妄想中年日記

連載第111回: 遡る

書いた人: 杜 昌彦, タグ: ,
2018.
01.18Thu

遡る

眠りが途切れるときいつも、自分が実家の違法に増築した部屋にいる18歳ではなく、十年住んだアパートの部屋にいる43歳の契約社員であることを思い出すのに時間がかかり、不安と恐怖をおぼえる。ひとつひとつの要素を数えあげれば当時より今のほうがずっと幸せなはずなのに。それでも辛うじて未来を信じていられた時代、本来の自分はこうではない、と錯覚していられた時代はまだしも幸福だったのか。精神病の家族によって歪められ損なわれていて、それさえなければ人生を手に入れられるとまだどこかで信じていられた。実際には帳尻はけして合わない。ひとたび奪われ踏みにじられたら取り戻せない。もし仮にまともな環境で育っていたとしても遺伝による障害はどうにもならない。事実を受け入れられずに数十年前に留まっている。

ゴーストタウンのような隣町で心を病んだ。互いに睨みを利かせてつまらなくあろうとするつまらない学生たちと、だだっ子のようにいやがらせの暴力行為をくりかえす、幼く陰湿なカルト(学生運動の残党)が幅をきかす大学だった。『黒い渦』の原型はその頃に書き、ある原稿募集で人生初の最終選考に残った。あそこまで病んでいなければ書きつづけることで何かしらのチャンスを掴めたかもしれないとも思い、あの程度しか書けないのに仕事につながる希望を抱いた若い愚かしさをも思う。その頃に読んだ『ありきたりの狂気の物語』が文庫化されたので読み返している。ひどく笑える。BUK先生絶好調だなと思う。つまりまたしても読んだ内容を忘れている。いかれた連中の噛み合わない会話、奇矯なふるまい。すっとぼけた語り口。ディックの『暗闇のスキャナー』あたりに似ている。そうしたろくでもない登場人物の側の人生を生きてきた。

『Papa told me』全27巻がブックパスで読み放題になっていた。最終刊から遡って読んだ。大学時代に17巻あたりまで読んでいる。途中で記憶にあるエピソードに行き着くはずだった。思い出せないまま1巻まで読み終えた。憶えていたのはカルチャースクールに通う奥様が「ずっとお家にいるから暇でしょう」と無自覚に暴言を吐きつつ「お父さん」に原稿を売り込む話だけだった。遡るほど「父子家庭」の自意識に肩肘はっている感じが強まる。逆にいえば時代が下るにつれ社会が変化し、気負わなくてもよくなったのだ。以前読んだときには主人公が大人と子どものいいとこどりでずるい、と感じたのだけれどもそれは筋違いだった。これは理想化された夢であることを承知で読むべき大人のファンタジーなのだ。80年代後半からゼロ年代前半まで、27巻もの長期連載であることを思えば、絵柄の変化は驚異的に少なかった。時代背景を意識させない描き方にも感心させられた。舞台も小物も登場人物の年齢も、気取られぬようつねに少しずつアップデートされている。大人たちの服装は注意して見ればなるほど当時のファッションだなと思うけれども、高度に普遍化された絵柄のおかげで大きな違和感はない。子どもの服装はまったく古びていない。理想化された子ども服には時代など関係ないのかもしれない。

全27巻を読み終え、掲載誌を変えて続編が描かれている事実を知った。読み放題は新シリーズのための販促だったのだ。最新刊のサンプルをひらいて驚いた。絵柄が劇的に変わっている。こういっては何だが、悪いほうに。おそらく画材がデジタルに変わったせいだろう、と思ったが、数年間の中断を経て再開された最初の巻、まだアナログで描かれているだろうその絵柄を見ても、やはり以前のようではない。シリーズ最初期のエピソードを見るかぎり「お父さん」は六十年代に青春を過ごしているし、おそらく主人公の小学生はおれと同世代だ。中年女を理想化された子どもに留めておくにはファンタジーといえど無理がある。パソコン・インターネットや携帯電話のない世界、紙の原稿をファックスする高収入の小説家という設定も、夢物語としてでさえ説得力を失った。やはり変わらないものなどないのだ。


杜 昌彦

(Masahiko Mori, 1975年6月18日 -)著者、出版者。出版レーベル「人格OverDrive」主宰。2010年から六年間、ヘリベマルヲ名義で自主出版活動を行う。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにてウェブディレクター・佐々木大輔氏から「注目の『セルフパブリッシング狂』10人」に選ばれた。