杜 昌彦

D.I.Y.出版日誌

連載第328回: 何がおもしろいの?

書いた人: 杜 昌彦
2021.
07.31Sat

何がおもしろいの?

十代の夏エイミー・トムスンヴァーチャル・ガールやパメラ・サージェントエイリアン・チャイルドといった性暴力や DV を題材にした傑作 SF を読んだ奪われたものを取り戻さないことに幸福を見出すそれらの結末を当時は理解できなかったけれどいまなら正しいと思える理解できなかったのはおれ自身虐待によって社会的能力を奪われていて取り戻すことでしかエンパワメントできないと思っていたからだだから若い頃はずいぶん無理をしたし苦しむだけだとわかったいまでさえも本を売るために twitter に適応しようと見込みのない努力をしているでも結局のところ奪われたものは取り戻せないし取り戻せたふりをして傷を掘り返してつらい思いをするだけだ自分にとってよくないことだと見定めて距離を置くのがいいそういう幸福もあるのだと学んだそうした理想郷を描こうとしたのがぼっちの帝国だったこの本のなかで主人公たちは苦手な社会と距離をおいて自分たちなりの生き方を見出そうとするのだけれどその努力そのものが社会の怒りを買って焼き打ちにあう彼らのは灰になり主人公は精神を病む実際この本はだれからも評価されなかったそれでおれは意欲を失った期待がなければ落胆もないがっかりしたのは出版したからには売らねばならなかったからだつまり社会から離れる幸福について書いた本を出版することであべこべに社会と関わらねばならなくなったできないことを無理にすれば心を病む書いて出版することはこの矛盾から免れ得ない出版の成功には交流が不可欠だという政治家や演歌歌手の挨拶回りと同じだ書く暇があればソーシャルメディアで交流しろとある作家は説いたそれは現代の出版における常識になりつつある誰も本になど関心はない知っている人の本だから知っている人が褒めたから読まれる名刺を配り顔を売れ他人とうまく関われないから本を読み書いて出版する読まれなければ出版したことにはならないそのためには交流せねばならない社会的能力がなければ読まれない顔を使い分けてよく思われなければ器用に世渡りできるくらいなら本なんか読みもしないしまして書いて出版したりなどしないのに交流が許されるのはごく一部の社会的に価値があると見なされた人だけだ話しかけたつもりなどなくとも引用リツイートの通知が飛ぶだけで迷惑行為として指さされ取り巻きに寄ってたかって石で打たれたりするそれはビデオゲーム化された名刺交換会であって交流技能が支持者や共有数といった得点として可視化される生身の社会生活での交流と異なり物理的な制約を免れることで技能の多寡が増幅される恵まれた者はより成功し持たぬ者は機会を抑制されるばかりか迂闊に他者の前に表示されると暴力と見なされる最適化されたユーザがイディオムめいた定型文で会話しているのは以前から気づいてはいたけれどtwitter 構文なる言葉が本当にあるとは知らなかったしかもそのことについて調べていたらtwitter 言い回し 気持悪いなる検索候補が表示された適応できているユーザの方が少数なのではそこまで厳密に個性を排除して定型化するのであれば生身の人間が投稿する意味はないのではAI の自動生成でいいじゃないかそれも雑な人工無能の水準で通用しそうだそして違和感をおぼえるユーザが検索候補になるほど存在するのにそこまで定型化が求められる場とはなんなのかもはやテキストボックスは要らないんじゃないのかなツイートボタンをクリックすれば人工無能が適切な構文で自動生成すればいい生身の人間の投稿なんて厄介のもとでしかないなんなら人間が読む必要もない時間と手間のむだだ映画はもはや娯楽としてではなく交流の手段として消費される商品となったと耳にするその交流においてさえも人間性は求められずアルゴリズムへの最適化を妨げる夾雑物として排除されるのであればそうしたものこそアルゴリズムが代替すべきだファスト映画ならぬファストソーシャルメディア

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(1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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