杜 昌彦

GONZO

第23話: セイレーンの唄

杜 昌彦書いた人: 杜 昌彦, 投稿日時: 2021.03.01

子どもや若者は噂や都市伝説を好み筋が通っていようがいまいが信じたいものを信じる七十年代末に学習塾に通っていた小学生が口裂け女に夢中だったのと同様に同世代ならフォローすると死神に狙われるアカウントを憶えているはずだ耳にしたかぎりでも無数の亜種がありもっとも知られたバージョンは暗い抽象画が投稿されるだけのボットでフォロワーすら碌にいない無名アカウントなのだがフォローして絵を眺めているとやがて死神が背後に忍び寄り大鎌で首を刈られるという内容だった突然変異をくり返しながら増殖し感染力を強めるのが噂というものですでに述べたように闇バイトもまたその派生版であり着想の元となったと思しき当時流行の犯罪で主な標的とされたのは困窮した若者やパート先を喪った女性ばかりであって遠隔授業のため知り合う機会のなかった大学の同級生が違法な薬物の取引に関与して逮捕されたのを報道で知った経験がわたしにもある
 これから語る挿話では黒ローブの骸骨も大鎌も登場せぬ代わり黒スーツのデブ中年や黒ドレスの美少年やらが銃やらナイフやらを手に画面から飛び出してフォロワーの生命を奪うのだが荒唐無稽なこの手の噂をあの一連の事件と結びつけた噂なり物語フィクションなりは寡聞にして知らないしかし閉塞した当時の空気を伝えるにふさわしく思えるし誘拐された姫川尊とその家庭教師にして加害者の二人組に関われば何者も死を免れ得なかったのも周知の通りでありさらにはくだんの大鎌が我らが主人公の手に握られたとしても無理からぬほど超自然的な力が世間に肯われるのもまた事実だストーカーであり虐待者であった作家デヴィッド・フォスター・ウォレスの代表作底なしの悪ふざけインフィニット・ジェストでは顔をベールで覆った薬物中毒者が男が狂うのはセイレーンの唄のごとき美貌のせいだとの内在化された妄想を語るし巨匠ルキノ・ヴィスコンティが十代の役者ビョルン・アンドレセンを公然と搾取し貶めたのは若き性にあたかも魔術的な価値があるかのような理屈においてだった高名な芸術家らの搾取が批難される現代においてさえも姫川尊に対しては美貌が事件を招いたのだとだれもが平然と公言して憚らない。 「落ち度がかくも現実を歪める力を有するのであればミコトとゴンゾの神話において何が起きても不思議ではなかろう
 る美貌が複製され撒き散らされ識閾下の感染を拡大する一方で梶元権蔵は教団によって与えられたその名前どころか肥満したその容姿もましてや中折れ帽やビートルブーツ蟹目のサングラスに三つボタンスーツといった黒ずくめの風体も報じられ世間に知られることは一切なかった二度の戦闘を経ながら警察が犯人像を把握しておらぬとすれば不自然でなんらかの圧力で情報が統制されたとしか思えぬのだが事実彼はお気に入りのその格好で堂々と世間を闊歩していたのであり姫川尊が地方都市のアパートの一室で絵を描きながら寝起きしていた同時期に大量殺人犯にして誘拐犯の家庭教師は警察が血眼になって追う秘密がなんなのか人質の脳に何が隠されているのかを調べていたのであるそこで行き着いたのがくだんの噂であった
 何十年ものあいだ客の出入りを目撃されたためしのない何を売るのかさえ判然とせずいかにして商売を成り立たせているのか不可解な古く汚い陰気な店というのがどの街にもあるものだが陰気な霧雨の降るこの日ゴンゾが訪れたのもそんな店だった朽ちかけた木材とブリキ板とビニールシートとトタン波板でつくられた昭和二十年代の名残と思しきバラックめいた建物で小溝商會なる看板が掲げられており狭く暗い店内には電子部品のようなものが雑然と積まれその大半は九年前に崩れてから放置されているかに見えた元は事務所として機能していたであろう穴倉のような奥の暗がりで鼠めいた容姿の垢じみたスウェット上下の男が画面に丸眼鏡を近づけ小柄な背中を丸めて打鍵しながら珍しく連絡してきたかと思ったらこいつぁまた厄介なもの持ち込んでくれたなと振り向きもせずにダミ声で不平を述べた無精ひげを隠しきれぬのは政府に配布されたガーゼマスクが小さすぎるからだまぁそういうなよ金はたんまり払うからさとゴンゾはその背後で薄笑いを浮かべた黒ずくめの彼もまた暗がりに溶け込んでいてふたりの顔だけがZライトと青白い画面に浮かび上がっている
死のアカウント
はあ?
知ってて仕事を寄越したんじゃないのか
世間の流行にゃ疎くてな知らないからあんたに頼むんだよ有名なのか
有名も何も……見てみろこのフォロワーあんたの人質の絵にいいねしたのを最後に先月から投稿がない
だれの絵だともいってない人聞きの悪いことをいうなよまるでおれが姫川事件の犯人みたいに……それがどうした
