流卵
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流卵

「ヘンタイ! ヘンタイ! ヘンタイ!」——選ばれた民として、新人類への進化という向こう側の世界に行かなければ。中2男子の性の目覚めがもたらす官能と陶酔。吉村版『金閣寺』、誕生。

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著者: 吉村萬壱

(1961年2月19日)日本の作家。1997年、「国営巨大浴場の午後」で第1回京都大学新聞社新人文学賞受賞。2001年、「クチュクチュバーン」で第92回文學界新人賞受賞。2003年、「ハリガネムシ」で第129回芥川龍之介賞受賞。2016年、『臣女』で第22回島清恋愛文学賞受賞。SFの影響を受けた、退廃的かつ破壊的な作風が特徴。

吉村萬壱の本
2020.
08.09Sun

流卵

時折私は、男であることに嫌気が差す。
自己や他者の雄の部分を垣間見るにつけ、憎悪が湧く。
己の中にある獣性、切っても切れぬ雄の感触。それゆえの生きづらさ。

そんな私にとって吉村萬壱(以下敬称略)の描く小説は、癒やしであり救いであり贖罪でもある。
上記に記したような、雄としての自分を認めてもよいのかもしれないという気にさせてくれる。

また、常人(常識人)であらねばならないという無意識下にある抑圧の箍を緩ませてもくれる。
社会という箱の中で、ある程度真っ当に生きようと思えば、人間は理性や倫理といったものを身につけなければならない。それはいわば社会というコーポレーションに従事し、社内を出入りするための社員証のようなものである。

しかしまさにそのことによって、精神に異常を来す人間というのが現れる。
ルールに則って、度が過ぎた抑圧をし続けたばかりに、世の理不尽や不条理に対して、いざ声を上げようと試みても、すでに喉は潰れており、判然としない呻き声しか上げられない体になっている。
普段から磨いてもいない、メンテナンスを施していない器官を急に動かそうとしても、使いものになるはずがない。
そうして排泄されるべき言葉は行き場を失い、己の中でシュブシュブと気泡を作っては割れる、腐った臭いを放つドス黒い液体となって溜まり続け、とうとうその容積が許容しきれず、横溢する。
その結果、己の肉体や精神を傷めつけるか、あるいは他者にその矛先を向けることになる。

そうならないための処方箋として、一度人間という殻を打ち破り、理性や倫理というものをかなぐり捨て、冷たく、そして恐ろしい世間の目さえ気にならない精神でもって、これに相対する必要がある。

なぜならその告発は、人間なら誰しも身に覚えのある感覚であり、ところが本来であれば多くの人間にとって、そのような己の中に眠っている獅子は、文字通り死ぬまで目覚めさせてはならないという不文律を備えた性質のものであるからだ。

吉村萬壱の描く小説世界は、その告発であり、その告発への赦しでもあるように思える。

この『流卵』は、彼の少年期の半自伝的小説であるという。
これまでに読んできた小説とエッセイのすべての起源がここに凝縮されているような気がする。

吉村萬壱の描く性描写には、強姦や輪姦がよく登場するし、暴力的で動物的だ。にも拘らず、不思議と嫌悪感が湧いてこないのは、彼自身が「魔女」、つまり「女」になりたかったという少年期の欲望に由来するのではないか、と想像したりした。
作品群で残酷な描写を繰り返し描きながらも、それは単なる作者の「好奇心」や「支配欲」から発露されたものではない。
そこには丁寧な観察があり、常に第三者としての作者自身の罪悪と責任とを嗅ぎ付けてしまう。だから露骨であっても嫌な感じはしないのだ。

読者層はどうなのだろう?女性ファンが多いような気がする。勝手な憶測だが。
はじめに読むなら『前世は兎』あたりをおすすめしたい。


趣味でしかものを書いたことのない、名無しの素人エッセイスト(自称)。 この度、どういうわけか当サイト「人格OverDrive」の主宰者である杜 昌彦氏に「掲載してみませんか」とお誘いいただき、こちらに寄稿することに。 29年間、苦しそうなこと、辛そうなことから逃亡している人生。フリーター。 寄稿するジャンルは妄想エッセイ。虚実交えた物語を書いていきたいと思います。
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