杜 昌彦

GONZO

第12話: ワールド・フェイマス・ブランニュー・マシン

杜 昌彦書いた人: 杜 昌彦, 投稿日時: 2020.10.16

 梶元権蔵はまさしく正真正銘の悪党であった。そのことを改めて断っておかねばなるまい。倫理にも法律にも縛られぬ旨を強調しておかねば、またしてもわたしの不備と思われる。なぜなら彼は本章において飲酒運転をするからである。焼き鳥屋で一杯やったゴンゾが言語道断にも、夜の大運動会で幼馴染みを負かしたのち、例の愛車を運転したのはほぼまちがいないのだ。
 人口百十万の政令指定都市であり、いっぱしの都会のような態度を気どりながら、青葉市は決して公共交通機関の充実した街ではない。市内の移動には適さぬJRと、青葉駅を中心に東西南北へ十字に走るばかりの地下鉄の恩恵を受けられなければ、一時間に数本、下手をすると数時間に一本のバスを乗り継がねばならない。そのいずれも日付が変わる前に運行を停止する。東日本大震災で津波に呑まれた者の多くが車を運転していたのはそれが理由である。
 そして姫川邸は民家の少ない丘の上にあった。秘書やお抱えの運転手がおり、使用人の多くも住み込みであったので姫川家に不自由はなかった。不満があればシャトルバスを運行させるなり、市に圧力をかけて路線を新設させるなりしていたろう。
 ひとり御曹司の姫川尊ばかりが黒いクラウンの送迎を恥じ、徒歩とバスで通学していたのだが、不登校になったのはあるいは傾斜のきつい長距離を歩くのが億劫になったせいもあったろう。いずれにせよ刻文町から姫川邸へ向かうには、ホテルでの殺戮と姫川邸での事件、及びミコトの失踪までに間がないことを思えば、そして車両盗難やタクシーの利用が報じられていないことを考慮すれば、自ら車を運転したと結論するのが自然なのである。
 汗だくの鬼ごっこを強いられた末、一銭にもならぬ仕事を終えて、幌をあげて夜風に吹かれているとゴンゾの酔いは完全に醒めた。ちなみにこの車、十数年前に殺した男から奪って登録番号標を付け替えたものである。交通法規などという概念が殺し屋にあろうはずもない。カルト教団で出生時に届けがなされず、無戸籍の彼は免許証すら持たなかった。速度違反で免許証の提示を求められたら、あらゆる悪事が芋づる式に露呈していたろう。実際には一度として取締に引っかかった記録はなかった。
 それもまた田澤老人の神通力だったのか知るすべもない。その力も一連の誘拐報道と、その結末として中華料理店経営者とされる遺体(別人でなかったのかは諸説ある)が見つかって以降は薄れ、だからこそ今日のわれわれは殺し屋と女装男子のブロマンスに、勝手な想像を巡らすことができるのである。
 この夜もゴンゾはありもせぬ免許証は携行せず、呼気にエタノール臭を漂わせ、制限速度など意に介さず、市内を見下ろす暗い丘へと赤いロードスターを飛ばしていた。湿った夜風に吹きさらされながらも、中折れ帽がいかようにゴンゾの頭部へ固定されていたのかも永遠の謎である。
 万里の長城の監獄めいたゲートは解錠されていて、人間が通り抜けられるほどの幅に開け放たれていた。昼間訪れた際にモーター音を唸らせて首をもたげた監視カメラも沈黙していた。その時点でゴンゾの不吉な予感は的中したようなものである。車を降りて手をかけると、歯車が唸りをあげてゲートを開け放つことができた。ゴンゾは蟹目のサングラスを万年筆入れのような銀色の細いケースにしまって胸ポケットへ収め、ロードスターのライトを消した。なるべく音を立てずに丘を登りつめた。秋の虫が騒々しいほど鳴いていた。
