杜 昌彦

ぼっちの帝国

連載第21回: She Said She Said

杜 昌彦書いた人: 杜 昌彦, 投稿日時: 2019.05.14

 田辺美樹なる人物の服装は、デニムのサックコートにTシャツ、雑に刈った髪、カーゴパンツに八孔ブーツによって特徴づけられる。支度しろと明日香に命じた美樹はしかるに別人さながらだった。髪をグリースでむりやり後ろへ撫でつけ、かすかに縦縞の入ったチャコールグレイの英国調スーツに白いドレスシャツ、内羽根の革靴、あまつさえネクタイまで着用に及んでいる。シャツのボタンは太い首元まで留められているし、スーツは上等な仕立てで形も折り目も整っていた。
 着こなしといい体型といい、これで眉目秀麗で人品骨柄に申し分がなければスパイ映画の主演俳優さながらなのだが、あいにく人相の悪さは相変わらず。明日香は一瞬やくざの幹部でも現れたかと思った。冷蔵庫を整理しながら献立を考えていた明日香は、中途半端に腰をかがめた姿勢のままスーツ姿の美樹を見上げた。
「あきらはおれの携帯番号を保護者の連絡先として届け出ている」と美樹は説明した。「授業参観や面談にも参加したから教師たちに父親だと思われている。自ら詐称したことはないが誤りを訂正したこともない。知っての通りおれは社会的能力に欠陥がある。連中の機嫌を損ねてあきらの肩身が狭くなるような真似はしたくない。同行して不手際をしでかす前に止めてくれ」
「教師を窓から放り出す前にという意味?」
「何が他人を怒らせるかわからない。あんたに嫌われているのは知っている。だからこそ頼む。あいつの両親が男性と女性の夫婦であることは学校側に知られている。ヤンパチを女装させるわけにはいかない。それにあいつは今日これから商談がある。あんたなら再婚した妻で通る」
 明日香は最後のタッパーをしまって冷蔵庫を締め、ミンストレル・ショウの冗談を思い出して美樹をまじまじと見つめたが冗談をいっている表情ではなかった。もっともこの男が冗談を口にすることがあるのか、あっても表情を変えるかは怪しかった。
「通るわけないでしょう。役柄でもあんたの妻なんて……」
「あきらのためだ。不仲の両親で通してくれ」
 そういわれては断れない。夕飯は作り置きの惣菜でごまかすことにした。飲み会に出たときの服を着て簡単な化粧もした。こんなときのためにスーツも用意しておかなければと考えた。自分がいまだ手に入れぬ社会生活の必需品を美樹でさえ持っている事実が癪に障った。
 指定された時刻は子供たちの下校と重なっていた。すれ違う子供たちの視線を浴びた。不審者に気をつけるよう教育されているのだろう。あたしはこのひととは違うのよと明日香は思った。
 ランドセルを弾ませ甲高く叫んで走る子供とすれ違ったとき、さながら敵陣に乗り込むかのような張り詰めた気配を明日香は隣に感じた。美樹の顔を見上げて驚いた。小学校銃撃事件のドキュメンタリーを連想した。現在も生活に支障をきたしている生存者がちょうどこんな表情をしていた。
 あきら以外の子供が苦手なのか。それとも学校という場所が苦手なのか。強面の大男がかつて虐められっ子だったとは想像しがたい。むしろ銃撃事件の加害者でもおかしくない悪人面である。多少の自覚はあるのだろう、抑止役を仰せつかるくらいだからと明日香は思った。
 校門に教師がふたり立っていた。ジャージの男は不審者対策の当番だろう。明日香よりも若そうな女があきらの担任であるらしかった。あきらがお世話になっています、と美樹が挨拶をしたので明日香は驚いた。あたかもまともな人間であるかのようだった。
 ふたりはIDカードを渡され、来客用の玄関へ案内された。当時の小学校もせめてこれだけの対策をしていればテレビでやっていたような事件は起きなかったのではないかと明日香は思った。もっとも犯人が生徒や保護者であれば何をしても防ぎようはない。
 若い教師は愛想のいい笑みを浮かべてはいたが目つきは疲れきっていた。上司の叱責かモンスターペアレントの恫喝を畏れて萎縮しているかに見えた。明日香はコールセンター時代を連想して同情した。あの頃の自分も同じように見えたことだろう。
 担任は職員室に声をかけた。痩せた禿頭の男と小肥りの男がついてきた。それぞれ教頭と学年主任であると名乗った。美樹は今度は軽く頭を下げただけだった。物置のような小さな部屋に案内された。スチール棚に丸めた地図やら書類の束やらが無造作に置かれている。
