ウィトゲンシュタインの愛人
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ウィトゲンシュタインの愛人

地上から人が消え、最後の一人として生き残ったケイト。彼女はアメリカのとある海辺の家で暮らしながら、終末世界での日常生活のこと、日々考えたとりとめのないこと、家族と暮らした過去のこと、生存者を探しながら放置された自動車を乗り継いで世界中の美術館を旅して訪ねたこと、ギリシアを訪ねて神話世界に思いを巡らせたことなどを、タイプライターで書き続ける。彼女はほぼずっと孤独だった。そして時々、道に伝言を残していた……。ジョイスやベケットの系譜に連なる革新的作家デイヴィッド・マークソンの代表作にして、読む人の心を動揺させ、唯一無二のきらめきを放つ、息をのむほど知的で美しい〈アメリカ実験小説の最高到達点〉。

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著者: デイヴィッド・マークソン

(1927年12月20日‐2010年6月4日)米国の小説家、詩人。『ディンガス・マギーのバラッド』(1965年)が『大悪党/ジンギス・マギー』としてフランク・シナトラの主演で映画化されている。1988年『ウィトゲンシュタインの愛人』で名声を得る。以降『読者のスランプ』(1996年)『これは小説ではない』(2001年)『消失点』(2004年)とあわせて「作者四部作」と呼ばれる作品群でジョイス、ベケットに連なると評される。デヴィッド・フォスター・ウォレスは『ウィトゲンシュタインの愛人』について「アメリカにおける実験小説のほぼ頂点と言っていい」と評した。

デイヴィッド・マークソンの本
2020.
07.25Sat

ウィトゲンシュタインの愛人

mistress なる単語は月は無慈悲な夜の女王 The Moon Is a Harsh Mistress を連想させるSF としてはハインラインより J・G ・バラードの思弁的な小説に似ているあるいはクラークよりもヴァリス暗闇のスキャナーで有名なプリーストだったろうか実を言うと記憶が不確かところで女教師ミストレスと交際していた話はしただろうかむち打て親愛なる女主人様ミストレスほかのだれかなら腕をへし折っていただろう狂人の支離滅裂な思考に見せながら奇妙に辻褄が合っていたり思いがけないところで相互に結びついたり伏線が回収されたりするところはセバスチャン・ナイトの真実の生涯を思わせるしかしながらさほど感心しなかったその名作にあってさえもナボコフはもっと笑えるしもっと感性が病的に鋭いやりたいことは言葉の遊びでありながらその遊びを金に換えるための物語もちゃんとおもしろく書くのがチェス愛好家にして蝶の研究家でもある亡命作家のやり口だその物語のおもしろさにしてもいかにもあからさまに口実然としてどこからか安易にひっぱってきたことを隠そうともしないのだけれどそういうふてぶてしさ不敵なニヤニヤ笑いのしたたかさに強い力を感じさせられるそこに人間性への共感はないけれど人間を解しない逸脱した感性ゆえの人間性が感じられるしなんならありがちな犯罪小説やポルノを装いつつもペドフィリアにだめにされた人生の惨めさまでちゃんと書かれているほのめかしていたものを読者の鼻先でとりあげる意地悪さや語/騙ることへの不信こそが魔術なのだと思わせる力がナボコフの小説にはある他方で実をいうと本書にそこまでの魅力は感じなかった何かが起きた世界について書いておきながら詳細は記さない技巧にしてもナボコフのような悪意に満ちた笑いではなく笑える箇所もいくつかあるがそれほどの切れはない)、 単なる物語の不足のように感じさせられるし不貞と夫婦の諍いが招いた子どもの死についても同様に言葉を惜しみながらにもかかわらずそれでもなお量感を伴って描き出す方法もあったはずだそれをいえば狂人の語りがどこまで信じられるか怪しく物語の前提であるはずのだれもいない未来世界だって妄想にすぎないのかもしれずかといってナボコフやディックのような足場の不確かさに不安にさせられるようなところもなく垂れ流される妄想の奥に現実がかいま見える彼らのすごさを逆に思い知らされたところで両親の話はしただろうか彼らのために人生をだめにしたのだがそのことがいよいよ明確になった若いころわたしは彼らのような精神異常にかなり近い場所にいたつまり頭がおかしかったその時期のわたしの文章がちょうどこのようなものだったただしもちろん本書のは緻密に意図され計算された技巧であってわたしは単純に頭がおかしかっただけだ荒俣宏に文章がまわりくどいと貶されて以来十数年をだれにも読まれるあてのない小説からしかしながら」 「実を言うと」 「それはつまり」 「やはり」 「それでもなお」 「だから」 「実際には」 「他方で」 「一方」 「とはいえ」 「ところで」 「あるいは」 「ただし」 「そして」 「にもかかわらず」 「いずれにせよ」 「ひょっとすると」 「ちなみに」 「実際に言おうとしていたのは」 「誓って言うが⋯⋯などなどをひたすら削ることで錯綜した論理の筋道を正す作業に費やし気がついたら四十歳になっていたあるいは五十歳かもしれないそれとも三十歳だったろうかあるいはわたしはいまでも気が狂っているのかもしれないウィリアム・ギャディスが幾度となくネタにされているのは単に笑えると思っただけなのかそれとも著者が実際に友人だったりしたのだろうかそれをいうならわたしの人生に一瞬とはいえ荒俣宏が登場するのは事実なのだろうか彼はほんとうにPの刺激を読んだのか似ても似つかぬドッペルゲンガーや窓をひっかく猫と同様の幻かもしれない誓っていうが当時わたしは気が狂っていたのだちなみにギャディスJ Rは過剰な言葉遊びの小説でありながらも物語に夢中になりどちらの方向からも両立しておもしろかったとはいえ読んだと思っているのも記憶違いなのかもしれないあるいは本書においてもまた


(1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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