杜 昌彦

D.I.Y.出版日誌

連載第65回: 未来を花束にして(サフラジェット)

杜 昌彦書いた人: 杜 昌彦, タグ:
2017.
08.01Tue

未来を花束にして(サフラジェット)

映画『未来を花束にして』を観た。傑作。前半はおれが経験してきたことと重なってつらかった。過激派に取り込まれていく後半は、いま男たちに騙されて腹に爆弾を巻く紛争国の女たちもまたあのような心境なのかもしれないと思った。ごくあたりまえの権利がつい最近まで認められておらず、いまでも人権というものがこの国でもまともに理解されていないことを思った。だいたい内容を否定するような邦題がつけられることからしてこの国は人権意識がどうなのかなという気がする。

ただテロ活動が女性の参政権獲得のための貴い犠牲であったかのような描き方は微妙に違和感がある。あるいはそういう側面もあったかもしれないし、逆に世間の反撥を招いて実現を遅らせたかもしれない。そんなことはわからない。目的が正しければどんな手段でも正当化されるとは思えない。暴力は暴力でしかない。そんな方法しかなかったといわれたらそうかもしれないと答えるけれども、でも納得はできない。

主人公が過去の自分とおなじ目に遭っている子どもを救い出したのがよかった。それがひとりのふつうの人間にやれる範囲のせいいっぱいだったろうし、それ自体は何の役にも立たないように思えても、ひとりのふつうの人間にやれる範囲のせいいっぱい、の積み重ねが物事を変えていくのだと思う。そう信じなければやってられない。

主人公はおそらく性的虐待によって生まれた子どもで、大人になるまでおなじ目にあいつづけて、職場でおなじ目にあう子どもを目の当たりにしてもどうすることもできない。そういう状況に犯罪者やテロ集団はつけこむわけで、実現しようとしていたことが現代の価値観から見てたまたま普遍的であったから立派な行いだったかに見えるけれども、でもおれには彼女らが、顔に黒い布を、腹に爆弾を巻いて大国の軍隊にあっけなく射殺される異国の女たちと、状況はそう変わらないように見える。

あのひとたちにだって、そのような行動に出るのも無理はないほどの状況があるのだと思う。かといってショッピングモールで休日を楽しむ家族を爆殺していいことにはならない。だれにだってそれぞれの人生がある。そうでもしなければこの地獄に目を向けてもらえない、といわれたら、確かにそうかもしれないけれども、そんなことをしてだれが幸せになるんだよ。

この映画ではやがて女性が参政権を手にした。それはだれが見ても確かにいいことだ。でもそれは本当にテロ行為のおかげなのか。参政権が実現したって主人公の家庭も人生も壊れたままじゃないか。サフラジェットと現代のテロとの大きな違いは、後者にはあきらかに暴力で喰っている男たちがいて、諍いや争いがなくなればそいつらが困る、ということだ。だからまったくおなじようには考えられないだろうけれども。

制作者がどういう考えかはわからないけれども、おれはこの映画を、ひどい状況におかれた人間が破滅にむかう犯罪映画であるかのように観たよ。


(もり まさひこ、1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、藤井太洋氏、十市社氏らによる指導を受けた『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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