ヴァーチャル・ガール
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ヴァーチャル・ガール

金色がかった栗色の髪に、左右色違いの大きな瞳が印象的な美少女マギー。彼女はコンピュータの天才アーノルドが自らの伴侶にしようと作りあげたロボットだった。人間と変わらぬ優しい心を持つマギーだが、人工知能の開発が禁じられている今、正体がばれれば即座に破壊されてしまう。かくして二人は追跡の手を逃れ、波乱に満ちた放浪の旅に出た…純真なロボット少女の成長と冒険を描く、スリリングで心あたたまる物語。キャンベル賞受賞。


¥54
早川書房 1994年, 文庫 437頁
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性暴力と解離性障害の寓話……と思ったのだが

読んだ人:杜 昌彦

ヴァーチャル・ガール

三十年ぶりの再読序盤は記憶していたとおり無造作な一文一文に身を切りつけられるかのようだった虐待の連鎖DVカサンドラ独善的な人格による搾取といった主題が随所にさりげなく仕込まれているたとえばのちに虐待者であることが明らかになる男が主人公をはじめて外へ連れ出す際上着を手渡すのでも着せてやるのでもなく投げあたえるとの言葉が選ばれる感覚器から入力される情報の洪水に優先的な選択ができず自閉症児めいた混乱に陥った主人公に虐待者は最重要なのはきみだ自分に必要だからと告げる⋯⋯つまり自己愛的な動機による隷属の要求だったのだが後半が伝わらなかったおかげで主人公は自分自身を大切にすることを核にして認知の枠組を形成し自我を確立するそしてこの食い違いが結末で増幅されて揺り戻されるミッドポイントにおける虐待者の回想は太宰の人間失格のような幼少時の性的虐待であってもよかったわざわざ父親の女たちに言及したのだから主題をより明確に浮き上がらせる技法としてそのほうが自然というかむしろそれが必然に思えるそうしなかったのは男性の加害性を滑稽に際立たせるために女性の加害性に触れることを避けたのかもしれないだとしたらそれは偽善だ

 研ぎすまされた文体は虐待者との別れから急に粗雑になるまず保安官のくだりで急にミステリの逃亡者ものの焼き直しになるその着想や手管をさほど活かさぬまま次の舞台へ移るちぐはぐな書き方だ技術的にこなれていないニューオリンズのくだりは思った以上にエフィンジャーだった現実に起きる前にカトリーナのことを書いているのはおもしろい)。 マジックリアリズムめいた描写が唐突に挟まれるが必然性が感じられないその後の展開に何も影響しないしそのような書き方はここでしかされていないこれをやるなら砂漠の原住民コロニーのくだりにも何かあってよかったし冒頭と結末の虐待者のパートにも関連づけがなされるべきだ脈絡がない書きすぎといえるニューオリンズと較べると砂漠の挿話は短すぎるし印象にも残らないよくある筋立てをただなぞりましたといった風だ虐待者の描写が詳細であるのに較べてあまりにぞんざいで雑すぎる

 安心できる庇護者と思わせて信頼させておきながら年齢差という権力勾配を利用して搾取するのはグルーミングにほかならないジェンダーは不動のものではないのは当然だけれどそれとこれとは別の話だひとつにはわざわざ一人称や役割語を使い分けた翻訳に問題があるジェンダーのごく当たり前のゆらぎを SF 的な奇想と捉えるような態度が訳者にあったのだと思う白人シスジェンダー女性である著者自身にもその姿勢があったのかあるいはトランス黒人への遠慮があったのかどの程度自覚的に書かれたものかはわからないが主人公を尊重されるべきひとりの人間としてではなく容易に利用可能な性的資源として見ていることを明確に示す台詞があるおまけにダメ押しのように異様に紙幅を割いて執拗にねちっこく描写されるそれなりの意図があってしかるべきと思えるがにもかかわらずあくまで若き日のありふれた成長・学習の通過点として語られる男性の醜さを滑稽に誇張しておきながらその体験への評価には悪い意味でフラットに距離を置きすぎているそれが当時のおれには居心地悪かったしいまのおれにも共感できないところだ当時は乖離の表現として読んだがどうもそうではないようだあるいは大抵の女性にとって問題視するまでもないありふれた経験なのかもしれない実際に成長過程の通過点なのかもしれないそれとも主人公の何物にも損なわれない無敵さを示すためにあえてそのように書いたのかそうかもしれない醜い描写にはあからさまな悪意が感じられる皮肉のためにトランスジェンダーを利用したのであればここで男としての醜さを強調するのは矛盾する白人シスジェンダー女性によるそうした利用の是非はさておくにしてもこのことについて考えれば考えるほど自分がまぬけに思える結局のところ身体的あるいは社会的な事柄から疎外された立場からは何もいえないというのが正解かもしれない

