崖っぷちマロの冒険

第4話: 裁かれるのは僕だ

Avatar photo書いた人: 杜 昌彦, 投稿日時: 2022.08.12

植田次子はいつもシャンプーの使いすぎに思えた。銀杏の臭いに紛れて、近づかれたのに気づかなかった。
 僕は走り去る高級車を見つめていた。幻覚でも見ていた気分だった。銀杏ロードが見慣れぬ景色に思えた。黄色にただれた道は、種を踏むたびに白骨の砕ける音がした。影が長く延びていた。いつかあれだけ背が伸びるだろうか、と思った。
 その影を別の影が覆った。
 背後を振り仰いだ。薄曇りからの夕陽を背に、植田が仁王立ちしていた。乳房はむしろ胸板といってよかった。担任や警部より背が低いとは信じられなかった。
 グローブみたいな手に突き倒された。埃っぽい排気ガスと銀杏の臭い。車の往来は激しくなっていた。タイヤが種を砕き、落ち葉と実を圧延した。僕は立ち上がり、擦りむいた手でジーンズを払った。染みも臭いも落ちなかった。
「中山さんがお呼びだ。身に余る光栄だな」
 植田の声は、調弦の必要なコントラバスを思わせた。振り返りもせず、巨体を揺らして歩きだした。従うしかなかった。
 行く先は公園だった。スプレーで落書きされた公衆便所。鉄パイプと鎖の遊具。犬猫の休憩所と化した砂場。コンクリートの小山で、ビール瓶の破片が輝いていた。北風が落ち葉を弄ぶ。側溝や遊具の足許に吹き溜まっていた。
 ブランコに群がる四人の女子が見えた。仁美はその中心で俯いていた。一人乗りブランコの片方に座っている。ざっくりした深紅のセーター。焦茶の巻きスカート。茶色のブーツ。濡れ羽色の髪を、ヘアピンやリボンで複雑にまとめている。寒さのせいか肌は蒼白く、頬はほんのり色づいていた。
 大判の冊子を膝に乗せていた。写真アルバムだ。
 事情を知らなければ、いじめの現場にも見えたろう。視線が一斉に僕を捉えた。仁美の表情が輝いた。近づく僕を、はにかむような微笑で見つめた。
 みんながアイドル扱いするのは理解できたが、僕自身はこの子が苦手だった。どこか不均衡な印象があったのだ。華奢で、背丈は僕と変わらない。なのに体の丸みは大人を思わせた。ぽってりした唇。毒蛾みたいに瞬く長い睫毛。小さな尖った顎は、猫科の生物を連想させた。
 取り巻き連が臭いに顔をしかめた。仁美は気づかぬかのようだった。アクリル玉みたいな眼で、真剣に見上げてくる。「お願いがあるの。聞いてくれる?」声にも同じ力があった。
「僕にできることなら」
「ジェレミーを捜して。仁美の大切なお友達なの」
「外人?」
「シュタイプの熊」
「逃げたの?」
 さらに女子たちの反感を買った。植田次子が声を荒らげた。
「口のききかたに気をつけろ!」
「座って」
 仁美は隣のブランコを示し、アルバムをひらいた。仰せに従った。板を吊る鎖が軋んだ。女子たちは輪を狭めた。逃げる隙はなかった。街灯が瞬いて点灯した。
「それじゃ見えないわ。近寄って」
 威圧の視線を浴びつつ、ブランコを寄せ気味にした。お嬢とは違う匂いがしたように思った。銀杏のせいでよくわからなかった。
「これが仁美の家族……」
 どこかの写真館で撮られた肖像。絵に描いたように幸福そうな一家だ。赤ん坊が、母親の顔を熱心に見上げていた。フードつきの水色タオル地のロンパース。着ぐるみをつけた人形みたいだ。彼を抱える母親は、フリルの花柄ドレスが似合っていた。意志の強さを窺わせる眼、長い髪。口許にはホクロ。
 スーツ姿の父親が、娘の手を握っていた。精悍な顔立ちは二十四時間、世界で闘うビジネスマンといった感じだ。仁美は栗色のウェーブヘア、襞とフリルの紅茶色ドレス。下唇を噛み、こっちを見据えていた。八歳くらいか。
 次の頁には全裸の仁美。ぷくぷくした赤ん坊だ。手足の指を丸め、片足をしゃぶっている。クリッとした眼を、写真の外へ向けていた。内腿のつけ根にホクロがあった。