 パイプ椅子を勧められ、長机を挟んで教師たちと向かい合った。口火を切ったのは学年主任だった。あきらが男の子たちに暴力をふるって怪我をさせた旨を説明された。感情を交えず事実のみを伝えようとしているのが明日香にはわかった。
 予想どおり美樹にはその配慮が伝わらなかったようだ。彼は声をあげて笑った。明日香は驚いた。場にそぐわない態度にではない。人品の卑しい人間であるのは知っていた。そのように心から愉快そうに笑うのを初めて見たのだ。
 当然ながら教師たちの顔はひきつった。
「どこに入院しているんです」美樹はまるで見物に行きたがっているかのように尋ねた。
「入院するような怪我ではありません。かすり傷です」学年主任はあたかも説明不足が誤解を招いたかのように狼狽した口調でいった。
 美樹は露骨にがっかりした顔をした。「じゃあなぜ呼んだんです。たかが子供の喧嘩でしょう」
「女の子が六人もの男の子に怪我をさせたんですよ」教頭は蔑みの目つきでいった。この親にしてあの子ありと考えているのが明日香には手に取るようにわかった。
「ええわかってますよ。寄ってたかって女の子ひとりと喧嘩して返り討ちに遭うような六人もの男の子ですよね。ご心配なさるのもごもっともです」美樹はしかつめらしく肯いた。「それよりもあきらが先週そいつらに女子トイレまで付きまとわれたって聞いてますがね。女子の着替えを覗く常習犯でもあるそうですが、そっちはお咎めなしですか」
 そんな話は知らなかった。あきらは明日香には話さぬようなことまで美樹に打ち明けているらしい。学年主任は指示を仰ぐように教頭を見つめた。教頭は不機嫌に顔を赤らめて「子供のやることですから」と一蹴した。担任は面談がはじまったときからずっと端の席で縮こまって俯いていた。
「おれのいってるのもそういうことです」
「でも光丘さんは女の子でしょう。男の子はやんちゃで元気があるほうが……」
「だから女の子は黙って耐えろということですね」
 担任がはっと息を呑むような目つきで顔を上げ、初めて美樹を直視した。
「奥さんやお嬢さんが同じ目に遭っても同じことをいえますか。相手の男は元気があってよろしいと」
「男が強いのは当たり前です。女の子が腕力をふるうのが問題なんです」
「なぜです」
「そんなのは常識だ。光丘さんだけが違うことをしてはいけない。個性を履き違えている」
「ひとそれぞれ違うのが個性でしょう。みんなが同じ人間でなければならないんですか」
「他人が認めなければ単なる変わり者だ。世のため人のためにならない特性は本人がどう思っていようと何の価値もないばかりではなく周囲は迷惑としか感じない」
「ひとと違うだけで迷惑に感じるような他人にどうして気兼ねしなければならないんです。自分が価値を認めてさえいればだれに何を思われようが知ったことではないでしょう」
「そんな身勝手な理屈は許されない。常識を遵守せねば社会では淘汰される」
「世のため人のためにならない人間は何の価値もないという理由で大勢をした男がいましたね。たしかヒトラーとかいったようだが。相模原の障害者施設でも同じことがあった。あなたは人間の生命にも生産性を求めるんですか」
 いまや担任は目を丸くして美樹を見つめていた。明日香はその様子に生理的な嫌悪をおぼえた。それはほとんど見惚れているといっていい目つきだった。小肥りの学年主任までもがおもしろがるような顔をしていた。
「何をいいたいんだ」教頭は美樹を睨んで呻くようにいった。禿頭が汗で光った。
「われわれは共通の目的のために話し合っているはずです。教育の責任は親だけが、あるいは教師だけが負うのではない。子供はだれもが少しずつ補い合いながら社会全体で育てるものでしょう」
 美樹はそういって若い担任を見つめ返した。
「あなたは三十人もの子供をひとりで見ている。発達特性はひとりひとり違うし相性もある。腕力に訴えるのが誤りであることはあきらによくいい含めます。しかし彼女にも理由があったはずだ。男の子たちの指導で困っていることはありませんか」


(もり まさひこ、1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、藤井太洋氏、十市社氏らによる指導を受けた『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『逆さの月』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。最新恋愛小説『ぼっちの帝国』連載中。
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