妄想中年日記

連載第110回: ありがとう、トニ・エルドマン

書いた人: 杜 昌彦, タグ:
2018.
01.12Fri

ありがとう、トニ・エルドマン

レンタルのボタンを押してから、ずいぶん長い映画だと気づき、おかしな人物が場にそぐわない行動をする話だとわかって、ADHD当事者としては笑えない話になりそうだな……とちょっと後悔したのだけれど、腰を据えて観はじめたら意外によかった。集中力に障害があるにもかかわらず長さを感じなかった。奇人変人の父っつぁんの奇矯な行動で、おかしな状況がどんどんエスカレートし、仕事人間の娘が追い詰められて神経症的になっていく。見知らぬ他人の家でやけっぱちになって熱唱するくだりとか、ついにぶち切れて社会的自殺に走り、いろいろとおかしなことになる山場なんか抱腹絶倒だった。車内の座る位置が逆転するとか、見せ方がちょくちょく巧い。ことさらに押しつけがましく煽り立てるのではなく、すっとぼけた態度で淡々と語っていくのが好ましかった。父っつぁんからして奇矯なふるまいを押しつけない。正当化もしない。ただ変人が変人らしくあるだけだ。

表面上はいかにも娘は父っつぁんのおかげでいろんなことがうまくいかなくなって、ついにぶち切れて社会的自殺に至るかに見える。でもああいう奇矯なふるまいを彼女も子どもの頃は楽しんでいたはずで、その時代の思い出があるから、大人になって見かけはまるで変わってもそのつながりはまだ残っていると信じて(錯覚して)いるから、父っつぁんは意味不明な悪ふざけに及ぶ。親にとって娘がどれだけ大人になりどれだけ成功しても、見えているのは転んで泣いている姿だったりする。娘が社会的な立ち回りにしくじろうが、一流企業を失職しようが、そんなことより心を失って疲弊していることのほうが気がかりだったりする。むしろ社会的に破滅させてまでも、ブーブークッションで笑ってくれた時代の心を取り戻してほしかったりする。

土地の言葉をしゃべる痩せて日焼けした地元民が、数カ国語を事務的に使い分ける肌の白いゴージャスな外国企業に食い物にされている。父っつぁんは食い物にされる側で生きてきた。自分の言葉でしかしゃべれない。奇人変人だから一生貧しい。そんな親を見て育った娘が、食い物にする側で働いている。父っつぁんの登場前にすでに娘は限界に近づいていたように見える。転勤の希望は受け入れられない。貧民の暮らしを超モダンなビルから見下ろす娘の死んだような目。父っつぁんのせいで自殺したくなる、みたいな台詞を聞かされて父っつぁんは部屋に無断侵入するほど心配するのだけれども、じつのところ、それは父っつぁんのせいなどではなく、あのままあの職場にいて心を失っていたら、いずれ本当にそうなってしまいかねなかった。父っつぁんは奇人変人だけれども、そこはやはり娘の父っつぁんを四十年やってきたから、その気配を察してむりやりに介入する。破滅上等、そんな職場そんな男やめてしまえ。何も持たず何にも責任を負わない変人は失う恐怖を知らないのだ。

迷惑がりながらも娘は何かと父っつぁんを気にかける。部屋から出ないでとひと言命じれば済むことなのに仕事に同行させる。おかげで何もかもまるでうまくいかなくなるにもかかわらず。いわゆる毒親的な「重いし迷惑なのに言えない……」とかではなく、なんだかそうするのが当然であるかのような態度。かといって親子関係が逆転しているわけでもなく、というか社会生活上はまさしくそうなのだけれども、そうじゃないかもと期待させるところがある。あるいは娘は心の奥底では父っつぁんを信頼したいのではないか。押し殺して自分でも聞こえないふりをしてきた泣き声を聞きつけて、駆けつけてくれると。おかしな入れ歯とおかしなカツラで笑わせてくれると。実際どうなのかは知らないけれども、少なくとも娘は結末であっさり転職して晴れやかな表情をしている(しかも転職先もちゃっかり同じ職種で一流企業である)。打ちひしがれた父っつぁんのために入れ歯を借りて真似なんかしてみせたりする。しかしそれはそれで騙されたような、腑に落ちない顔をしてもいる。

異常な状況が極限までエスカレートした直後の、この父っつぁん死ぬんかと思わせてからの見せ方は、映画のしめくくりにふさわしかった。涙を見せない後ろ姿は娘と対になっている。奇人変人と常識人であってもやはりどこか親子なのだ。しかしそうであってもこの父っつぁん、ふつうの人間には理解不能な、惑星ソラリスのようにまったく異質な存在が本能の赴くまま行動しているだけなので、いい話だと思って共感したり感動したりするのはちょっと違う気がする。こういう親をもった子どもは、親に人間性を感じたかと思ったら錯覚だったり、錯覚のように見えて意外に人間性があるようにも感じたり、わかったようなわからないような戸惑いを、ずっと抱えて生きていく。自分の血のなかのトニ・エルドマンを確かめるかのような、結末のあのなんともいえない表情は、だからこそなのだろう。不思議な余韻が残った。


杜 昌彦

(Masahiko Mori, 1975年6月18日 -)著者、出版者。作風はアヴァン・ポップ、スリップストリーム、スペキュレイティブ・フィクションに分類される。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。