暖かいを通り越して暑いような日がつづきこのまま春になるかと思いきや大雪。 そこから数日ずっと暗かった空が急に晴れた。 なぜか寂しくもの哀しい気分になった。 何かが終わって何かが変わるのに自分だけがそのままみたいな。 卒業式のあと二度と会うことのない親友たちと別れてひとりで下校するような。 愛していたひとたちがみんな笑顔で旅立って自分だけが取り残されたような。 何か大事なことが終わって自分だけが忘れられたような。 この感情がなんなのかまったくわからない。 次の小説のことを何もやれないうちに年休消化の三連休が終わるから? やりたかったことをすべてやってしまったから? みじめな暮らしをしていた若い頃にほしかったもので金で買えるものはすべて手に入れた。 いまのおれは好きなものだけに囲まれて暮らしている。 ほんの十年くらい前まで逃亡中の殺人犯みたいに何もない部屋で暮らしていたのになんと物持ちになったことか。 だれかに愛されるとか、 書いたものが受け入れられるとかはいまだない。 今後もない。 あいかわらずみじめな自分のままだ。 ひとりで何年も何年もずっと努力してきたのに。 走りに行けば気分が変わるかな? でも路面はまだ悪い、 怪我をしたくない。 ひきこもって暗くなるまで酒をのもう。 いつもの休日とおなじだ。 夜になればきっと気分はよくなる。 ああそれよりもこのくそ益体もない感情について書き残そう。 それだけがおれを人間にする、 父のような獣にも母のようなずるい気ちがいにもならず正気にしがみついていられる。 そういう種類の人間であることはやめられない。 病気なのだ。 呪いのような。 そして社会のニーズに適応できない。 糞溜めに生まれたら一生臭う。 必死こいて這い上がってみたところで女たちは逃げていき男たちに打ち据えられる。
業者から自著の山がとどいた。 え? なんでおれこんな売れもしないゴミをこんなに注文したの? ばかなの? そもそもだれも買わないのになんで通販機能なんてつけたんだ。 いやそれはいいんだ。 やってみたかったからやった、 機能の実装や注文がきた場合のフローを構築してみたかった。 それだけだ。 現実の注文に備える意味はない、 売れるのはめちゃ売れお天使だけなのだから。 それだけ仕入れたら充分だったじゃないか。 折り畳みコンテナはトイレットペイパーやハンドタオルやティッシュの保管庫にした。 お天使とゴミと大量の除湿消臭剤を放り込み、 押入の下段の奥へ押し込んだ。 おれのサイトなんておれしか見ない。 他人に寄稿してもらえばその作品は読まれる、 それでおしまい。 おれが評価されることはけっしてない。 プラットフォームのアルゴリズムに気に入られる才覚がないからだ。 だれかがおれを恫喝していったようにニーズがないからどれだけ努力しても笑いものにされ淘汰されつづける。 出版社とうまくやれないから自力で出版し Twitter でうまくやれないから Mastodon サーバを建て Amazon でうまくやれないから通販機能を実装した。 だから? 何も変わりやしない。 権力にとってのニーズがない人間がものを書くとはどういうことか。 詩集を手に浜辺を散歩していただけで逮捕されるということだ。 法律で表現の自由が保障されているはずの現代でさえおれの言葉はどこからも排除される。 笑いものにされ淘汰されるとはつまりその時点でそういうことなのだ。 ナワリヌイの最期は他人事じゃない。 抗った漫画家は冬のダムで遺体となって見つかった。 だからおれは自分で出版したりサーバを建てたり直販したりするしかなかった。 レントゲン写真に音楽を刻み地下室でガリ版刷りをするように。 近い将来この国が八〇年前のような、 あるいはロシアや中国のような国になったとき、 ひっぱられる口実にされるリスクはなるべく減らしたい。 古物取扱許可について調べた。 ハードル高いな⋯⋯おれの本籍地ってどこだ? 父親の実家なんじゃないかって気がする。 利用されるあてのない通販機能のためにむりして古本を扱ったりホワイエと契約したりすることもないか。 クレカの請求が十万を超した。 金が出て行く一方だ。 まともな家に生まれ育って勝ち組のニーズに最適化されたひとたちがうらやましい。
