お薦め!
ルージン・ディフェンス 密偵
ASIN: 4105056085

ルージン・ディフェンス 密偵

至高のチェス小説、究極の視点人物。精緻で奇想的なナボコフ世界へ。自ら愛好するチェスへの情熱と構成美を詰め込み、不死鳥のように甦った偉大なロシア文学と賞賛された傑作長篇「ルージン・ディフェンス」。謎に満ちた視点の語りが驚きをもたらす、ハードボイルドな味わいの中篇「密偵」。1930年代、ナボコフ30代はじめに発表された革新的な傑作2篇を、初のロシア語原典訳で収録。


¥4,400
新潮社 2018年, 単行本 375頁
※価格はこのページが表示された時点での価格であり、変更される場合があります。商品の販売においては、購入の時点で Amazon.co.jp に表示されている価格の情報が適用されます。

傑作とアイディアものの抱き合わせ

読んだ人:杜 昌彦

ルージン・ディフェンス 密偵

ルージン・ディフェンスはすごい小説だったさながらどの駒のどんなふるまいにも盤上の意味があるように登場人物はほんの端役さえ活き活きと描写される令嬢の母親だけが物事を的確に見定めてふたりの行く末を案じるがその夫はといえば娘の身勝手に呑気に流されるだけ主人公の病的な不器用発達性協調運動障害や強迫傾向社会的な無頓着妻に対してさえ杓子定規に敬語を用いる異様さそれに何もかもがチェス盤に見えてくる過集中の描写は臨床的に正確だ余談だが満州から引き上げて家族を筆一本で養っていたちばてつやは母親の言葉に救われるまで何もかもが漫画のコマに見えたそうでまったく関係のないその逸話を連想した)。 しかし彼は小説的に理想化された存在であって傲慢さや虫のいい自己愛はもたないただ純粋な子どものように不器用で都合のいいことにサヴァンによって得られた金それほど多くはないようだがと社会的地位まで備えている金持の令嬢が風変わりな玩具を気まぐれで手に入れるようにして結婚したのはその流儀を支配可能なものと見なしたからだそれでいながらあるいはだからこそ彼女は彼が彼であるゆえんを見ずに一過性の病のように軽んじ健常者としての体裁を彼に要求した方や人間に満たないものとして利用しつつまた一方では人並みの社会性を要求したトーナメントが終われば夫がまともになるだろうと高をくくる彼女はいずれは飽きた玩具を放り出していたろうがしかしあるいは逆にそれ見たことかと指をさされ陰口をきかれるのが我慢ならず虚勢を張って失敗を認められずにいるうちに夫婦共々もっとひどい地獄へ至っていたかもしれないそう考えると利用されるばかりでだれにも愛されなかった主人公は独自の流儀で妻を愛していたのだろう詰んだゲームを自らの意思で降りることで幸福の幻影が醜く歪むのを見ずに済んだのだあたたかい作品と著者自らが呼んだのが理解できるような気がした人生の伏線や構成をチェスに喩えるやり方はわざわざ解説されなくてもと思ったけれど自分の性質を主人公に投影していると著者が認めたのは驚きだった普通はそこをいちばんに否定するだろうに

一方密偵にはそれほど感心させられなかったうまい小説だとは思ったし鏡像がひとつに溶け合う描写は淡い焰の原型のようで感慨深かったし乖離性障害が知られていないはずの時代にこのような小説が書かれた事実は著者がルージンに気質を投影したと認めたことを思い起こさせたしハメットが同じく 1930 年にマルタの鷹でまさしく乖離性遁走を扱っていてオースターや佐藤正午がよくネタにするフリッツクラフトの挿話)、 興味深い一致を感じたりもしたしかしおそらくこの作品を踏まえて書かれたであろうディックスキャナー・ダークリーヴァリスのほうがこのアイディアを魂をえぐるような必然性をもって執拗に突き詰めて描いておりあれだけエモーショナルな傑作を先に読んでしまうと物足りないというかだからなんだという気がしてしまうのは否めないナボコフ自身が述懐するように当時の亡命ロシア人社会を知らなければ空気や皮膚感覚のようなものまでは理解できずそれが読みとれなければわからない話なのかもしれない

(2019年01月24日)

(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
ぼっち広告

AUTHOR


ウラジーミル・ナボコフ
1899年4月22日 - 1977年7月2日

帝政ロシアで生まれ、欧州と米国で活動した作家・詩人。米国文学史上では亡命文学の代表格の一人。自作の翻訳も手がけ、大小を問わず改作を多く行ったのみならず、その過程で新たに生まれた作品も存在する。