このところずっと若い頃に読んだ本を読みかえしている。 記憶に裏切られ、 あの若造ちっとも読めちゃいなかったなと思わされるのは毎度のことで、 この本についても 「肝心のドレスデン爆撃の描写がほとんどない」 との感想には、 いやいやおまえほんとうに読んだのかよ、 老人と子どもといった売れ残りみたいな監視役と百人の部隊で地下の食肉貯蔵庫にいて助かって、 翌日に炎の嵐が収まるまで待って地上に出て、 田舎で生まれ育って人生ではじめて見た美しい都会が黒い月面のような焦土と化していて、 焼け跡を掘り返して丸太みたいに焦げて縮かんだ屍体を片づけさせられる描写がちゃんとあるじゃないか、 音も熱も臭いも書き込まれているだろうがよと過去の自分に腹が立ったが、 一方で、 その不信感が向かう先は当時のおればかりではなかった。 戦争はすべての人間から個性を奪うものだからあえて性格描写をしないのだ、 との弁解には、 いやあんたどの本でもそうじゃないの (ピンチョンでいえば 『ブリーディング・エッジ』 みたいに普通の書き方がされている 『ホーカス・ポーカス』 を除いて⋯⋯といいたいところだけれど、 その印象にしても当時のおれの読解力はあてにならない、 いずれ読みかえす必要があるだろう)、 たしかに無残な人生と距離を置くための必然ではあるにせよ、 そのいいぐさは不誠実だとまず思ったし、 ドレスデンが古い歴史をもつ美しい都市であったのは事実であるにせよ、 まったくの非武装都市とのふれこみは疑わしいし、 どちらの側も人間だと訴えたいのはわかるけれども、 ナチス政権下のドイツ人が兵隊も含め、 あまりに罪のない普通の人間として都合よく誇張されすぎていて、 たとえば空爆後のドレスデン市民が米国人捕虜に親切すぎ、 あんな目にあわされていながら石を投げる描写すらないし、 戦闘を勇ましく美化しないためとはいえ、 飢えや寒さや疲労や病気が克明に記される一方で (おなじ扱いを自軍に対してまでやったあげく、 昆虫の手脚をもいで観察する小学生よろしく、 海水を 「輸血」 したらどうなるか捕虜に試したりしたわが国との差を思わされた)、 捕虜となる前に何を行ったか、 解放後の略奪以外には罪らしきものがほとんど描写も言及もされないのは、 空爆や引き上げや抑留や焼け跡や飢餓や病気といった被害体験ばかり語っておきながら、 加害については言葉を濁すわが国の戦後教育と大差ない欺瞞に感じられた。 四半世紀前は描写がそっけないことも、 加害への言及の欠如も、 単につらすぎて書けなかったのだろうと同情的に考えたけれども、 これはどうも違うんじゃないか、 と作家と同年齢になったおれは思う。 ドイツ系米国人としてドイツ人を殺すことを求められドイツの捕虜となり米軍の空爆で地獄を見た (作中でも捕虜と監視役の子どもが遠い従兄弟同士だと語られる) 作家にとって、 向き合いようがない経験だったにちがいない⋯⋯それはそうだろう、 だからこそのあの文体だ、 でもだからといってその欺瞞が免罪されるとは思わない。 その欺瞞ですら保守的な米国人には受け入れられず、 公共図書館や教育の場から排斥される事実には暗澹たる気分にさせられる。 そして欺瞞ということでいえば、 わが国が敗戦後わずかな期間で復興できたのは隣国の戦争で儲けたからだし、 これまで戦火を免れてこられたのも他者を踏み台や傘にしたおかげなのであって、 その意味ではおれだって当事者といえる。 結末近く、 実際には経験してもいないドレスデン爆撃についてご立派な本を書く高齢の大学教授は、 知能指数こそ平均でありながら教育に恵まれず文字を読めない幼妻に、 あたかも性別や年齢や学歴や職業の差が価値であるかのように威張り散らし、 弱い人間は淘汰されるべきだ云々、 と相模原障害者施設殺傷事件の犯人さながらの価値観をふりかざして、 すぐ横にいる現実の生存者を見下して認めようとしない。 いっぽう墜落事故による脳損傷あるいは PTSD ゆえに乖離障害に陥り、 記憶と現在を行き来する主人公は、 ポルノショップで見た女優や三文 SF 小説とともに、 妄想の未来でその夫婦の権力勾配を模倣することで、 ポジティヴな現実逃避として暗いこの物語に救いをもたらそうとする。 それを物語上の救いとして機能させる作家の発想そのものが、 他人の頭上に爆弾を降らせたり、 家や持ち物を奪ったりするのと同様のふるまいにおれには感じられる⋯⋯しかしそうした欺瞞を責められるかと問われたら結局のところ、 そこにいなかったおれにそんな権利はないと答えるざるをえないのだ。
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スローターハウス5
by: カート・ヴォネガット
主人公ビリーが経験する、けいれん的時間旅行! ドレスデン一九四五年、トラルファマドール星動物園、ニューヨーク一九五五年、ニュー・シカゴ一九七六年……断片的人生を発作的に繰り返しつつ明らかにされる歴史のアイロニー。鬼才がSFの持つ特色をあますところなく使って、活写する不条理な世界の鳥瞰図!
¥990
早川書房 1978年, 文庫 296頁
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そういうものじゃない
読んだ人:杜 昌彦
(2023年11月19日)
(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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