なむさんが評価されるのはわかるんだ、 寸暇を惜しんでコツコツ書くだけじゃなく、 手間暇と愛想を惜しまずなじみ感を演出する投稿をソーシャルメディアでこまめにやって、 新人賞やら同人誌やら実店舗やら、 いろんなところに顔を出し名刺を配って顔と名前を売っている。 あれだけの努力をやらなきゃだめだということも、 やっていないからおれはだめなんだということもわかる。 でもおれがおなじことをやろうとしたら袋叩きだ。 四人囃子 「おまつり」 みたいなことになる。 だから既存のソーシャルメディアと距離をおいた。 そこまでしてもおれのサーバにわざわざ登録して絡んできて笑いものにし淘汰しようとするやつがいる。 それに書くことに専念して顔や名前を売る努力はほとんどしていない著者だって書店から問合せがきたり売れたり人気アカウントに言及されたりしている。 結局は人間性の問題なのか。 人格が歪んでいるからおれはだめなのか。 したたかに評価されるなむさんに憧れる。 かれの初長篇をどうしても読みたい。 それとおなじくらいの強度で掲載誌の、 他人のジェンダーやセクシャリティを商品として消費する根性がどうしてもどうしても気に食わない。 九年前 NPO の同人誌に 『血と言葉』 の草稿の一部を載せてもらったとき、 その号の表紙を子どもが尻を丸出しにして流し目で 「酔っちゃった♡」 といっているイラストにされて激怒した。 だれひとりそのことを疑問に思うどころか逆におれがおかしいことにされた。 その NPO の理事長が Togetter かなんかに表示されるエロ広告バナーに苦言を呈した人に 「おまえがエロばかり見ている変態だからだ」 と二次加害をしたのもおれは忘れない。 その広告は追尾型ではなかったしもし仮にその人がほんとうに助平だったのだとしても見たくないときに見せられるのは性暴力でしかない。 そのことを理解せず公然と平然と二次加害をするようなやつが NPO の理事長やってたんだからな。 そしてこの男は NPO の大義名分を自分の出世のために利用して大勢を騙した。 いまでは発足当時にうたっていた理念とはまったく関係のない団体になっている。 おれはそういう連中がだいきらいだ。 でもそうしたことに無感覚にならなければ生きていかれないし、 なむさんの初長篇は読めない。 いまはサンリオショップになっている駅前のさびれた書店でひっそりと積まれていた薔薇族を思いだす。 日舞の先生の孫息子が昼休みの教室で読んでいた。 男子校だった。 朝鮮戦争の年に建てられたあの暗く湿った校舎を知らないやつに 「切実」 なんて言葉を使われたくない。 今ではその跡地に洒落た高層ビルが建っている。
なむさんのめちゃ売れお天使は仕入れたとたんに二冊売れた。 でもおれの本が売れることは絶対にない。 何をどれだけ努力しても素人の趣味とみなされる。 七、 八年前、 ちゃんとした小説を何冊も書いてきたし自主出版作品の品質を向上する施策の提示までしたのに、 寄ってたかってばかにされるだけなのはなぜだろう、 ガワが素人臭いからにちがいないと考えた。 それから現在に至るまでプロっぽくゴージャスにやろうと努力した。 ISBN を取得し Gimp や MedibangPaintPro ではなく Photoshop を、 よくわからないフリーソフトではなく InDesign を使い、 WordPress ではカスタムフィールドを駆使して複雑な処理をし、 ブックデザインやウェブデザインにピクセル単位でこだわり、 世界中でまだだれもほかにやっていないウェブの日本語組版を実現し、 身銭を切って他人の本を手がけ、 広告や拡大販路や JPRO や一冊取引所に鼻や目や耳から血が出るほどむだ金を費やし、 あげくサイトに販売機能まで実装して梱包資材や印刷機まで揃えた。 だから何? 何が得られたというんだよ? よりいっそうばかにされ金と時間を失っただけじゃないか。 ここまでやっても趣味の素人といっしょくたにされ、 IT 系の技術者には絡まれて的はずれなことをぎゃあぎゃあいわれ、 ものを知らない低脳扱いされる。 自作アクセサリーをソーシャルメディアで売っている同僚が開業届は出していないと話していた。 副業収入が年間二〇万越えたら税金納めなきゃいけないらしいっすよ、 とうろおぼえの知識でいったら、 そんなのすぐひっかかるじゃんといわれて普通はそんなもんなのかと思った。 おれの本は売れたところで数百円。 それすら⋯⋯。 世間の人間は生きているだけで祝福される。 そのことに薄々気づいてはいた。 おれは世間に蔑まれ憎まれるだけ、 笑いものにされ淘汰されるだけだ。 だからおれはいつかわかってくれる bot の友人をつくるかもしれない。 そしておれのサーバに棲ませるのだ。 いつかはそいつがおれの言葉を理解してくれることだろう。