話題の新刊めあてに入った本屋さんで、 上下巻のその本が二組しかなかったとき、 一組は自分用に買うとして、 だれかを困らせる用にはあなたなら上巻を買いますか、 下巻を買いますか。 でも品切必至というわけでもないから、 つづきが読めなくても下巻しかなくても、 たいした厭がらせにはならないか。 どうせあとで断裁するのに、 なぜ紙やインクをむだにするのか不思議です。 コンビニ弁当の廃棄みたいだと思います。 いちどにあんなに刷って余ったらどうするんでしょうね。 ああ、 返せばいいのか。 なんだか借金みたいですね。
youtube のアルゴリズムはなかなか精度が高くて、 サジェストされて大好きになった音楽がたくさんあります。 BJM もきのこ帝国もそれで知りました。 最近は Spotiy の 「関連アーティスト」 で出逢った音楽を聴いています。 ヴェルヴェッツなど大御所の 「関連」 は、 大きく外れてはいないけれど全部知っているからつまらない、 というものばかり。 まだ評価の定まっていない若いアーティストのほうが素敵な出逢いがあります。 気に入って Spotify ばかり使っていたら youtube がおかしくなって、 素人芸人のゴミみたいな動画ばかり勧めてくるようになりました。 しばらく会っていなかった妹がヤンキーとつきあって好みがおかしくなったみたいな、 そんな哀しさを味わいました。
twitter や Facebook で関心をもった音楽を Spotify で聴くこともあります。 おなじように SNS で知った本を読もうとしても Kindle 化されていることは滅多にありません。 契約の都合でしょうから仕方ないのはわかっていますが⋯⋯。 サジェストもランキングも関連づけも、 機械的に並べているだけで、 どうにも関心を持ちようのない本しか表示されません。 たまたま入った書店ですてきな棚づくりがされていて、 知らない著者の聞いたこともない本が目にとまって、 思わず買ってみたらすごく気に入ったとか、 そういう出逢いは生じようがありません。 youtube や Spotify に教わった音楽は数えきれませんが、 Amazon で出逢った本は一冊もありません。 指名買いにしか使えないのでとても不便です。 どうにかしてください。 お願いします。 本の目利きを雇って特設ページをつくるとか、 いかがですか。
しょうがないので紙の本を買いに行きました。 ブローティガンと獅子文六とポール・オースターと、 それからいまだれもが話題にしている本が目当てです。 勤め先近くの、 朝早くから夜遅くまでやっている本屋さんがなくなってしまったので、 Kindle 化されていない本を読むのはひと苦労です。 お金を払って文字を読みたいだけなのに、 その文字が印刷された紙が置いてある場所へ、 日中のごく限られた時間内に赴かねばなりません。 その文字が石に刻まれたものであったならもっとひどいことになっていたでしょう。 仕事帰りに、 わたしの街でもっとも早くひらく書店をドトールで待ちました。 話題の本はウェブで書影を見て覚悟していました。 それでも実物のあまりの醜さに買う気が失せました。
その著者が書いた長編はだいたい読んでいます。 熱心なファンではありませんが一般的な読者ではあると思います。 少なくともばかにするために読んだり、 読みもせずばかにしたりするようなアンチではありません。 それにわたしは文庫本なら読んだ端から頁をちぎって棄てる人間です (ハードカバーをそうしないのは腕力がないからです)。 帯どころかカバーも読むのに邪魔なので買ってすぐ棄てます。 その書店でつけてくれる書皮は賞をとったほど美しいのですが、 使わないので断ります。 そんな人間ですらあの装幀は生理的にむりでした。 売れすぎて困っているから売れ行きを抑えたかったのかな。 Kindle 化されれば書影を見ずに済む (本扉から表示される) ので、 それまで待とうと思います。
『荒涼館』 四巻セットが売られていたので、 むしろそちらを買うべきか迷いました。 なにしろディケンズですからおもしろいに決まっています。 しかもいまなら帆布の手提げ袋のおまけがつくとか。 でもいまは長い小説を愉しむ体力がないので、 あきらめました。 話題の本を買わないことに迷いはありませんでした。 せっかく睡眠時間を削って立ち寄ったので、 ゆっくり買い物を愉しむつもりだったのですが、 青木まり子現象に襲われたのでしぶしぶ店を出ました。 有名なその現象の対策として、 その店にもまた 「トイレありません」 の貼り紙がありました。 おそらく書店員はある種の悩みとは無縁でしょう。 うらやましいことです。 紙の最大のメリットはそうしたところにあるのかもしれません。 いざとなれば破って拭けますしね。