男たちが押しつける理不尽な社会で女たちがしぶとく闘う話。 ナボコフがそうしたようにひとつの言葉に複数の意味をもたせる書き方がされている。 東と西、 女と男、 灰色の世界がずっとつづいて、 ちょうど半分まで読みすすめると恋愛の話になり、 ぱっと色鮮やかになる。 その色が赤であるところがまた皮肉。 残りもののボルシチを温めなおして待つ母親、 とか、 わずかな言葉で豊かなイメージを伝える文章がいい。 高学歴で専門知識があるのにタイピストをさせられている女たちの会話に真実味があって、 こういうのは男性作家にはなかなか書けないのではないか。 本書で描写される男たちは孤独なただひとりを除いてだれもかれもが身勝手だ。 唯一の例外である善人さえもが、 男であるがゆえに女たちの孤独に寄り添えない。 友人が次々に連行される気持がわかるかと、 実際に連行された側の女をなじる作家は、 女をそのような目に遭わせたまさにその張本人だ。 愛してくれる女が二度も投獄されるとわかっていれば、 たとえ十年を費やした生涯最高傑作であれどうして出版できようか。 目の前のただひとりさえもまともに見ない人間の言葉になど何の価値もない。 わたし自身はボリス・カーロフ演ずる怪物のように恋愛から疎外されていて、 だれからも愛されないし、 それゆえ愛する権利もない。 だから虚構であれ現実であれ、 愛の物語には共感できない。 ところがあの映画が暗示したのとおなじ迫害を扱うからか、 本書で語られる愛に疎外感はおぼえなかった。 それは圧倒的な孤独だ。 「わたし」 を知ろうともしない他人が、 「わたし」 がどうあるべきかを勝手に決める世界では、 恋愛さえもが 「わたし」 を冷たい絶望に追いやる。 愛する者を含む 「社会」 に人生を踏みにじられながら、 それでも 「わたし」 を棄てないしぶとさ。 それはけっしてよくある孤独の否定、 「絆」 の押しつけなどではなく、 ひとりひとりの 「わたし」 の孤独を尊重するものであり、 それはとりもなおさず読書の本質でもある。 そういう意味で、 想像の余地を残したあの結末は嬉しかった。 男社会によって自分自身であることを禁じられ、 男たちが決めた役割を演じさせられて、 それでも心の奥底では女たちは自分自身であることをやめなかった。 自分自身でありつづけることがひとを強くするのだ。
ASIN: B085VDGYRL
あの本は読まれているか
by: ラーラ・プレスコット
一冊の小説が世界を変える。それを、証明しなければ。冷戦下、CIAの女性たちがある小説を武器に超大国ソ連と戦う! 本国で出版契約金200万ドル(約2億円)のデビュー作。2020年海外ミステリ最高の話題作!! 冷戦下のアメリカ。ロシア移民の娘であるイリーナは、CIAにタイピストとして雇われるが、実はスパイの才能を見こまれており、訓練を受けてある特殊作戦に抜擢される。その作戦の目的は、反体制的だと見なされ、共産圏で禁書となっているボリス・パステルナークの小説『ドクトル・ジバゴ』をソ連国民の手に渡し、言論統制や検閲で迫害をおこなっているソ連の現状を知らしめることだった。──そう、文学の力で人々の意識を、そして世界を変えるのだ。一冊の小説を武器とし、危険な極秘任務に挑む女性たちを描く話題沸騰の傑作エンターテインメント!
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書かせてやったのは誰?
読んだ人:杜 昌彦
(2020年05月17日)
(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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