D.I.Y.出版日誌

連載第111回: 導線の先

アバター画像書いた人: 杜 昌彦
2018.
02.08Thu

導線の先

インターネットでの客層やクリックのされやすさは明らかに偏っているそこでは手間をかけずにつくられ消費される話題性のあるものクリックされやすいように表示されたもの往々にして粗悪で醜いものが是とされる是とされることで利益を得るひとびとにもっぱら発言力があるそのためそうしたものが正義とされクリックされやすく表示されやすくなるクリックは雪だるま式にさらなるクリックを招きそうでないものを埋もれさせるそのようにして正義は強化される

廃棄されるはずだった原料に薬品で味と色と風味をつけて数十円で売る商品にも駄菓子のよさがある粗悪な本にもそうしたものとしての価値はあるだろうけれどもそればかりが唯一絶対とされそうでないものが排除されるのであればやはり歪んでいる駄菓子は駄菓子であっていいし森永や明治の大量生産もゴディバのような高級品も名匠と目される一流パティシエの作品もおばあちゃんの手づくりもあっていいそれぞれが価値や魅力を発揮できるようでなければならない

ところがクリック率こそが価値である社会ではわかりやすいもの以外は存在を許されない人生は往々にしてわかりにくいものでありそれゆえに疎外されたひとびとのために本はある本は手間をかけてつくられ長い時間をかけて読まれる内面と向き合う作業であり交流とは相容れないソーシャルでの立ちまわりとクリック率がものをいう現代では分が悪いせいぜいが寄ってたかって嘲笑され貶められるだけだ

インターネットと親和性のないものをインターネットで売るにはどうするかまずひとつは導線となる書評だすでに多くの試みがなされているが現状では導かれる先がどうもぼんやりしているKindle の商品ページであってもいいのだけれども著者や出版社に結びつける方法はないものか逆に出版社が著者サイトや書評へのポータルとなるのがいいかもしれないあるいは編集者がただ撮られただけではフィルムは映画にならない独自のものの見方で世界を切り取ることが本を本たらしめる顔や名前を積極的に出しソーシャルに立ちふるまって伝道する目利きがいてもいいおれが惚れ込んで編集した本だからいいに決まっているくらい言い放つ編集者がいてもいい

導かれる先には著者がいなければならないしかしそれはまちがってもソーシャルな立ちふるまいではありえない著者の仕事は書くことでそれは交流と相反するものだ媚びたり空気を読んだり顔を使い分けたり暴力に荷担したりするために書くのではないましてや幼稚な自己愛のためではない恥知らずの素人たちと同次元に堕ちてはならないインターネットに居場所を見つけられないようなひとたちのために書かねばならない読書とはひとりで生きるしたたかさであり書くことも出版もそれを担保する仕事にほかならない


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。