバイド弱者が招いた混乱を有能な人間が IT 技能を駆使して世界を救うといったプロットの、 勝ち組のためのジャンルに成り果てていた。 自主出版ではなく応募していたらとも夢想したけれど、 デジタルデバイド最底辺のおれは求められる資質と真逆でかすりもしまいし、 選ばれたとしても営利出版社とうまくやっていけないことは二十代で痛感している。 おれの書くものはどこでもカテゴリエラー。 すでにあるものと似ていないから。 売り方にお手本がないから選ばれない。 売れた実績がなければ会議を通らない。 差別や偏見といったすでにあるものを再生産するのが営利企業の仕事で、 それに抗えば冬のダムで遺体となって発見され、 下請け同士を争わせる道具にされる。
知識と経験のある編集者と本をつくりたい、 本のことをずっとよく知っているだれかと。 ディスカバラビリティを実現するディストリビュータもほしい。 つまり文芸出版エージェントなんだよな、 でも日本にあるのは成功した著者を対象とする企業と虚栄出版の詐欺師のみ。 契約する金もない。 そしておれはどうやら既存の営利出版における商業作家になりたいのではないらしい。 いまやっていることの延長上にある何かだ。 商業作家は何ひとつ会社に護られていない会社員のようなもの。 責任だけ社員並みの下請けにすぎない。 保険も有休もなく税金の計算も自分でやらねばならない一方で、 企業の枠組のもとで上司に命じられたものを命じられた通りに書かねばならない。 それは作家じゃなくてライターであり Uber Eats の配達員を飲食店経営者と称するようなものだ。 たとえていえばおれは手づくりアクセサリ作家みたいなものを目指しているのかもしれない。 あるいは自作キーボード作家。 設計して書いて出版して梱包して売る工程をすべて自分でやり、 作品というよりもそうした活動そのものにお代をいただく。 だとしたら答えはまだ見えないにせよ正しい方向には進んでいるようにも思える。 何が街の本屋さんだ、 金太郎飴みたいな品揃えしかやれないくせに。 本はカフェの飾りじゃないんだよ。 おれはおれにしか書けない本を出版して売る。 だれもやったことのないことをやってきたのだから評価されなくてもしかたない。 若い頃に失った希望ではなく新しい音楽を聴こう。