杜 昌彦

GONZO

第14話: 無情の世界

杜 昌彦書いた人: 杜 昌彦, 投稿日時: 2020.11.06

 そして姫川尊は「家庭教師」に床へ押さえつけられたときと同じ状態になるのだが、昼間に怖じ気をふるわせられたその虚ろな顔を、梶元権蔵が再び目にすることはなかった。いうまでもなく殺戮に大忙しだったからである。最先端の武装をした八名もの訓練された特殊部隊を、いかにしてたったひとりで殲滅し得たのか。ひとつの説明はそれが完全なる奇襲だったからだ。部隊は黒ずくめの殺し屋の乱入を想定しなかった。ケープとスパンデックス全身タイツの超人が作戦を妨害する筋書きと同様である。米国戦略軍の兵棋演習にゾンビ来襲を想定したものがあるのは、それがあり得ない絵空事だからである。しかもそれですら机上において行われる演習でしかない。
 対峙した八名のうち最初に闖入者に気づいたのは無線を手にした男だった。廊下で殺害された仲間からの通信を受けていたのである。空電越しに聞こえるのは喉から息が洩れるような奇妙な音だけだった。そして彼は漫画から抜け出てこの応接間へ飛び込んできたかのような黒ずくめの男と視線が合った。彼が仲間へ警告の声を上げるより先にゴンゾは指揮官を射殺した。組み敷かれたミコトを誤射することなく、狙った後頭部へ弾丸が命中したのは偶然でしかない。頭蓋骨の破片や脳髄が周囲へ飛び散った。人形のように目を見ひらいたミコトの上にも降りそそいだ。彼の意識はそれを捉えなかった。
 最初に気づいた男でも、銃を向ける四名でもなく、尻を丸出しにしてミコトに覆い被さる男から先に射殺したのは、それが指揮官であることを本能と経験で察したからである。そうした暴力が効果的な支配の手段となり得ること、その味を知るのは権力志向の強い人間にほかならぬことをゴンゾは熟知していた。いかなる組織も指揮系統が機能しなくなれば崩壊する。とりわけそのような異常者を許す組織では、自立した個人として判断なり行動なりをすれば罰せられる。指揮官が絶対であって命令がなければだれも動けない。そして丸腰の一般市民を皆殺しにした成功に油断し、弱者への暴力の味に気を取られて、丸出しにした尻を殺し屋に向けた間抜けは、いかに高価な銃を手にしていようとも助かる見込みは皆無だった。
 二階では第四班と呼ばれる三人の男が寝室を探索していた。重い責任の割には期待の薄い役割だった。頭部に固定したライトを頼りに目を皿にした。マットレスやぬいぐるみの腹を引き裂き寝台の下を探り、本棚や抽斗ひきだしをひっくり返した。化粧道具と黒フリルの衣裳、それにくだらないお絵かきの道具。画集や美術雑誌、未使用の画布も確かめた。学校で使うノートどころか屑籠にレシート一枚ない。
 スケッチブックには念入りに目を走らせた。鉛筆とアクリル水彩の統合失調症の悪夢めいた抽象画ばかりだ。念のためパソコンとタブレットを回収したが、それらの端末内にもクラウドストレージにも目当ての情報がないことは、技術班のクラッキングで数日前に判明していた。時間切れだ。地域課の連中に嗅ぎつけられる前に撤退せねばならない。成果が得られなかったことを班長は無線で報告した。指揮官はまるで予期していたかのようだった。現場を放棄して降りてくるよう指示された。最初から尋問に頼るつもりだったと気づき、中学生の娘のいる班長はぞっとした。確か指揮官殿にも大学生の息子がいるはずだ。出世なさる方々は思考の神経が違う。
 班長は手柄を上げられなかったことに失望しながら部下に合図し、頭部のライトを暗視スコープに切り替えて階下へ急いだ。五分以内に情報を引き出せなければ拉致する段取りだった。現場に遺棄すれば強盗の仕業にできるが人質となると荷物になる。長丁場になるほど口を割らせるのも情報統制も困難になる。自分たち下っ端の行動も制限される。事前に飽きるほど見せられた写真や映像はどう理性にいい聞かせても女の子にしか見えなかった。娘が夢中になっているアイドルにもあんな綺麗な子はいない。一風変わっていようが国賊の家族だろうが娘と同年代の子どもだ。頼むから喋ってくれと班長は祈った。つまらん意地は張らずにさっさと楽になってくれ。