  AI については当時のジャンル小説なりによく調べて書いてあり、 『ガラテイア 2.2と読み比べるとおもしろい仮想現実のディテールはこの三十年間なんの進歩もなかったようだ醜いヘッドマウントディスプレイや両腕を振りまわすばかげたインターフェイス頭の硬い国家が天才のイノベーションを阻害するといったニュアンスで AI 規制法なるものが語られるプラットフォーム企業がひとびとを支配する未来なんて想像もできなかったんだろうな現実はどうだ技術を金で買った企業がその美しい神話を隠れ蓑にして騙されていることを知らない呑気な利用者を技術で支配している議会襲撃事件も若者たちの自殺も実際に起きるまであるいは起きてから何年経ってもだれも理解も想像もしなかった例外は筒井康隆の処女長篇くらいだ当時はまだ自転車とバックパックと米とサンダルの青年がボブ・ディランの海賊盤を聞きながら車庫で半田ごて片手に起業するイメージだったんだろうすでに団塊世代は神話を金に換えることを学んで十代だったおれらは搾取される側でしかなく金網をやぶってどろんこまみれで薬漬けになるしかなくてグリーンデイが注目されたときのウッドストック)、 その時点ですでにご大層な神話が商業的な嘘っぱちでしかないのを思い知らされていたしましていまの若者たちにとっては OK ブーマーなんて嘲笑の対象だというのにしかしそのヒッピーが法律をもてあそぶ大富豪となり金儲けのために主人公の権利を蹂躙しようとするくだりは読みようによっては現代を予知しているとも読める

 解離性障害がくりかえし描写される小説として記憶していたもっとも露骨なのは結末近くで主人公が虐待され殺害される場面だけれど序盤からささいな文章に巧みに紛れ込ませてある明確な描写はミッドポイントにもあって親としての権力を利用して主人公から搾取した虐待者は罰を受けて一度ここで死ぬ多少はあったかもしれない善良さも同時に死ぬ戻ってきたときには完全に父親とおなじ邪悪な男になっているこの循環の皮肉が十代のおれを捉えて、 『崖っぷちマロの冒険で父親を嫌悪した少年がPの刺激では父親そっくりのカルト教祖となり無残な死を遂げたり、 『ぼっちの帝国では両親のようになるのを畏れた主人公が子をなすのを拒否して狂気に逃げ込んだりすることになった男たちに都合のいいモノとして搾取されつづけた主人公が結末では性を拒否し性をもたない仲間とともにホームレスの子どもを支援するに至る⋯⋯そんな物語として記憶していたのだがどうもこれは同時期に読んだパメラ・サージェントのフェミニズム SFエイリアン・チャイルドと混同していたようだ身勝手な男の性を上から目線で小ばかにする態度こそあれ社会批判のニュアンスは感じられなかった身を切り刻むかのような文章は主題に結実するほどの掘り下げには至っていないほのめかしに終始して商業的に期待される安全な枠内におとなしく留まる踏み込みの甘いジャンル小説でしかなかった唖然とした当時のおれはやがて自分で書くことになる物語をこの子どもじみた小説に投影していたのだ18 歳のおれが読んだ小説は存在しなかったそれはおれの記憶だけにあった図書館の返却ポストの暗がりに滑り込んで消える本を孤独だった十代のおれに別れを告げるような気分で見送った

(2023年08月11日)

(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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AUTHOR


エイミー・トムスン
1958年10月28日 -

米国の作家。1994年『ヴァーチャル・ガール』でジョンW.キャンベル新人賞を受賞。彼女の作品のほとんどはハードSFと見なされており、フェミニズムと環境をテーマにしている。

エイミー・トムスンの本

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