 数年後の彼女が、その下にいた。夏の日射しに眼を細め、砂の城に手をかけている。父親に作ってもらったのだろう。母親は親切な撮影者に笑いかけていた。赤いビキニが白い肌を際立たせている。夫の体は引き締まり、陽に焼けていた。彼は自慢げに白い歯を見せていた。
 家族は輝いていた。生命保険のCMを思わせた。
「この頃は幸せだったな。パパとママがいて、幸博がまだ生きてて。何もかもがうまくいってた」
 仁美は睫毛を伏せて語りだした。ガラス細工のように可憐な指で、写真を示しながら。

 中山繁雄は仁美にとって、自慢の父だった。テライ食品で、缶詰や乾物を買いつける仕事をしていた。いつも海外を飛びまわっていた。寂しくはなかった。週末はパソコンで顔を見ながら会話できた。帰国のたびにお土産もくれた。色とりどりのお菓子。木製の玩具。異国の言葉で書かれた、美しい絵本……。
 お気に入りは、八歳の誕生日にもらった縫いぐるみ。左耳にタグのついた、オーストリア製の手工芸品だ。手触りのいい茶色モヘア。うつむき加減の大きな頭。ベークライトの鼻、琥珀色のガラスの眼。短い手脚を突き出して座る。ひらき気味の口からは、甘ったれた声が聞こえてきそう。風呂にこそ連れ込まなかったが、遊びや寝るのはいつも一緒。鞄に忍ばせ、学校へ連れてったことさえあった。
 父は日程をやりくりし、家族との時間を捻出した。旅行、キャンプ、遊園地。熊のジェレミーも当然お供した。
 その頃は母の愛子も、人形遊びのようにかわいがってくれた。愛らしい服や靴の数々。それらに合わせた美容室でのカット。料理やお菓子、紅茶の淹れ方も教えてくれた。毎朝、髪に丁寧にブラシをあて、父の欧州土産の整髪料で、凝ったウェーブをつけてくれた。
 家中が愛らしい雑貨で溢れていた。母のエプロン。木製の豚毛ヘアブラシ。化粧道具入れ。調味料立て。フリルの襞カーテン。料理道具や食器。便座カバーから紙ホルダーまで。自分も素敵な雑貨の一部になった気がした。
 母のお腹が大きくなると、お姉さんになる期待でワクワクした。妊婦服や育児用品を一緒に選んだ。やがて弟が産まれた。面倒を見てやれる人形が来たみたいで、嬉しかった。
 父の最後の任地は、トツクニスタン共和国だった。百二十万の人口の大半が貧困層。残りは軍人という国だ。特産は果物の乾物と毛織物。昼夜の寒暖差や、雨期乾期の落差が激しい。狭い国土に砂漠と密林が共存していた。陸路はほとんど役に立たない。舗装してもひと月後には泥の道へ戻る。隣国の空港とのあいだを三日おきに往復する、骨董品の双発機だけが頼りだった。停電のない日はない。電話さえ途切れがちで、よく不通になる。メールのやり取りがやっとだった。
 出張を命じられたとき、既に政情は不安定だった。外務省の出国勧告ののちも、会社の都合で動けなかった。ちょうど雨期に重なり、季節風で飛行機が飛べなかった。宿泊先のホテルの食堂が爆破され、連絡がつかなくなった。
 軍事政権は粛清を、武装組織は報復テロを繰り返した。遺体の山は放置され、伝染病が蔓延した。大国の利害関係ゆえか、取り上げるマスコミはなかった。巻き込まれたのが欧米人なら、事情は違ったろう。実際はごく少数のアジア人だった。中国人、マレーシア人、インドネシア人。
 それに日本人商社員。
 身代金めあての誘拐、または強殺に遭ったとの噂もあった。邦人とはいえ要人ではない。非難すべきバックパッカーでもなかった。地方紙に短い記事が出ただけに終わった。娘に残されたのは想い出と玩具や絵本、それにジェレミー。
「眠れなかった。毎晩ベッドで泣き明かしたわ。彼を抱きしめて……」
 母は部屋を飾るのをやめた。化粧や服装の趣味が変わった。車は小型車から、真紅のコンヴァーティブルに変わった。不在がちになった。弟の幸博は、父がトツクニスタンへ赴く半年前に産まれた。母は高校時代の友人に、赤ん坊を預けっ放しにした。