 道沿いの常夜灯は点灯していたが、その先に見えてくるはずの姫川邸の光がなかった。ミコトが絵を描いていた離れも暗かった。配電設備が異なるのか途中から常夜灯すら消えた。そこから先は車を降りて歩いた。雲間からの月明かりと街から届く光だけが頼りだった。普段からサングラスを着用しているおかげでゴンゾは夜目が利いた。風がやや強まり茂みが揺れた。愛用のビートルブーツが路面を踏みしめる音を掻き消してくれた。靴底にゴムは貼られていたが、肥満体の彼は猫のようには歩けない。
 飾り柱や屋根のついた玄関には暗視スコープをつけた人影があった。光学照準器や消音器を備えた短機関銃を構えている。防弾バイザーをつけた灰色の防弾ヘルメット、紺色のアサルトスーツ、下腹にプレートがついた防弾ベストの上にタクティカルベストといった出で立ちだ。
 ゴンゾは口笛を吹きたいのをこらえた。男の手にしているのがヘッケラー&コッホのMP五派生型だと見てとったからだ。人殺しの道具にも高価なブランド品は存在する。紛い物もだ。尾行者から奪った銃はトカレフの粗悪な模造品で、おそらく北朝鮮製だった。ゴンゾは闇に紛れてアサルトスーツの男へ素速く近づいた。いそいそと。
 武装した男は退屈に痺れを切らしていた。
 彼も特殊任務を命じられたときには武者震いした。無言の合図で同僚が突入し、乾いた炸裂音や男女の悲鳴が屋内から聞こえたときは昂奮で胸が高鳴った。しかし騒ぎが遠ざかるにつれ闇に取り残された気分になった。見張り役に割り当てられたくじ運を嘆いた。ひとりしか配置されない事実に母屋の玄関が要所ではないことが表れている。早く終わればいいのにと思っていた。もとより非現実的に思えた作戦がことさら荒唐無稽な冗談のように思えた。帰宅したら毎週楽しみにしている深夜のお笑い番組を観るつもりだった。先週の予告を味気ない気分で思い出した。
 念のために録画までしていたその番組を男が観ることはなかった。ゴンゾは男の背後に立ち、振り返られる前に太い腕を相手の頚に巻きつけた。早く終われという願いは叶った。暗視スコープの緑色の視界は赤く転じた。鈍い音を立てて頚をへし折られた男は静かにくずおれた。ゴンゾは砂袋のように重い屍骸の全身を探り、抜き出したものをまじまじと見つめた。
 縦開きの濃い焦茶の手帳には金属の徽章がついていた。
 ゴンゾはロードスターをせしめたときと同様の満足を憶えた。わらしべ長者のような心境で銃を交換した。安物の銃を握る同僚を発見した警官の顔を想像し、声を立てずに笑った。弾薬も少し拝借した。扉はわずかに開いており錠は壊されていた。ゴンゾは短機関銃をぞんざいに脇に提げて足を踏み入れた。昼間も生きた人間の気配を感じない家ではあったが、この夜にゴンゾが感じたのはそればかりではなかった。
 濃厚な死の空気。嗅ぎ慣れた血の臭いだった。
 和服の中年女が倒れていた。頭部を射貫かれていて見るからに息がなかった。壁や床や天井にどす黒いものが飛び散っていた。汚え仕事ぶりだなとゴンゾは苦笑いした。だから銃はきらいなんだ。どっこらせと屈んで屍骸の首筋に触れた。心臓は動きを停めて久しいがまだ温もりがある。
 暗い邸内の入り組んだ廊下を、ゴンゾは記憶を頼りに進んだ。昼間は気づかなかった非常灯が視界の助けになった。磨き上げられていた寄木細工の床は大勢の足跡で汚れていた。命じられるがままに殺害した弁護士や市民活動家の家庭を連想して、彼は子ども時代を懐かしんだ。標的を油断させることや少年法に護られること、いくらでも使い棄てられることを意図した施策だったが、よもや教団が滅びたのちも生業として彼を生かすとは。当の本人はおろか、集団自殺の混乱に乗じて教え子に殺害されることになる大人たちも、夢にも思わなかったろう。
