杜 昌彦

D.I.Y.出版日誌

連載第185回: Radio Free OverDrive

杜 昌彦書いた人: 杜 昌彦, タグ:
2019.
03.16Sat

Radio Free OverDrive

きのうまで風邪で寝込んでいた。疲れが溜まって抵抗力が落ちたのだろう。先週の日曜に仕事で喉を痛めた。漢方の選択にしくじり適切な投薬ができなかった。たまたま二連休だった木曜に発熱し起きていられなくなった。丸二日も眠って過ごした。おかげでほぼ恢復したが小説は予定より二十枚も遅れた。寝込む前日に六枚書いていた。二連休で残りとさらに二話分を書くはずだった。小説が思惑通りに進まぬのはいつものことで問題は日記だ。自分にとっては小説こそが重要で日記はどうでもいい。どうでもいいが実際に読まれるのは日記なのであって、それは毎日ほぼ欠かさず更新されるからこそ、おなじみの七、八人の常連さん、顔が見えるわけでもないしどこのどなたかは存じ上げぬので、勝手な妄想ではあるのだが、に閲覧してもらえる。更新しないとだれも訪れないか、もしくはサイトトップや記事一覧にランディングして直帰という、なんだきょうも更新されないのかつまらん、といった呟きが聞こえてきそうな履歴が残る。アクセス解析の閑散としたグラフも寂しいが、それは本来そういうサイトなので構わない。貴重な時間を割いて見に来てもらったのにがっかりさせちゃったな、と思うほうが読まれぬよりも胸が痛む。そんな貴重な読者がひとりでもいるならば、あるいはそれは顔見知りかもしれないし、地球の裏側の見知らぬ他人かもしれないが、だれであろうと構わない、そのだれかのために毎日でも個人的な手紙を綴りたい。小説とは本来がそうした性質のものだと思う。職業としてではなく人間の種類として小説家を考えるようになったのは十四歳の頃だ。ある深夜ラジオのパーソナリティが、大勢に語りかけているつもりはない。どこか遠くで、あるいは近くで、独りぼっちで耳を傾けるだれかのために仕事をしている。ひとりひとりの「たったひとり」とつくる時間が自分の仕事だと話すのを聞いて、ああそれこそが小説家の仕事で、自分のやりたいことだと思った。以来三十年、だれにも読まれなくとも自分なりにそんなものを書いてきたと思うし、epubやWordPressといった手段を得るまで出版されようがなかったのもそのためだし、その両方が自分にとってよかったのだと思う。いまあなたが読むこの文章は、政治家が拡声器で叫んだり芸能人がテレビで歌ったりする声ではない。あなたが聴かなければ深夜の空気にただ消えるだけの声だ。タブを閉じたり別のアプリをひらいたりすればここにあった言葉は忘れられる。しかしどこか奥底に消え損なった残滓があって、もしかしたら数十年後、再結晶してあぶくのように浮かび上がるかもしれない。そうならないかもしれない。小説はどちらでもいい、役に立つものではないのだから。役に立たなければ淘汰される世の中で、なんの役にも立たぬものでありつづけることでだれかの役に立ちたい。小説の言葉は、少なくともおれの場合はそういうもので、そんな意味では小説よりも時として、日記のほうが小説らしい貌を見せたりするのかもしれない。


(もり まさひこ、1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、藤井太洋氏、十市社氏らによる指導を受けた『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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