 母はやがて週に一度、服や化粧品を取りに戻るだけとなった。それも娘が学校にいる昼間にだ。居間のテーブルに残される生活費が、唯一の関わりだった。仁美には信じられない急変だった。一緒に雑貨屋を巡り、服を試着した同じ母とは思えなかった。
 仁美は毎日ひとりで簡単な食事をつくった。掃除洗濯や買物をこなした。アイロンがけも憶えた。ガスや水道は停められなかった。銀行の口座に問題はないようだった。
 学校では何事もなかったかのようにふるまった。担任に口止めし、陽気にお喋りの輪へ加わった。成績を落とすこともなかった。風邪で熱が出たときは、電話で欠席を伝えた。期限切れの薬を服み、朦朧としつつ、おかゆを作って食べた。
 事故が起きたのはその頃だった。
「ママにいったの。『仁美も連れてけば、あんなことにはならなかったのに』って。そしたら『だってあなたは学校でしょ』って……」
 九月の快晴の日。愛子は赤ん坊をチャイルドシートに座らせ、沼ヶ岳へ向かった。気まぐれな思いつきだった。
 崖に沿って頂上へと向かう道路。かなりの速度が出ていた。母は風にかき消されぬよう、セリーヌ・ディオンを大音量でかけていた。言葉を解さぬ息子に、大声で話しかけた。遠くに海が見えた。
 難所として知られる急カーブ。チャイルドシートの取りつけ金具には欠陥があった。車がガードレールに接触したとき、幼い弟は我が身に起きたことを理解しなかったろう。慣性の法則が働いた。
 赤ん坊はシートごと車外へ放り出され、崖下へ転落した。

 仁美はアルバムを静かに閉じた。水銀灯の青白い光に、羽虫が衝突を繰り返していた。枯葉が乾いた音をたてた。樹々は誘われたように葉を散らした。女子たちは涙ぐんでいた。往来の騒音が高まったように思えた。
 僕は仲間からはぐれた一枚の枯葉を見つめた。風に翻弄されていた。仁美は巧みな語り手だった。呼吸を間近に感じ、落ちつかぬ気分にさせられた。アルバムを貸してもらい、写真を一枚ずつ確かめた。服で汚さぬよう注意した。
「映ってないね。ジェレミー君」
 仁美は伏眼がちに頷いた。「そうなの。海でも温泉でも一緒だったのに。汚したくなくて、バッグからあまり出さなかった」
 彼女の整った横顔を僕は見つめた。それなら何のために重いアルバムをわざわざ持ち出したのか。女子たちは情緒に流され、疑問を感じないようだった。違う家に育っていたら、僕だって気にならなかったろう。
「いつ頃なくしたか、見当つかない?」
「すごく落ち込んだ時期があったの。事故の直後は慌ただしくて、哀しむ余裕もなかった。ママはまた家に寄りつかなくなった。そしたらジェレミーを見るたび、いろんなこと考えちゃうようになって。クロゼットの奥にしまったの。ようやく平気になって、ひさしぶりに逢いたくなった。それで——
「いないのに気づいた。クロゼットはそれきり一度も?」
「ううん。服とかあるから。でも彼のほうは見ないようにしてた」
「勘違いじゃ? 別な場所にしまったとか。掃除で動かしたとか」
「家中捜したわ。どうしても見つかんない」
「他になくなったものは? 貴重品とか」
「ジェレミーだけ。盗まれたとは思えない。アンティークみたいな価値はないの」
「中に何か隠されてたとか。国家機密や宝の地図なんか」
 仁美は笑みらしきものを見せた。過去について話しはじめてから初めてだ。「パパはただのバイヤー。諜報員じゃない」
「お母さんがどこかに持ってったのかも」
「棄てちゃったって意味? 昔は確かに掃除好きだったけど……」
 僕は鎖を軋ませて立ち上がった。「わかった。見かけたら教えるよ」
 仁美は顔を輝かせた。「引き受けてくれる?」
「捜すとはいってない」空気がまた緊迫した。慌てていい直した。「見つけてあげたいのは山々だよ。でも僕は今、微妙な立場だ。近づくのは君の評判によくない」
