既存の 「ニーズ」 以外の価値があるなら見せてほしい、 笑いものにされ淘汰されるぞ、 とわたしに指を突きつけたジャーナリストの言葉は、 ただひとつの 「正しい感じ方」 以外を滅ぼそうとするものでした。 そのような 「正しさ」 に従えば出版は死にます。 あるいは生を許されたことなど一度としてないのかも。 淘汰される淘汰される、 そんな身勝手は世間が許さないぞと脅されながらも残る言葉は残るのであり、 あるいはあの脅迫は 「それぞれの感じ方には滅びてほしい」 という儚い願いであったのかもしれません。 ロック音楽に社会的に認められた 「ニーズ」 がなく、 それどころか禁じられていた国において、 闇に刺青がうっすら浮かぶアルバムが命がけで隠れて聴かれ、 無血革命に力を与えたことはよく知られています。 そのグループには来月、 名誉ある舞台で特別功労賞が授与されるそうです。
ひとびとが情報にお金を出さなくなったといわれます。 価値ある情報をわずらわしく感じるひとが増えただけなのではないでしょうか。 まともな値付けがされたものには、 価格に見合った内容が予想され、 読むのに気構えが要ります。 現代人は価値のないどうでもいいものを気軽に消費したいのかもしれません。 豊崎由美さんは 「お金にケチ、 時間にケチ、 手間にケチ。 この3つのケチは面白いことを何ひとつ生まない」 とおっしゃっているけれど、 そもそも 「面白いこと」 を憎むひとが増えているような気がします。 受け入れるのに度量や経験が要求されるからです。 受け入れる側の器が試されるような、 それぞれの人生に応じたさまざまな受け止め方が求められるコンテンツは、 現代では忌み嫌われ、 既存のテンプレートに収まるわかりきったコンテンツが喜ばれます。 みんなと同じ感じ方をすればよいから。 自分だけの読み方をして疎外 (淘汰) されたりせずに済むから。
自分のめざす先が明確でさえあれば、 いかに実現するかだけが問題になり、 重要な相手でないかぎり他人に何をいわれようがどうでもいいはずです。 まずはやりたいことを明確にしようと思いました。 人格 OverDrive がやろうとしていることは ZINE やリトルプレスに近いものになりそうな気がします。 音楽でいえば圧縮音源やストリーミングどころか CD ですらない。 手作業でダビングするカセットテープです。 かつてダニエル・ジョンストンはダビングすら知らずにすべてのテープにひとつひとつ吹き込んだという噂ですが、 極端な話、 そのようなものです。 実現性を除外して夢を語るならばブックカフェやセレクトショップ、 中古盤屋のような店舗を販路とするのが理想です。 販路や売場まで設計したい気持があります。 エスキモーに氷を売るとか、 裸足の村で靴を売るとかだってありだと思いますし、 そもそも、 そういうこと全部がどうでもいいというのもあります。 人格 OverDrive の活動でお金は指標にはなり得ても目的にはなりません。 「面白いこと」 をやれたらそれがいちばんなのであって、 だれかの決めた 「勝ち負け」 とはいっさい関わりたくない。 つまらないひとのつまらない理解に収まるつもりはありません。 暴力による挫折を 「訝しい夢想」 などと指さして笑うような人間になってまで世の中を渡りたくない。
さしあたってやはり電子版の配布は epub がいちばん自由に感じます。 たとえば Wilco はデジタル版の音源は無償配布に近いかたちで公開し、 公演やヴァイナル版や物販で収益を得ているようです。 人格 OverDrive の本もそのようであっていい。 epub を無償配布しオンデマンド版や関連グッズをお布施用にする。 あるいは中核コンテンツとしての独自作品は無償で公開し、 オンデマンド版は実費のみ、 関連グッズも実費かデジタルデータの無償配布のみとして、 つながりのある本を売る。 つまり書店を開業しノベルティとして独自コンテンツを配布する、 という形態もあり得ます。 むしろほかの本を主体にしてしまうのです。 しかし実店舗ありにせよオンライン書店のみにせよ、 経営に適性はありません。 商売の要素が少しでも関わることからは全力で逃げます。 社会的能力すなわちゲームのスキルが求められるからです。 世渡りのゲームをやりたいのではありません。 では何をどうしたいのか。 具体的な次の一手は。 わかっているのはどんなに断罪されようが別の人間にはなりたくてもなれないということです。