 長い歳月に踏みしめられ飴色に艶光りした絨毯や、博物館に展示されていてもおかしくない骨董家具は、血糊で資産価値を損ねていた。無人に思えた邸宅にこれほど大勢が生活なり勤務なりをしていたのかとゴンゾは驚かされた。廊下にも、扉の開け放たれた応接室らしき広間にも、さまざまな年齢の男女が倒れていた。女は和服や割烹着が多かった。男は制服もあればスエットもいた。金持の家にはそれぞれの特異な習慣があるものだ。
 邸内にはまだ武装した警官が何名か残っていたはずなのだが、この時点では奇妙にも鉢合わせることはなかった。母屋で戦闘が起こらず、従って姫川尊が殺害されることもなく、彼を拉致したのが特殊部隊ではなくゴンゾであった事実からもそれは確かである。いかに殺人に熟練していたにせよ、気取られぬよう息を潜めたにせよ、暗視スコープを装備した特殊部隊と渡り合えたはずがない。例のジンクスが奇跡のように作用したとしか思えない。少なくとも田澤老人の庇護力は通ぜぬ相手だった。
 ゴンゾは呼び咎められることも射殺されることもなく母屋を抜け、茂みや木立に神経を研ぎ澄まして中庭を進んだ。夜の空気はじっとり湿って重く、虫の声は耳鳴りのように高まった。昼間より晴れたおかげで月明かりがあり、街から届く光もあって邸内より視界が効いた。
 離れの前には武装警官がふたり立っていた。アサルトスーツなどの装備は最初の警官と同じだった。短銃を手にしたほうは岡山の出身だった。旧帝大である青葉大学法学部を出て就職し、有能ぶりを認められて特殊犯罪テロ対策課に配属された。現実の人間を殺害したのは十数分前が初めてだった。やってしまえばなんということもなかった。ゴンゾがせしめたのと同じ短機関銃を提げたほうは地元出身で、やはり青葉大学の国際政治学科を卒業していた。大学時代に高校生を泥酔させて輪姦した経験はあったが、殺人の経験はやはりその夜までなかった。
 ふたりは母屋の見張り役と同様に退屈していた。割り当てられた役割に疑問を抱きつつあった。どうせ邪魔など入らないし、抵抗される畏れもないのだから、犯罪集団のごとく密かに侵入して配電設備を破壊し、闇に乗じてまで襲撃する必要はなかったのではないかと疑っていた。いくら逃亡や証拠隠匿の畏れがあるとはいえ、ここまで派手にやる意図が理解できなかった。邪魔な暗視スコープは額のあたりに上げていた。目が疲れるし必要とも思えなかった。
 一方で彼らは、もっと銃を撃ちまくって悪党を征伐したいとも考えていた。姫川家は国賊だと聞かされていた。宗一郎をウサーマ・ビン・ラーディンのように思っていた。習ったことを信じるほどふたりとも若かった。
 樹木の陰でゴンゾは思案した。やれやれ面倒だな。至近距離とはいえ風もあるし射撃は苦手だ。地方の仕事に銃を使う機会など滅多にない。おまけにこの型の銃は子どもの頃に仕込まれたきり何十年も触れていない。石でも投げて注意をそらせばひとりはやれる自信がある。しかし一度に両方は連射でなければ無理だ。消音器なる名称は誇大広告もいいところで、単射でも敵を呼び集める効果しかない。
 あれだけ腹立たしい思いをさせられたというのに、断った仕事になぜ義理めいた心境を感じるのかゴンゾは自分でもわからなかった。本来なら金をかき集めて高飛びし、南国の波打ち際で傘を挿した色つきの酒でも啜っているべきなのだ。策は何も思い浮かばなかった。ゴンゾは薄笑いを浮かべて歩いて近づいた。


(もり まさひこ、1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、藤井太洋氏、十市社氏らによる指導を受けた『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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