 間近で二発の銃声を耳にした。右手の自動小銃を構え直し、左手で部下たちを制した。彼らの動揺する気配が背後から伝わってきた。連射音、絶叫。母屋での殺戮が再演されたかのような騒ぎだ。何が起きたのか。無線に答えはなかった。空電の雑音だけだ。任務が完了していれば撤退指示があるはずだしその前に殺しては作戦の意味がない。ほかの人間はとっくに制圧済みだ。それに……と彼は考え、鼓動が高鳴りマスクが熱く息苦しくなるのを感じた。例の子があんな野太い声をあげるものか。しかも複数の声に聞こえた。段取りが狂ったのだ。
 緑色の視界に屍体の山を捉えた。ボディーガードと家政婦のまわりに折り重なって倒れている。血の海だ。背後のふたりが息を呑むのが聞こえた。班長は自分の怯えを部下たちに悟られまいとした。鼓動はいまや彼らに聞かれそうなほどだった。壁に背中をもたれ、手で押さえた頸動脈からまだ弱々しい潮を噴く者がいた。暗視スコープをなくしており、すがるような恐怖の目が三人を捉えた。班長は視線をそらした。騒ぎはその先の応接間からだった。銃火が閃くのが見えた。
 消費される性を生きるのとその装いのどちらが先だったのか、梶元権蔵と出逢ったその日の時点で姫川尊にはわからなくなっていた。彼はどこにもいなかった。しばしば肉体を離れて他人に蹂躙される自分を見下ろした。意識のどこかに地平線のようなものがあり、そこを越えると電源を落としたかのように切り離される。空き家となった肉体がどうなろうが遠い世界を空電越しに知るようなものだった。記憶の断絶はいつか糸の切れた風船のようになりそうで、取り戻すのと同様に怖ろしかった。だから繋ぎ止めるために手首を傷つけ、身体性を意識せざるを得ぬ衣裳をまとった。その装いが集める虫が傷口にたかった。
 大人に生き血を啜られる子どもにとって肉体も人生も自分の所有物ではない。であれば心もまた存在する余地などなかった。愛される権利を当然のように享受する同級生とはその事実で致命的に隔てられた。それゆえに姫川尊はその夜どこにもいなかった。男たちに組み敷かれ黒いワンピースを引き裂かれたのはだれでもなかった。ひとりが闖入者に気づいて叫んだときも、のしかかる指揮官の頭から、部下の声を聞くことなく脳髄と生命が飛び散ったときも、ミコトは自分を遠く切り離していた。そこにいない彼には昼間の「家庭教師」の乱入になど気づくべくもなかった。頭上を弾丸が飛び交い、流れ込む夜風が唸りをあげて切り裂かれても何もわからなかった。
 馬毛が詰め込まれた家具は重厚なつくりとはいえ九ミリパラベラム弾の連射に耐え得る代物ではない。ほかに遮蔽物のない部屋でなぜゴンゾがかすり傷ひとつ負わなかったのか、満足のゆく説明はどの書物にも記されていない。それをいうなら特殊部隊のほうも同じことだ。いくら不慣れな腕前だったとはいえ、麻痺したように固まった一瞬に短機関銃を掃射されたのである。全員が即座に射殺されなかったのは逆に奇妙ともいえる。姫川尊を輪姦せんとした三名は、ズボンを上げる暇もなく、それどころか何が起きたか知ることすらなく、暴力への期待ではち切れんばかりになったまま、最初の連射で殺害された。MP五を構えたうち二名は狼狽した顔で射殺された。
 廊下では第四班班長が迷っていた。無線の呼びかけに答えはない。目の前からも無線からも銃撃の音が響くばかりだ。自分たちだけが生き延びればいかなる罰が待つことか。撤退を訴える理性に抗って規則を優先した。部下に合図して応接間に突入した。恐慌状態に陥った男たちは新たな敵と誤認した。第四班は全員が蜂の巣にされ、使い古しのボロ布のようになって絶命した。折り重なって倒れる拍子に引き金がひかれた。結果さらに二名が相討ちとなった。
