D.I.Y.出版日誌

連載第108回: ありがとう、トニ・エルドマン

アバター画像書いた人: 杜 昌彦
2018.
01.12Fri

ありがとう、トニ・エルドマン

レンタルのボタンを押してからずいぶん長い映画だと気づきおかしな人物が場にそぐわない行動をする話だとわかってADHD 当事者としては笑えない話になりそうだな⋯⋯とちょっと後悔したのだけれど腰を据えて観はじめたら意外によかった集中力に障害があるにもかかわらず長さを感じなかった奇人変人の父っつぁんの奇矯な行動でおかしな状況がどんどんエスカレートし仕事人間の娘が追い詰められて神経症的になっていく見知らぬ他人の家でやけっぱちになって熱唱するくだりとかついにぶち切れて社会的自殺に走りいろいろとおかしなことになる山場なんか抱腹絶倒だった車内の座る位置が逆転するとか見せ方がちょくちょく巧いことさらに押しつけがましく煽り立てるのではなくすっとぼけた態度で淡々と語っていくのが好ましかった父っつぁんからして奇矯なふるまいを押しつけない正当化もしないただ変人が変人らしくあるだけだ

表面上はいかにも娘は父っつぁんのおかげでいろんなことがうまくいかなくなってついにぶち切れて社会的自殺に至るかに見えるでもああいう奇矯なふるまいを彼女も子どもの頃は楽しんでいたはずでその時代の思い出があるから大人になって見かけはまるで変わってもそのつながりはまだ残っていると信じて錯覚しているから父っつぁんは意味不明な悪ふざけに及ぶ親にとって娘がどれだけ大人になりどれだけ成功しても見えているのは転んで泣いている姿だったりする娘が社会的な立ち回りにしくじろうが一流企業を失職しようがそんなことより心を失って疲弊していることのほうが気がかりだったりするむしろ社会的に破滅させてまでもブーブークッションで笑ってくれた時代の心を取り戻してほしかったりする

土地の言葉をしゃべる痩せて日焼けした地元民が数カ国語を事務的に使い分ける肌の白いゴージャスな外国企業に食い物にされている父っつぁんは食い物にされる側で生きてきた自分の言葉でしかしゃべれない奇人変人だから一生貧しいそんな親を見て育った娘が食い物にする側で働いている父っつぁんの登場前にすでに娘は限界に近づいていたように見える転勤の希望は受け入れられない貧民の暮らしを超モダンなビルから見下ろす娘の死んだような目父っつぁんのせいで自殺したくなるみたいな台詞を聞かされて父っつぁんは部屋に無断侵入するほど心配するのだけれどもじつのところそれは父っつぁんのせいなどではなくあのままあの職場にいて心を失っていたらいずれ本当にそうなってしまいかねなかった父っつぁんは奇人変人だけれどもそこはやはり娘の父っつぁんを四十年やってきたからその気配を察してむりやりに介入する破滅上等そんな職場そんな男やめてしまえ何も持たず何にも責任を負わない変人は失う恐怖を知らないのだ

迷惑がりながらも娘は何かと父っつぁんを気にかける部屋から出ないでとひと言命じれば済むことなのに仕事に同行させるおかげで何もかもまるでうまくいかなくなるにもかかわらずいわゆる毒親的な重いし迷惑なのに言えない⋯⋯とかではなくなんだかそうするのが当然であるかのような態度かといって親子関係が逆転しているわけでもなくというか社会生活上はまさしくそうなのだけれどもそうじゃないかもと期待させるところがあるあるいは娘は心の奥底では父っつぁんを信頼したいのではないか押し殺して自分でも聞こえないふりをしてきた泣き声を聞きつけて駆けつけてくれるとおかしな入れ歯とおかしなカツラで笑わせてくれると実際どうなのかは知らないけれども少なくとも娘は結末であっさり転職して晴れやかな表情をしているしかも転職先もちゃっかり同じ職種で一流企業である)。 打ちひしがれた父っつぁんのために入れ歯を借りて真似なんかしてみせたりするしかしそれはそれで騙されたような腑に落ちない顔をしてもいる

異常な状況が極限までエスカレートした直後のこの父っつぁん死ぬんかと思わせてからの見せ方は映画のしめくくりにふさわしかった涙を見せない後ろ姿は娘と対になっている奇人変人と常識人であってもやはりどこか親子なのだしかしそうであってもこの父っつぁんふつうの人間には理解不能な惑星ソラリスのようにまったく異質な存在が本能の赴くまま行動しているだけなのでいい話だと思って共感したり感動したりするのはちょっと違う気がするこういう親をもった子どもは親に人間性を感じたかと思ったら錯覚だったり錯覚のように見えて意外に人間性があるようにも感じたりわかったようなわからないような戸惑いをずっと抱えて生きていく自分の血のなかのトニ・エルドマンを確かめるかのような結末のあのなんともいえない表情はだからこそなのだろう不思議な余韻が残った


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。