戸田 鳥

オードトワレ

連載第6回: 獅子唐

戸田 鳥書いた人: 戸田 鳥, 投稿日時: 2019.04.09

 飯塚に連れられてきたのは、駅から少し歩いた和風の居酒屋だった。テーブルが広く席と席との仕切りも高い。混んでいても落ち着ける店だった。「お疲れ様」と形式的な乾杯をして、飯塚は写真を広げた。どれも叔母が写っているもので、そのうちの何枚かは冬花にも見覚えがあった。会社の制服姿と、大勢で映っている社員旅行の写真。誰かの後ろだったり、斜めを向いていたりで、それらは遺影向きではなかったのだった。
 最後の二枚に冬花は目を落とした。私服でカメラに向かってほほ笑む咲子。髪の長さから、五、六年前の写真だとわかる。もう一枚も同じ頃の叔母だと思われた。めずらしくおしゃれをして歯を見せて笑っている。これを遺影にしたかった。
「いい写真ですね」
「それは展覧会か何かに出かけた時のです。ずいぶん前ですが」
 飯塚の説明は、詳細に語ることをどこか避けているように感じられた。
 メニューは冬花の好みだったが、口にしてもまるで味がわからなかった。カメラを構える飯塚の姿が意識の裏側に貼りついている。料理を流しこむようにビールを飲んでいたので、飯塚に心配された。
「アルコールに強い家系なので、平気です」
 明るく答えて、熱燗を注文した。アルコールでリラックスしたいというつもりもあったが、冷房が寒かったのだ。
 飯塚はくすりと笑った。
「咲さんはあまり飲めなかったですけどね」
 そういえば咲子の部屋で食事をすることはあっても、缶ビール程度しか飲まなかった。酒が好きではなかったのだろう。
「酔っても顔に出ない人だからつい飲ませすぎて、帰りに足がふらついて歩けないなんてこともありました」
「あの。飯塚さんは」
 勢いで聞けるのは今しかない。
「叔母とお付き合いされていたんでしょうか」
 飯塚の眉が上がった。適切な言い方が思いつかない。
「その、仕事以外でというか」
「男女として?」
 飯塚はずばりと言った。冬花は遠慮がちに頷いた。
「違いますよ。でも仲は良かったです」
 飯塚は穏やかに答えた。
「僕が結婚していたときも夫婦で一緒に会ったりしてました。もう別れましたが」
 思わぬ情報に言葉が繋げられず、
「そうですか」とだけ冬花は言って、猪口を口に運んだ。酒の熱が一気に体にまわったようだった。耳が熱い。顔じゅうが真っ赤になっているに違いない。アルコールに強いなどと言うのではなかった。
「すみません、変なこと聞いて」
「いやいや」
 決まりの悪いところに揚げ物が運ばれてきたので、冬花はししとうの天ぷらに手を伸ばした。パリッとした衣を噛み砕くと、刺激が口じゅうに広がった。
「辛い」
 涙目になった冬花に飯塚は吹きだした。
「そんなに辛いですか」
と、冬花の残した残りをひょいと口に放り込んだ。飯塚の腕が近づいたとき、ふわりと香水が匂った。
「辛いですけど、泣くほどではない」
 飯塚は可笑しくてたまらないようだった。「酒には強くても辛味には弱いんですね」
 冬花も涙を拭きながら笑ってみせた。

 

 冬花は飲むとかえって目が冴えるたちだったが、この夜もなかなか寝付けなかった。
 居酒屋で交わした言葉で頭がいっぱいで、ぐるぐると同じシーンを反芻していた。明日も仕事なのだから、と想念を断ち切って目を閉じても興奮は冷めない。
 諦めて水を飲みに立ったとき、机に置いたままの写真が目に入った。話しかけられているような気がして咲子の写真に向かう。写真の叔母と目を合わせ、そうじゃなかった、と気付く。叔母の笑顔はここにいない飯塚に向けられたものなのだ。
 冬花は答えを得たと思った。叔母の香水を手に取り空中にひと吹きすると、爽やかな甘さが部屋に漂った。冬花は青い香気を吸いこみ、この匂いをまとったひとを思った。ひとりの夜、叔母はそのひとを偲ぶためにこの香水を持っていたのではないだろうか。
 ちょうどこうして、いま冬花がしているように。


学生時代より児童文学を学ぶ。長い休みをはさみつつ創作を続け、2014年より、Webサイト「note」にて作品を公開。代表作に『きゅーのつれづれ』『手品師の弟子』『にんぎょばなし』など。2019年現在『鳥の国のはなし』を連載中。愛読書はダイアン・セッターフィールド『13番目の物語』、谷崎潤一郎『細雪』。好きな作家は小林信彦、庄野英二、イタロ・カルヴィーノ。
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