戦時下のディテールや陰鬱な空気は清水訳がリアルでしたし、 調子がおかしくなった世の中で変わり者の探偵が活き活きと駆けまわる小実昌訳も好みでした。 それらの旧訳でくりかえし親しんでいた作品だったので、 いまさら⋯⋯という気もしましたが、 結論をいえば読んでよかった。 笑いを意図した箇所がより笑えるように訳されているんです。 涙に暮れて打ち解けたり真っ赤になって敵意を剥き出したり、 をくりかえす頭の弱い大男のくだりとかね。 あれ清水訳では伝わりにくかった。 チャンドラーはすっとぼけた喜劇が魅力なので、 そこを拾ってもらえたのは素直に嬉しかったです。
村上訳でよかったのは 『長いお別れ』 ですね。 清水訳で二十回読んでようやくわかることが一度で伝わるいい訳でした。 『さらば愛しき女よ』、 これも同じように感じました。 『大いなる眠り』 は双葉訳がなにしろグレープフルーツに 「ざぼんの類」 と注釈がつく時代でしたし、 探偵と将軍が男子校ノリでわかりあっちゃうくだりも、 村上訳のほうがわかりやすかったように思います。 『プレイバック』 も意外によかったんですよ。 思ったよりちゃんと書かれていたんだなという感じで、 失敗作と見なされているあの本の名誉回復になったんじゃないかと思います。 『高い窓』 は微妙でしたね⋯⋯旧訳とあまり変わりませんでした。 ディケンズ風の人物観察や皮肉は、 むしろ清水訳のほうが伝わりやすかったような。
あきらかに見劣りしたのは 『かわいい女』 だけでした。 ハリウッドへの愛憎と辛辣な皮肉が、 字幕翻訳家の清水さんによる訳と違っていまいち伝わらない。 加えてチャンドラーの描く女性像に対して、 どうもピントがずれた捉え方をしているような⋯⋯。 圧倒的な男性優位の社会でどうにもならない人生を、 他人を騙して生き抜こうとする若い女やら、 ちょうどディックが 『戦争が終り、 世界の終りが始まった』 で描いたような、 他人をふりまわして不幸にする人格やらを、 「彼の前をしゃなりしゃなりと横切って」 とか、 そんなふうに読んでいる。 どの本でもそうですが 『かわいい女』 がいちばんひどい。 とはいえ、 きょうだいの歳の上下が訂正されていたりとか、 そういうところは現代的な翻訳だなと思いました。
翻訳のことばかり書いてしまいました。 内容の感想にも触れておきます。 三十年前に読んだときは、 あまりにあんまりな大ネタを、 あまりに直球で放り出してあるので、 この変ないいまわしにこだわる探偵はかまととぶっているのか、 それとも本気で騙されているのかと、 ひどく混乱した記憶があります。 ロス・マクドナルドはどうしてこのネタに取り憑かれたのかな⋯⋯。
一時期は熱心なファンといっていいほどチャンドラーを愛読していたんです。 そういう人間として、 これからチャンドラーを読む若い方には村上訳をお薦めします。 長いあいだ愛されてきた清水訳への批判をふまえて、 よく調べよく考えて訳されていますから。 村上さんはハードボイルドは賞味期限切れじゃないかみたいなことを書かれていますけれども、 そうは思いません。 ハードボイルドは文体です。 悲劇的な喜劇、 喜劇的な悲劇を描くのに適した、 ひねくれたユーモア表現なんです。 チャンドラーは生涯子どもを持たず、 アメリカ人ともイギリス人ともカナダ人ともつかない視点から、 カリフォルニア地方の暮らしを描きました。 そのような作家であるがゆえに、 彼の言葉は 2018 年のいまも現代的に感じられますし、 すっとぼけたユーモアの文体はよくも悪くも、 いまだ前衛でありつづけています。 彼の人間へのまなざしに若い世代が触れることが嬉しいです。 新しい翻訳でそうした機会をくれた村上さんに感謝します。