 残るは無線機を手にした一名である。ゴンゾを最初に目撃した彼が最後まで生き残ることとなった。彼だけは銃に手をかけず、床に伏せたまま仲間の返り血をぐっしょり浴びて慄えていた。頭を抱えた手にはまだ無線機がしっかりと握られている。撃ち尽くして筒先が熱くなった短機関銃をゴンゾは棄て、M三九一三に持ち替えた。ブーツの尖った爪先で床に伏せた男の脇腹を蹴った。
「目的は何だ。警察がなぜ一般市民を虐殺する」
 答えはない。ゴンゾはどっこらせと膝をついて屈み、男の暗視スコープをむしり取って髪を掴んだ。ゴンゾは視線を合わせて男のこめかみへ銃口を押し当てた。死に神に覗き込まれた男はベソをかいた。ゴンゾはなあ、あのさ、と耳元に囁くように低い声で尋ねた。ものわかりの悪い子どもにいい聞かせるかのようだった。
「質問に答えろよ。吐けば助けてやる」
 もちろんゴンゾにそのつもりはなかった。普段の仕事では特別な注文でもないかぎり会話を交わす機会はない。映画みたいでおもしろいと思ったのだ。男は口をひらこうとした。息が言葉になりかけた。
 銃声がしてその額に孔があいた。
 男は信じられぬように目を丸くした。意識の薄れ行くその目が銃口を捉え、自分を撃ったのが同僚であることを認識した。ゴンゾは手を放し、死んだ男の顔が床に打ちつけられるに任せた。発砲したのは第四班班長に腹を撃たれて仰向けに倒れた男だった。ゴンゾは歩み寄って顔に銃を向けた。死にかけた男は他人事のようにゴンゾを見上げた。
「おまえでもいいや。教えろ」
 男はわずかな力を振り絞ってMP五の銃口を自分のこめかみに押し当て、引き金をひいた。脳髄が壁や天井にぶちまけられた。ゴンゾはやれやれと溜息をついた。それから指揮官の屍体を押しのけて下敷きになっていたミコトの腕を掴み、起こしてやった。焦点の定まらぬ目がゴンゾを捉えた。行くぞと殺し屋はいった。十一名の屍骸が転がる部屋をミコトは放心した顔で見渡した。警察を呼ばなきゃと彼はいった。
「ばか。こいつらが警察だ。あんたはもうお尋ね者なんだよ。逃げるぞ」
 ゴンゾはミコトを引っ張り上げるようにしてむりやり立たせた。ままごと遊びの人形を思わせる黒いワンピースは引き裂かれていた。ゴンゾはミコトを支えて応接間を出た。他人を助けるなどゴンゾの柄ではないが、そうしないとミコトはまともに歩かなかったのだ。ところがミコトは廊下で折り重なった屍骸の山を見るなり、死んだ警官の頭からライトを奪って駆けだした。まったく頭のおかしい餓鬼だ、とゴンゾは内心で舌打ちしてあとを追った。死人みたいな面してたかと思えば元気じゃねえか。
「何やってんだ早くしろ」
 二階の寝室で旅行鞄を広げたミコトにゴンゾは叫んだ。どこで使い方を知ったのかミコトは奪ったライトを点灯し、その光を頼りに黒ドレスや下着や靴下を詰め込んだ。最後にスケッチブックを入れて鞄を閉じる。旅行鞄を引きずるミコトの手を取ってゴンゾは部屋を出た。ふたりは屍骸の折り重なる暗い建物を抜け、沈黙した投光器に見下ろされながら走って赤いロードスターに飛び乗った。
 伝説的な逃避行はかくして始まったのである。


(もり まさひこ、1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、藤井太洋氏、十市社氏らによる指導を受けた『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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