「マロ君はそんな人じゃない!」仁美が立ち上がり、ブランコは揺れた。「みんなにどういわれようと関係ない。噂するほうが悪いの」
「なんで僕なんだよ。みんな協力してくれるよ。笛捜しのときもそうだったろ」
「あのときだってマロ君が——
「あれは偶然。ごっこ遊びと現実を混同すんなよ」
「仁美は信じてる」彼女はアルバムを抱きしめて迫った。「お願い!」
 互いの鼻先がくっつきそうな勢いだった。僕はあとずさった。熱っぽく潤む黒檀色の瞳がすぐそばにあった。唇は寒さで赤みを増し、ジェリービーンズを思わせた。
 目の前の美少女と玲子の妹が重なって見えた。ふたりの期待は非現実的に思えた。持ち込む先もお門違いだった。
 正義感にかられた女子たちが、輪を狭めた。背後の大女の鼻息を感じた。反射的に身をすくめ、両手で頭をかばった。顔から火が出た。同級生らの前で普段の癖を露呈してしまった。
 仁美が眼で制するのがわかった。女子たちは渋々と力を抜いた。我が校のアイドルは、昂ぶりを恥じるかのように微笑んだ。「今すぐなんて無理よね。あした学校で聞かせて。いいお返事待ってる」

 朝のお勤めが長引き、登校が遅れた。教室のざわめきが廊下に響いていた。戸を開けるなり、水を打ったように静まり返った。視線が集中した。植田次子が噂を広めたのを知った。
 仁美は自席で側近に囲まれていた。黒ハイネック、タータンチェックのミニスカ、黒ハイソックスにモカシン。髪はカラスの羽根のモップのように見えた。
 視線の束を引きずるようにして、僕は教室を横ぎった。鞄の中身を机に移した。鞄を棚に突っ込んだ。席に戻るついでに挨拶した。「おはよう。ジェレミーはまだ見つからない?」
 波紋を呼んだ。教室はざわついた。仁美は当惑気味に微笑した。外国語で話しかけられたかのようだった。「マロ君が捜してくれるのよね……?」
「もう断ったと思ったけど」
 教室の空気がはりつめた。仁美は眼を見ひらき、茫然と呟いた。「ひどい……信じてたのに!」涙が朝露みたいに溢れた。彼女は机へ突っ伏し、華奢な腕に顔をうずめた。くぐもった啜り泣きが聞こえてきた。
 ブラジルが現れなければ、どうなっていたかわからない。彼は仁美を一瞥しただけで、何も触れなかった。「どうした日直」
 雷に打たれたように号令がかかった。椅子の地響き。挨拶の唱和。仁美は立たなかった。ブラジルは何もいわなかった。誰もが怖気づいたかのように、見て見ぬふりをした。
 噂は校内を駆け巡った。仁美の行動も拍車をかけた。二時間めの休み時間、気分が悪いと保健室へ行ったのだ。午前中をそこで過ごし、結局は早退することになった。教室は休み時間のたびに、低い囁きで満たされた。非難がましい視線も向けられた。
「仁美ちゃんを泣かせるなんて」
「血も涙もない奴」
「人殺しの癖に」
 体育は走り幅跳びだった。順番を待つあいだ、校舎の窓という窓から視線を感じた。給食でもひどい目に遭った。配膳係の誰かに、チョークの粉をトッピングされた。
 昼休みに校内放送の呼び出しがあった。「五年二組の縁部丸夫君。至急保健室へ来てください」
 保健室は一階のつきあたり、便所の向かいにあった。僕が顔を出すと、小岩井先生は椅子ごと振り向いた。事務仕事を中断させたようだ。やはり男っぽい座り方に思えた。「元気にしてる?」
 僕は回転椅子へ勝手に座った。部屋は消毒薬の匂いがした。「良好です。フラッシュバックもないし、襲われそうな感じもしない」
「ショックが大きすぎて麻痺することもあるわ。つらかったら我慢しないで話すのよ。中山仁美さんと何かあったの?」
「そんな色男に見えます?」
 小岩井先生は笑った。眼はどこか気遣わしげで、不安の色を湛えていた。
「失せ物捜しを断ったんすよ。無理だって」
「聞いたわ。名探偵らしいね」
