ヴァリス
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ヴァリス

友人グロリアの自殺をきっかけにして、作家ホースラヴァー・ファットの日常は狂い始める。麻薬におぼれ、孤独に落ち込むファットは、ピンク色の光線を脳内に照射され、ある重要な情報を知った。それを神の啓示と捉えた彼は、日誌に記録し友人らと神学談義に耽るようになる。さらに自らの妄想と一致する謎めいた映画『ヴァリス』に出会ったファットは……。ディック自身の神秘体験をもとに書かれた最大の問題作。

著者:フィリップ・K・ディック

(1928年12月16日 - 1982年3月2日)米国の作家。彼の小説は社会学的・政治的・形而上学的テーマを探究し、独占企業や独裁的政府や変性意識状態がよく登場する。薬物乱用や偏執病・統合失調症や神秘体験が『暗闇のスキャナー』や『ヴァリス』に反映されている。

フィリップ・K・ディックの本
2017.
02.01Wed

ヴァリス

新訳版『ヴァリス』読了。こんなにも胸をえぐる小説だったとは。旧訳を十代で読んだときは、衒学的なところが凄いんだ、と大人たちに聞かされて首をかしげながらもそういうものかと素直に感心しました。二十代で再読したときには「よくわからないけれども何かがずしっと迫る」と思いました。長い年月がすぎて、人生のさまざまなことが変わってしまった今、新しい訳で読み返すと、衒学的に装われた部分は痛々しい逃避だったことがわかりました。危うげに見えながら案外、技巧として手綱がとれていることも知りました。

狂った主人公は、同様に狂った男女に妄想を共有しようと誘われ、ヒッピー・コミューンの農場のような場所へ招かれて、虐待されている幼女と出逢います。息子に対する愛だけはまともだった彼は、自分もまた常軌を逸していたことに気づき、正気に返ります。その転換が、「もうひとりの自分」として妄想を対象化した主人公と、語り手との境目があいまいになりかけた時点で生じます。狂気を鏡に映されて一度はわれに返った主人公/語り手は、魂を救ってくれた幼女がヒッピー・コミューンの妄信によって殺されたことを知り、妄想に逃げ戻ります。

ディックはキャリアの初期においては「語るより見せる」書き方をしていたのですが(ときとしてヘミングウェイばりといえるほどに)、徐々に具体的な描写よりもモノローグが増え、晩年はきわめて思弁的な、「見せるより語る」式に移行します。また彼の小説作法はしばしば行き当たりばったりで、退屈に陥るとそれまでのプロットを放棄して物語を立て直すくりかえしです。まさにチャンドラーのいう「銃を持つ男を闖入させろ」です。この小説ではそうした書き方が意識的にか、経験による技術かはわかりませんが、語り手が逃避に傾くと、具体的な行動を起こさざるを得ないような事件が起きて、現実に引き戻される、という効果に昇華されています。そしてチャンドラーが「登場した銃は撃たれねばならない」としたように、物語は必然としてやりきれない結末を迎えます。

『ヴァリス』は救済をめぐる物語です。狂気の症状、もしくは人格上の欠陥として、他人を助けたがる主人公/語り手はどうして幼女を救わなかったのでしょうか。彼は試みさえしませんでした。そこには魂を救済するはずの神が一匹の猫をすら救わない事実が重ねられます。幼女はみずからを犠牲にして主人公たちを救いました。そのことを知っていながら彼はただ逃げた。友人は猫のことを思い出して引き返しますが、主人公/語り手にはそのときの記憶すらない。人生の残酷さ、猫や子どものような傷つきやすいものに対する運命の暴力に対して、主人公/語り手は無力です。その事実を思い知らされたとき、彼は傷つきやすいものを見棄てて狂気に引き籠もります。

あるいは主人公/語り手のような人物にとって、他者を見棄てることこそがみずからの救済となり得るのかもしれません。つまるところ猫も幼女も身勝手な恋人もみんな死んだのであり、残された者は生きねばならないのです。共に暮らした女たちには別の言い分があるかもしれませんが。


杜 昌彦

(もり まさひこ、1975年6月18日 -)著者、出版者。硬質な文体と独創的な物語で知られる。作風はアヴァン・ポップ、スリップストリーム、スペキュレイティブ・フィクションに分類される。2010年から別名義で活動。2013年日本電子出版協会(JEPA )主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、藤井太洋氏、十市社氏らによる指導を受けた『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。

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