D.I.Y.出版日誌

連載第23回: 人生のわかりにくい事情

アバター画像書いた人: 杜 昌彦
2017.
01.11Wed

人生のわかりにくい事情

既存のわかりやすいニーズに応えるばかりが出版なのかと疑問を投げかける記事にうっかり賛同したらマーケティングの専門教育を受けたジャーナリストの方からお叱りを受けました笑いものにされ淘汰されると指を突きつけられそうでない価値が世にあるのなら見せてほしいといわれました目に見えるものばかりではないという記事でしたしまさにそのことに共感したので見せろといわれたら窮します

ひとにはそれぞれのわかりにくい事情がありそれを書くのが小説だと信じていましたしかし現代では小説を書く人間そのものが他人がそれぞれ事情をもつことを許さないような単純でわかりやすいものの見方をしなければならないようです正しさが逸脱を裁く出版が小説がそのようなものに成り果てたことを知りとても哀しくがっかりしました

ピーター・ケアリーイリワッカーをようやく読み終えました自分にとっていちばん大切な本なのにまだ三度しか読んでいません。 『長いお別れは清水訳だけで二十回は読み返したんですけれどね三十年前に書かれ二十年前に翻訳出版された本ですけれど複雑なそれぞれの事情が、 「それが人間であるというようにそのまま書かれていましたもっといろんなことが書かれていたのですがオーストラリアの歴史とか風刺とかそれもとびきり滑稽めかして)、 とにかく単純ではなかったいろんなものを抱えたいろんな人間がいることが書かれていました

いろんな人間がいてはいけない世の中はしんどいそりゃまぁ正しいとされる人間になれたらみんなおんなじ人間になれたらだれだって楽でしょうけれどでもそのような人生ばかりではないやむにやまれずどうしようもなく逸脱してしまうものですそれがあってはならないと断罪されたらひとそれぞれの事情なんて世に存在しないかのように裁かれたらそれはつらいなと思いますだからこそ心の拠り所がほしいだれもが口にするような言葉で難じてくる権威者ではなくそっと寄り添ってくれる弱いもの信じられるものが

正しさに弱みを笑いものにされ、 「淘汰されてだれが抗えるでしょうわかりやすいから売れるから正しいのだそうでないものは笑いものにされ淘汰されることで価値のないもの許されないものだと社会的に証明されたのだ立派な職業の学のある方からそう難じられたらまぁそうでしょうねとお愛想笑いをするよりほかありませんわかりやすい正しさは力ですだれにも否定できません

本が言葉があらかじめ祝福された人生のためだけにあるとは思いたくありませんたしかに既存のわかりやすいニーズに応える小説があってもいいでしょうそれが多数派として力をふるうのは当然ですけれども一部にはわかりにくい事情ややむにやまれぬ逸脱笑いものにされ淘汰される人生に寄り添う小説があってもいいどんなに笑われ淘汰されてもそう信じたいです

それぞれの事情それぞれの人生があるものだとピーター・ケアリーやジョン・アーヴィングは教えてくれましたピンチョンはさらにそれぞれのありようを社会は許さないけれど小説は何を書いてもいい言葉でだけはどんなにめちゃくちゃな逸脱だってなんでもありなんだという姿を見せてくれました人生が既存のニーズに応えてくれるのなら逸脱を断罪するのもいいでしょう残念ながらそうではないヴォネガットならいうでしょう”So it goes.”⋯⋯と


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。

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