「みんなどこまで本気なのか、わからなくなりますよ」
「あの子、可愛いでしょ。拒絶された経験が少ないのよ。あんまりつれなくしないであげて。他人が口出しすることじゃないかもしれないけど……」
 僕は赤ビキニの母親を想い浮かべた。拒絶。「でも家中捜したらしいですよ。僕に発見できるわけがない」
「そうじゃなくて……あの子、仲良くしたいのよ。マロ君と」
「何を根拠に」
「長年の経験よ。あの歳ごろの女子にはよくあるの。抑鬱に知恵熱。男子にはピンと来ないかな」先生は身体測定の器具のむこうへ視線をやった。寝台は二つともカーテンがあいていた。片方には枕に浅い窪みがあり、シーツに皺が寄っていた。
 僕は何かが腹の底からこみ上げるのを感じた。いかに大人は子供の世界を知らないことか。気がつくと声をあげて笑っていた。
「余計なお節介だったかしら」
「誰もお嬢の代わりにはなりませんよ」
 伝染しかけた笑みが、先生の顔から消えた。冷水でもぶっかけられたみたいだった。
「ブラジルから聞いたんでしょ。確かに、早く他の子とつきあって忘れるべきかも。お気遣いには感謝します」
「あなたまだ子供なのよ。何かあれば遠慮なくいらっしゃい。用はそれだけ」
 僕は立ち上がってお辞儀し、部屋を出た。険しい視線を背中に感じた。
 美少女はカルトの子とは対照的だ。誰もに愛される。帰りの会のあいだ、教室中が目配せしあっていた。妙だとは思っていた。掃除へ向かおうとすると包囲された。
「おいマロ。最近ちょっと勘違いしてんじゃねえか」タカケンは眉根を寄せ、腕組みしていた。
「仁美ちゃんに謝んなさいよぉ」学級委員の坂崎淑子が、強気にいった。額が広くポニーテール。眼鏡をかけていた。
「可哀相だろ。名探偵だからって、いい気になるな」ユーチャンが口を尖らせた。親鳥に餌を求める小燕を思わせた。
「捜し物は得意じゃなかったのかよ」芋の長介が調子っぱずれな声を発した。
「ちょちょっと見つけりゃいいんだよ。簡単だろ?」小柄でおかっぱの小島文江がいった。
 周囲から賛同の声があがった。クラス全員が、掃除道具や鞄を手に、遠巻きに見つめていた。植田次子は五人の背後に仁王立ちしていた。小島はなおもいった。
「それとも噂は本当なのか。おめえが殺ったのかよ。お嬢を小刀で」
「動機がない」
「決まってんじゃねえか」文江は歯を剥き出し、得意げに笑った。それから遺体の独創的な活用法を列挙した。僕は思わずその顔を凝視した。
 日頃のんびり屋の長介はわめいた。「やってないなら証明しろよ。正々堂々と」
 外野が賛同の声を発した。タカケンは前歯をさらに突き出した。「弁明の機会くらい与えてやんねえとな。お前に試験を課す」
「ジェレミーを見つけたら本物の名探偵と認めたげる」学級委員の眼鏡と額が光った。「見つけられなかったら……」
 小島文江が陰険に笑った。「お前は嘘つきってこと」
 ユーチャンが僕の胸元に太い指を突きつけた。「つまり殺人犯だ!」
「そんな無茶な……」
 植田次子がとどめを刺した。「これはチャンスだよ。名誉を挽回したくないのか?」
 教室中が静まり、僕の回答を待った。
 掃除の騒音が遠く聞こえた。喧しい会話や笑い声。帰りの会が長びいたクラスの、挨拶と机を下げる音。女子たちの軽やかな挨拶。廊下を行き交う足音。
 校舎の上空をヘリが横切った。腹に響く断続的な低音が、はりつめた空気を慄わした。
 むっつりと腕組みするタカケン。懸命に睨み据える学級委員。唇を尖らすユーチャン。義憤に燃える長介。ニヤつく小島文江。みんなの重苦しい視線の圧力……。
 窓ガラスの細かい振動を残し、ドップラー効果の音は遠ざかった。どこかで女子の甲高い笑い声がした。


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
ぼっち広告