 鼠男の機械油で黒く汚れた指が血の色のトラックボールを弾いた湾曲した巨大な横長モニタにソーシャルメディアの画面が流れるどうということのないありふれた風景写真に行き着いて停まった削除されていると謳われながらも実際にはサーバに保存されている付帯情報が吹き出しで表示され写真が拡大され別窓が開き画像検索にかけられる華やかな暮らしぶりを実名で自慢し合うソーシャルメディアが該当した二枚の画像が寸分の違いもなく重ね合わされる位置情報もプロフィールと一致した
どうしてこうすぐ身バレするようなことをやるのかねぇ鼠男は世を嘆くように首を振った。 「教育がなってないどうか盗んでくださいといわんばかりだ
 客を騙す演出をこの自分にまでやって見せたことにゴンゾは呆れた映画でしか耳にしたことのないチリチリビョッという効果音やわざとらしい打鍵がいかにも怪しかったビンゴといわないのかと問い詰めたかった。 「楽に稼げて結構じゃないかまだこんなのを飲んでるのか小溝サーバ棚の下にある薄汚れた小型冷蔵庫を覗き込みドクターペッパーの列に顔をしかめた
その名前で呼ぶなよまだ床下に埋まってるんだからさその上の座敷で生活する者の身にもなってみろ一本やるからあんたのをくれ
ちゃんと煮るなり漂白するなりしないからそんなことになるゴンゾは懐から錫製のスキットルを出して鼠男に手渡し片手で好きでもない砂糖水の缶をあけた。 「もったいぶらずに結論だけ教えろこっちは老い先短いんだ
 鼠男は酒をぐいっと煽って手の甲で口許を拭い蓋を閉めてスキットルを持主に返した。 「顔本のアカウントも同じ日付で停まってる住所と名前で検索するとこれが出る打鍵して交通事故の記事を表示した。 「ご丁寧に顔写真まで晒して……最後の投稿には知人友人のお悔やみが大量にぶら下がってる大した人気者だななんでこんな暗い絵に関心を持ったんだか
心の闇って奴だろつまらねえもんに吸い込まれるんだよふらふらっとな若者や飲食店経営者には増えてるらしいぜ
ワイドショーの見過ぎだよつまらないかどうか決めるのは早すぎるねこいつを見ろ鼠男は死のアカウントに投稿された画像をトラックボールの操作で拡大した一瞬だけ生じたモザイクが再描画されてきめ細かくなり原始生物を思わせるサイケデリックな模様の一部に見えたものが文字列であることが明らかになる盛り上がった絵具にナイフで刻まれたり面相筆で偏執的に書き込まれたりしている文字とは知れるが判読まではできない。 「これ以上はむりだな。 『ブレードランナーみたいにはいかない
なんだこりゃ
たぶん命令コマンドの一部だなMOJOで書かれているらしい工業プラント制御システムに使われる言語の一種だよC++を拡張したもので……
日本語で喋ってくれ
プログラムだそれ以上はわからん
なんであの餓鬼がそんなものを
いまのは聞かなかったことにしておくよ噂が本当ならこれを見た以上おれもあんたも無事じゃ済まないかもよ鼠男は肩を揺すって歯の隙間から笑った。 「姫川尊には映像記憶があるというじゃないか三島や手塚もそうだったとかひと目見た光景を写真みたいに記憶に焼きつけるサヴァンだどこかでコードを見たんじゃないか
詳しいじゃないかどこでそんな話を
先週の文秋オンラインだ未発掘の逸話なんて残ってないんじゃないかね女装の話だけは不思議と出てこないが……なあやっぱりあの子は男が好きなのかうっかり手を出すなよあの手の餓鬼はあとが怖いぜ
知るかあの糞餓鬼はてめえ以外のだれも愛しちゃいまいとゴンゾは思ったが口にはしなかった埃の積もったガラクタの山を通して開け放たれた戸口の外を見た霧雨の降る小路に人通りはない小溝商會は店であるがゆえに客が訪れる畏れのない聖域だったここで交わされる会話は聞かれることも見られることもないその理屈でいえば無名人のアカウントが閲覧者を殺すこともないはずだった。 「フォロワーはこいつだけじゃないんだろう
死人はと訊くべきだね答えはどっちもイエスだほぼ全員が事故や病気で死んでるよ悩みもなさそうなのに急に自殺した奴もいるそれが本当に自殺ならねほかならぬあんたの頼みだ偽装アカウントで周囲の人間に近づいてあれこれ聞き出したり写真の瞳に映った景色から住所を割り出したり運営会社やプロバイダから履歴をいただいたり思いつく手はすべて試したよまだ存命のひとりと会う約束をとりつけたいくらで買う?
細川頼直機巧図彙なんてどうだ好きだろいま手元にはないが……
二四〇万ってとこか現金のほうがいいな口座に振り込んでくれ疫病の蔓延する表には出たくないんだよ古本屋は無事か
親爺の庇護下にあるなぜそんなことを仮想通貨のハッキングに手を出さず現金にこだわる理由を知りたかったがすでに質問が多すぎるのをゴンゾは自覚していたおれにとっての殺しと同様にほかの生き方を知らないのだろう
娘がいいねしてる鼠男はスタンプで加工した顔写真のアイコンを指さした


(1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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