Twitter の報告機能はダミーなのでしょう。 成人向け広告を報告してブロック、 報告してブロックとくりかえしているのですが、 執拗に表示されつづけます。 たしかに清廉潔白とはほど遠く、 どちらかといえば猥褻な人格ではありますが何しろ老人です。 需要があるどころか 「そんな格好じゃお腹が冷えるよ」 くらいにしか思えません。 あるいは報告やブロックをすればするほど 「強い行動を引き起こした」 と判定され、 効果があったと見なされて、 かえって表示頻度が上がるのかもしれません。 インターネットの商売は往々にしてそのように行われます。 人間性など一顧だにされません。 ただ刹那的な反射と社会スキルのゲームがあるだけです。
たとえば大手 ebook ストアでは書名に 「死神」 という単語が含まれると自動的に 「落語・寄席」 カテゴリに分類されるそうです。 その単語を検知したアルゴリズムの挙動がそのようなものなのです。 出版者が設定するカテゴリ分けは本そのものの書誌情報のようなものです。 それに対してストアのカテゴリは書棚の分類です。 おそらくストアのアルゴリズムは書誌情報を参照しません。 重視するのは短絡的な反応 (クリック) や SEO です。 売れればいいので本の内容や読書の都合などどうでもいいのです。 報告やブロックを猥褻な関心と見なすのとちょうど同じように。 客は客でそんな店しか知らないからそういうものだと思い込んでいます。
客が別の店で買うようになればアルゴリズムは改良されるでしょう。 しかしそのような消費行動は生じません。 ひとは自分たちの行動が視界を限定するとは考えません。 見ているものがすべてだと信じます。 自称専門家のいう 「ニーズ」 とは所詮そのようなものです。 どんなに素敵な餌がまわりにあっても視界に入るのは自分のしっぽだけ。 追いかけて喰い尽くさねばどうにもならぬと思い込みます。 彼らは自らの正しさを疑いません。 疑いは悪とされるからです。 多数派は自らを護るために逸脱を 「淘汰」 し、 可能性を閉ざして身を滅ぼします。
滅びるのは勝手ですが彼らはあまりに多くを巻き添えにしすぎます。 変化を畏れて何もかも台なしにするのです。 「音が歪んでいる」 という理由で Loveless に星ひとつのレビューをする客がいるそうです。 自分が理解できないものが存在するのを許せず、 それを好きなひとが集まる場にわざわざ出向いていって、 「われこそは正義なり、 不正はたださねばならぬ」 とばかり価値を否定する。 そのようにして 「正しい側」 に属することを常に確認していないと不安なのでしょう。 だから属さぬものは 「誤った少数派」 でなければならず、 淘汰しなければならないと思い込むのです。
そうしたすべては人間性を排除したアルゴリズムへ自らを最適化するゲームです。 多数派であることの力を望む客が世界をそのように変えるのです。 そんな時代でわれわれ読者に何ができるのでしょうか。 少しでも弱さや個性を持っていては 「淘汰され笑いものにされ」 ます。 生きやすさを得るためには己の人間性を殺さねばなりません。 突き詰めればそれは自身をサイボーグ化しアルゴリズムそのものとなることです。 未来の出版と読書はアルゴリズム同士で行われることでしょう。 自動化された兵器による戦闘のように。
そうなれば弾圧された言葉は地下でやりとりされます。 早くその日が来ればいい。