代表作の続編であるからには直しておいたほうがいいだろうな、 くらいの軽い気持で改稿に手をつけました。 作業を終えてから気分の落ち込みがひどく自分でも驚きました。 過去作の改修からはしばらく遠ざかろうと思います。
ひとがつらい経験を誰にも話せないのは知られたくないからではありません。 愛してくれるひと、 信頼できるひとがいないひともいます。 自殺が多くの他人を傷つける暴力であるのは事実です。 ですが死ぬときに他人の都合など考える余裕はありません。 つらい気持は一生つづきます。 それが人生です。 たしかにひとは苦しみを負わねばならない。 でもそれをひとの人生に押しつけることにだれも責任はとれません。
世間で正しいとされるものしか好きになってはいけない世の中は、 息苦しいです。 本も、 ひともそうです。 自分を好きになれたら、 たぶん、 大概の生きづらさは解消されるのでしょうけれど、 社会的に不適切なものにはあいにく、 好意的に解釈する余地がありません。 向いている (あるいは存在を赦される) 場所へ行くよう勧める意見がありますが、 そんな場所があるのは有能なひとだけです。 だからせめて好きな本だけでも赦されたい。
わたしの読み方は 「世間に嗤われる、 淘汰される」 とあるひとにいわれました。 いまの世の中は読書にまで社会的な能力が求められているような気がします。 そういうものと対極の何かをわたしは読書の理想として見ます。 さまざまな価値観のさまざまな本が、 それぞれの読者にとって、 そのひとだけの大切な意味をもつのが理想です。 そのような読み方をする自由が広く認められるといいな、 といつも願っています。
読むこと、 書くことはそもそもがいたって個人的なことで、 突き詰めれば、 世の中からは赦されないものなのかもしれません。 世の中は 「そのひとだけの事情」 に寛大ではありませんから。 心のなかだけでも自由であっていい。 その自由を心の外へ引きずり出して、 広く社会に認めさせるのが出版です。 臆病にはなりたくないな、 と思います。